堪えきれない食欲にハンマーを振り下ろす 魔法少女はやはり赤いリボン
雨はまだ降り続けていた。
ハリの歯によって八匹から七匹に減らされていた、怪物の群れはしかして自陣の一派が噛み砕かれたことに何ら恐怖心を抱いていないようだった。
「ああぁぁぁぁ ぁぁぁぁあああぁぁ@@@aaaaa」
あくまでも自分と同じ存在が殺されただけ、ただそれだけのことに過ぎない。
遠い国のニュースで同じ人間が人間を殺した報せを聞いたかのような、それほどの無関心が怪物の集団に固定されていた。
唾を吐き捨てるかのような音がした。
ルーフが見ると、そこでは怪物の一匹を口から吐き出しているハリの姿があった。
命奪った一部を邪魔にならない地面の上に吐き捨てる。
吐息の激しさによって噴出された怪物の死体が、まるで本物の唾のようにただの無機物のようになって、アスファルトの上に転げ落ちたまま動かなくなっていた。
「はあ……」
口の中の怪物を吐きだした、ハリは少しだけ疲れたような溜め息と言葉を唇に呟いている。
「まだたくさんいますね、これを全部噛み砕くのは骨が折れそうです」
骨が折れるどころか、切断されていることに関して、ハリは特に何か感想を主張することはしなかった。
腕が一本切り落とされたというのに、魔法使いはそれに関してなんのダメージを表明していない。
もしかすると、魔法使いにとっては腕の一本が失われる程度の傷など大したことないのではないか。
ルーフがそう考えようとした、だが納得をしかけた所でハリの姿が地面の上へと倒れ込んでいた。
「うわあ?! 大丈夫かッ」
言葉で確認したところで、到底無事ではないことは簡単に想像できてしまえていた。
起き上がろうとした所で、ルーフはまだ使い慣れていない義足に不自由を余儀なくされていた。
仕方なしに地面を蠕虫のように這いながら、ルーフは倒れたハリの元に近づこうとした。
と、そうしようとした所でルーフの懐から一つの影が、激しく飛び出してきていた。
「うわあ?!」
体から出てきた存在に、ルーフ自身が一番驚いていた。
飛び出してきたもの、それは一匹の小さなけものだった。
大人の手の平、ちょうどハリの手の平に少し余る分の肉と骨と体毛を持つ。
フワフワとした灰色の毛をもつ、少し長い耳がぴくぴくと狙いを定めていた。
子猫や子犬とはまた別の、どちらかというと狐に近しい造形を持っている。
けものは前足と後ろ足を風に揺れる梢のように揺らしながら目的のもの、落ちていたハリの左手にかぶりついていた。
「んに、んにぃー」
実に機嫌が良さそうな鳴き声をこぼしながら、けものの姿をしたミッタは魔法使いの欠片を味わっていた。
「ああ、ボクの一部がミッタさんに食べられてしまいます……」
けものが嬉しそうに食んでいるのをみて、ハリが弱々しく情けない悲鳴を唇からこぼしていた。
しばし状況に圧倒されていた、ルーフは少し後にようやくミッタの姿を視界の中、意識の内に認め始めていた。
「あー、こらこらミッタ、んな汚いもん食っちゃあかんって」
膝をするように動きながら、ルーフはミッタの体を後ろから抱きかかえようとする。
だがルーフが伸ばした指を、ミッタは毛を逆立てて拒否をしていた。
「んに!」
「うわ、何だよ」
拒絶をされると思っていなかった、ルーフはミッタが何をしようとしているのか、まるで予想できないでいた。
ルーフの手を振り払った、ミッタはハリの左手を口にくわえたままトコトコと前へと進んでいる。
前脚が向かう先、それは七匹残された怪物の集合体の最中であった。
「あ、そっちは危ないです……」
すでに地面の上に寝そべるようにしているハリが、ミッタの後ろ姿に注意を呼び掛けている。
魔法使いの心配はもっともだった、今しがた自分の一部を欠損させた集団に、今のところは無謀にも立ち向かわんとしているのである。
魔法使いに合わせる形として、ルーフも彼女の行方を阻もうとした。
だがけものの全身は止まらなかった、ミッタは口にくわえた左手の破片に息を吹きかけている。
空気が流れる音、風が通り抜ける音色、……が聞こえたような気配がした。
それは魔法の気配だった。
魔法を使う時の気配、魔法という行為を働いたときに、世界におとずれる変化のいくつか。
すでにルーフにも知り得た感覚だった。
当然のことながら、もちろん魔法使いであるハリには慣れきった、古い友人と同じ触感だった。
「んに」
魔法を使った、ミッタの口元から呼吸の流れに合わせて幾本もの光の帯が空間に発現した。
光の瞬きが通り過ぎた後も、帯はしっかりとした実体を空間の中に残している。
それは大きな赤いリボンのように見える。
ルーフはかつて自分が怪獣に変化した時の、あの体の膨らみを咄嗟に思い出していた。
帯はひらめくような速さで怪物の群れを取り囲んでいた。
しゅるしゅる、しゅるり。
魔法使いの左手をエネルギー源として、赤いリボンは怪物の群れを網目状に包み込んでしまっていた。
「おお……お見事です!」
けものが使った魔法に対して、もれなく本職であるはずのハリが感嘆符とともに賞賛のコメントを送っていた。
