タクシードライバーにすがる希望たち
「はい! これ」
シグレから手渡されたのは、以外にも普通そうな救急箱一つであった。
「おや? どうかしたのかな?」
メイが微妙な反応をしている。
それを見たシグレが、そのウーパールーパーのような体をふるり、と揺らしていた。
「なんだか期待外れ、って感じの反応だけれども」
「いえ、いいえ? べつに、そんなことは……」
シグレからの追及にメイが否定をしかけた。
だが実際に否定文が唇に発せられることは無く、結局のところメイはパン屋の主人の問いかけに同意のようなものを返していた。
「そう、そう……ね、たしかに、もっととくべつな道具をつかうものだと、そう思っていたわ」
期待が外れたことを素直に認めている。
幼い魔女がそう微笑んでいる、その様子をシイニが見上げていた。
「いかに魔法使いといえども、結局のところ手前のように完全なる異形の形に堕ちたわけではない。ということか」
シイニは子供用自転車の姿で、納得をひとつ至らせたかのように鈴をチリン、と鳴らしている。
とにかく治療用の道具は手に入れた。
メイは急ぎ足で魔法使いらの自宅へ戻る、シイニがその後に続いた。
「──……。というおはなしをしたのよね」
「そう、なんですか」
自宅の寝床で毛布にくるまりながら、キンシはメイの供述に耳を傾けている。
最初は控えめに話題を持ちかけていた、しかしてメイの語り口は後半になるにしたがって滑らかに、平らかなものへと変わっていた。
それはひとえに、メイにとってキンシの過去がそこまで重要な意味を持ち合せていないこと、そのことの証明とも言えた。
「僕の昔話なんて聞いても、つまらなかったでしょう……?」
キンシがどこか恥ずかしそうに、気まずそうにメイの様子をうかがっている。
「ううん、そんなわけじゃなかったんだけど」
魔法使いの謙遜に、メイは虚構で練り上げた否定文を舌の先へ簡単に用意しようとしていた。
だが幼い魔女が実際に言葉を発するよりも先に、より分かりやすい変化がキンシの体に訪れていた。
「い……っ! ひゃい……?!」
毛布にくるまるキンシの体が、電撃ショックでも食らったかのように激しく痙攣している。
訪れた異変の正体はキンシの左腕、そこへトゥーイの手によって塗りこまれた消毒液による拒絶の反応、そのものであった。
「トゥーイさん……?! 赤チンを塗る時は事前の報告を……」
「了解した」
キンシの抵抗も虚しく、トゥーイは素知らぬ顔で消毒液を左腕の裂傷に塗り続けていた。
「キンシちゃん、これは赤色ヨードチンキじゃないわよ」
メイはメイで、消毒液の小瓶を指に握りしめたままで、どうにも論点のずれた訂正文だけを魔法使いの少女に送っているばかりであった。
雑な消毒作業を終えた、トゥーイは次の手段を指先、救急箱の中身へと検索していた。
取り出したのは針と糸であった。
針の尻に金属質の糸をくくり付け、縫い合わせるための準備を速やかに整えている。
そうして特に迷いの無い動作のままで、トゥーイはキンシの皮膚に針の先端を挿入させていた。
柔らかい肉が硬い突起物をすんなりと受け入れている。
しかしそれは部分にだけ限定されているもので、キンシ本人の感覚としてはとてつもない苦痛を伴うものであるらしかった。
「ふぎぎ、ぎぃいー……」
奥歯をぎりぎりと噛みしめながら、キンシは縫合の痛みに耐えていた。
「おいおい、麻酔とかしなくていいのかよ」
何の前触れもなく始められた縫合手術に、シイニが苦虫を噛み潰したかのような声音を魔法使いらに送っていた。
自転車の彼からのもっともらしい指摘に、返答を用意していたのは術中にいるキンシの声であった。
「大丈夫ですよ、不快感を感じるだけで、痛みはあまり感じないものなんです」
脂汗を額の辺りから大量ににじませながら、そう主張している。
キンシの様子を見るに、彼女が述べている内容はあまり信憑性が持てそうになかった。
「とても、そんなふうには見えないんだが……?」
シイニが心配をするかのような声音を使っている。
彼が見ている先で、トゥーイは引き続き迷いの無い動作で傷口の縫合を行い続けていた。
「…………」
無言のまま、眉間にかすかな皺を寄せている。
青年の血色の悪い顔には汗は浮かんでいない。
そのかわりと言わんばかりに、彼の右頬を断絶する傷痕、ホッチキスで止めたかのような傷跡が室内の光をチラチラ、キラキラと反射していた。
「痛みをあまりかんじないって、どういうかんじなのかしら?」
メイが消毒液の瓶を握りしめたままで、魔法使いたちに単純な疑問を投げかけている。
それにも、キンシが弱々しい声音で受け答えをしていた。
「うーん、なんて言うか……触られているって感覚があるだけで、深く考えない限りはそれ以外何も感じられない。って感じでしょうか」
簡単かつ簡略なる説明をしようとして、しかしてキンシは言葉の途中であきらめたかのように溜め息を吐きだしている。
「すみません、僕にもよく分からないんですよ」
「そう……」
期待した回答が求められなかった、メイはまずそこに残念そうな返事だけを魔法使いの少女によこしていた。
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