焦らないで舌だけを入れて
怪物の動きがそれで完全に止まった訳ではなかった。
もちろん、メイの発した弦の音色は怪物の動きに多大なるダメージをもたらしていた。
弦の音の衝撃波をもろにくらった、怪物の群れは推進力の大部分を削り取られていた。
「ああぁぁ ああぁぁ ああぁぁ」
震動を受け流す方法も知らないままで、怪物たちはただただ素直に魔力の波を全身に受け止めている。
衝撃によって損なわれた前進の力を、そこにトゥーイがすかさず腕力を発揮しようとしていた。
トゥーイは鎖によって構成された銀色の網、怪物の群れを捕らえているそれを強く後ろに引いていた。
新しい引力に導かれるまま、ひと塊にされた怪物たちがアスファルトの上に叩きつけられている。
「ああぁぁ ああぁぁ」
ため息のような呼吸音と共に、硬いものが砕かれる音色が空間に連続する。
ガシャン! ガシャン!
一回二回、三回目を向かえる頃には、怪物の群れはおおよその活力を叩き潰されていた。
怪物の群れが動きを止めた。
まだ微かに生命の気配を残している、ひと塊をトゥーイがその紫色に輝く視線で見下ろしている。
視線、それは穏やかさに満ち足りた気配を含んでいた。
倒したばかり、命を奪ったばかりの敵に対して、魔法使いは憎悪や嫌悪よりも、終わりゆく全てに名残惜しさを抱いているようだった。
魔法使いの感情、その理由をメイは求めたくなった。
「トゥ」
青年の名前を読んで、彼に「一体何を考えているのか?」それについてを質問したくなる。
だが、幼い魔女は自分の些細な欲求よりも、まずもって優先すべき事柄をすぐさま思い出していた。
「キンシちゃん!!」
青年の名前を呼んだ余韻もそのままに、メイは急いで魔法使いの少女の様子を把握しようとした。
メイは右手に弓を携えたままの格好で、地面の上に横たわっているキンシの方に駆け寄っている。
「キンシちゃん……?」
メイが恐る恐る少女の名前を唇に呼んでいる。
繊細なガラス細工を扱うかのような、そんな手付きでキンシの体に触れようとしている。
事実、キンシの体はたった今、ガラスよりも慎重な対応を必要とするであろう、そんな状態に陥っていた。
主に体の左半分を中心に、怪物によって負わされた切り傷がまだ鮮度を保ち続けている。
どくどくと血液をこぼしている。
特に左腕にいたっては、まだ腕としての機能が残されているのか、それすらも怪しい部分がある。
肉の大部分はウロコによって切り裂かれ、少し皮膚をずらせば中身が、赤色のなかに白い骨が覗けてしまえそうだった。
「はやく……! つなげなくちゃ……!」
横たわる魔法使いの少女を前に、メイがなす術を思い付けないで、とにかく慌てふためくことしかできないでいる。
そうしていると、彼女の背後からトゥーイが腕を伸ばしてきていた。
「…………」
トゥーイがキンシの体を軽々と持ち上げている。
そうして、魔法使いたちは再びの帰路を余儀なくされていたのであった。
もう一度自宅に帰る。
その途中にて、トゥーイは崖の上にある一軒のパン屋に立ち寄っていた。
「提案をする」
キンシの体を抱えたままで、トゥーイはメイに何事かを要求していた。
「波の波間に必需品を集約させることを望む」
脈絡の無い言葉にしか聞こえない。
メイは言葉をそのままコミュニケーションの手段として考えるよりも、もっと単純な方法で青年の意向を予測しようとした。
「シグレさんの……パン屋さんでなにか、もらってくればいいのね?」
メイの予想にトゥーイが言葉で返事をしようとして、しかしすぐに考えを改めている。
「……」
うなずきだけをシンプルに返している。
メイは青年の動きを見ながら、考えられるだけの予想を手早く舌の上に用意していた。
「キンシちゃんの……、体をなおすためのどうぐを、もってくればいいのかしら」
トゥーイがうなずくと同時に、メイは素早く崖の上の一軒、シグレが経営するパン屋へと足を走らせていた。
メイがシグレのパン屋に足を運ばせている。
すると彼女の左側、少し後ろ側からシイニが彼女に話しかけているのが聞こえてきた。
「しかしながら、よく分かりましたね」