灰色のけもの、ミッタがハリの左手首をエネルギー源として作り出した、魔法の網は七匹残された怪物の群れを見事に捕らえていた。
生み出された幾本もの赤いリボンは、発現させた持ち主の意向に従って怪物の体を覆い、包み隠している。
やがてリボンが集約し、小包程度の赤い塊へと集約された。
まだ中身で捕らえた怪物がうごめいている、赤い塊をみたハリが感嘆符を言葉に変換していた。
「おみごと、です」
怪物を無事に退治した、しかして魔法使い共にはまだやるべき事柄が残されていた。
ルーフが作り出された小包を前に、戸惑いがちな質問を声に発していた。
「とりあえず、この塊はどうすれば……?」
まだビクビクと活動の気配を残している、赤色の小包を前にルーフは不気味さを隠そうともしなかった。
ルーフに問いかけられた、ハリが脱力しきったような声音で指示のようなものをだしている。
「ああ、それはまだ古城に通報しないでおいて、くれませんか」
弱々しい呼吸の中で要求を伝えている。
実際にハリは、活力の大部分を失うに等しい損傷をその身に許してしまっていた。
「分かったけど……、それよりも、だ……。あんさん、ホントに大丈夫なんか?」
ルーフが心配をしているのは、切断されたハリの左手首に対してであった。
少年がすでに知っている知識では、一度切断された人体はもう二度と元に戻らないのが常識のはずだった。
しかし少年の心配をよそに、ハリの様子はいたって平坦なものでしかなかった。
「とりあえず、とれちゃったものをこっちに返してくれませんか?」
あたふたとしているルーフとは対照的に、ハリはなんてことも無さそうに欠落した一部の返却を要求している。
そうしている間でも、魔法使いの左腕の末端は欠損したままであった。
血液は止まってはいる、とはいえ切断面の生々しさは冷静さを取り戻すほどに、眼を逸らしたくなるような生々しさと痛々しさが満ち溢れていた。
「うわ……あんましこっちに向けないでくださいよ……」
怪我をした部分を見たくないルーフは、拒絶感の中で急ぎ魔法使いの左手首を回収しようとしていた。
「えーっと、ミッタはどこに行ったんだ?」
きょろきょろと視線を左右に漂わせる。
けものを探そうとして、ルーフは自然と視界の中心に赤い小包を見すえることになった。
「んにぃ」
ミッタはその小さい毛玉のような体を小包の陰に潜ませていた。
呼吸を潜ませ、身を隠しているつもりなのだろうか? 手にした獲物を逃したくないという、けものの一生懸命さだけが理解できた。
「ほら、ミッタ……、その……手首をハリに返してやるんだ」
「んに!」
「やだ! じゃなくてだな」
少しの押し問答の後、割かしすぐさま諦めをつけたルーフは、実力行使によって左手首の奪還を計ろうとした。
ミッタの体を上から鷲掴みにし、暴れる彼女を無理やり押さえつけようとしていた。
「んにーっ!」
「いでででで! 噛むな、引っ張るな」
ひとしきり暴れた後で、やがてミッタの方が諦めたかのように口から左手首を離していた。
「んにぃー……」
「な、なんだよ……」
あからさまに不満げな視線を向けている、彼女の灰色をした瞳にルーフが溜め息のような吐息を返していた。
「勝手に人の体を食べちゃダメなのは、お前だってよく分かってることだろ?」
ルーフがミッタに教え正そうとしている。
だが説教の途中で、ルーフは手の中に感じる人間、その一部の感触を肌に感じ取ってしまっていた。
取り戻した左手首、それはまだ生々しさ、新鮮さを強く残した肉の塊だった。
もとより人間の手首である、肉よりも骨の重さの方が質量を多く占めている。
触れている端から生命の気配、血液の熱が喪失し続けている。
ルーフが不気味さを覚えている、するとハリが不満げな声を少年に投げかけていた。
「はやく、ボクの左手首を返してくださいよ」
魔法使いに頼まれるままにして、ルーフはとりあえず取り戻した左手首をハリの元へと返していた。
「で、それをどうするつもりなんだよ?」
欠片を取り戻したところで、それを繋ぎ合わせる手段をルーフは予想することが出来ないでいた。
ここはただの灰笛の道の上で、古城のように充分なる医療設備は当然のことながら整えられていない。
こんな道端でどんな治療行為を行うというのだろうか。
ルーフは魔法使いの行動に注目し、視線の中にかすかな期待を寄せていた。
だが少年が期待したことに反して、ハリはいたって平常心のままでその「治療行為」をしていた。
「よいしょ」
取り戻した左手首を右手に掴み、ハリはそれを左の腕にスッとくっつけていた。
「あとはこれを固定して、おしまいです」
たったそれだけの行動、まるで人形の部品をくっつけ直すような気軽さで、ハリは自分の一部を体の内に取り戻していた。
「そんなので……」
人間の体が元通りになるはずがない。
ルーフはそう考えて、しかしてすぐに自分の思考が間違っていることに気付かされていた。
「元に……もどっている?」
あてがったところですぐに落ちると思っていた、左手首は魔法使いの腕に付着をしたままとなっていた。
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