「シイニさん!」
話しかけられると思っていなかった、メイが驚いたように白い羽毛をブワワ、と膨らませている。
「待っていても、よかったのに……」
言いかけたところで、メイは自分の提案に空けられた穴の存在に気づかされている。
「そうは問屋が許さない、なんだよ」
メイが口をつぐんでいる、その動作に重ね合わせるようにして、シイニが鈴をチリン、と鳴らしている。
「まあ、この場合は魔法使いが許さない、と言った方が正しいのだろうね」
「正しい、というより、そのままって感じね」
もしかしたら冗談の一つだったかもしれない言葉を、メイは対して注目することなく受け流している。
幼い魔女がそっけない態度をつくっている。
シイニはそこに、どこか笑みを含ませるような言葉を重ねてきていた。
「あそこまで怒るってことは、あの女の子は彼にとって相当大切な存在であるってことになるね」
シイニが予測をしている。
メイは最初、ほんのひとときの瞬間、彼が誰のことを言っているのか把握できないでいた。
少しの間、黙って考えていた。
魔女と子供用自転車の姿をした彼、二人の間に小規模な沈黙が訪れている。
「そりゃあ、あの子にとっては残された最後の家族、だからね」
彼女と彼の隙間を縫うようにして、新しい声色が会話に参戦していた。
「シグレさん!」
メイが視線を上に向けようとして、しかしすぐに動作を改めていた。
メイを見上げる格好で、白色のウーパールーパーと思わしき造形の生き物が彼女らに話しかけていた。
「いらっしゃいませ。今日は、またどんな厄介事を運んできたのかね」
すでにトラブルが起きていることを想定している。
メイはパン屋の店主の理解力に身を委ねるように、たった今自分がここに存在している理由についてを説明した。
「なるほど」
サッカーボールよりもいくらか大きい、それほどの体を動かしながら、シグレはメイの供述に納得を返している。
「じゃあ、ウチで用意できるキットを渡すから、しばしお待ちを……」
「? ええ、わかりましたわ」
メイが具体的な想像を追い付かせるよりも先に、シグレは店の奥へと体を素早く移動させていた。
待機時間。
またしても静かな空間が、メイとシイニの間を満たしていた。
「ほうほう、これはなるほど……」
シイニが自転車の姿のままで、車輪を店内にて回転させている。
乗り手のいない自転車が、独りで勝手に動いている。
メイはあらためてその光景に、静かな驚きを覚えそうになっていた。
幼い魔女が再認識をしている。
そこに、シグレの声が新たなる情報をもたらしていた。
「キンシ君は、あれでなかなかに大変な生き方を選んでいるんだよね」
店主の声に反応するように、シイニは車輪の動きを止め、メイは漂わせていた視線を声のする方角に固定している。
「あの娘さんは、どうしてこの灰笛で暮らすようになったんだろうか?」
シイニがパン屋の店主に質問をしている。
灰笛という名前をもつ、地方都市に暮らすこと。
怪物という危険が日常に存在し、それに対応する「魔法使い」が職業として通用している。
そのような環境に、少女が生活の場を固定している。
理由について問われた、シグレは何ら特別さを含ませることなく、平坦とした声音で返答をしていた。
「亡くなった父親のあとを継いだんだよ」
シグレが語る。
「ほんの数年ほど前のことだったかな。赤ん坊をつれたキンシって名前の若い魔法使いが、この灰笛で暮らすようになって……」
「ちょ、ちょ……ちょっとまって」
穴の空いたビニール袋のように、新しい情報がシグレから提供されている。
状況にメイが戸惑っている。
しかしてその動揺は、どうやら彼女にだけ限定されているものでしかなかった。
「そのキンシ、さん? は、キンシちゃんのお父様、ということになるのかしら?」
「ややこしや、だね」
メイが懸命に頭のなかを整理しようとしている。
その左隣でシイニが少し愉快そうに呟きを口にしている。
彼と彼女の戸惑いをよそに、シグレはとある魔法使いの過去についてを淡々と語っていた。
「どこから来たのかもわからない、結局最後まで自分のことを話したがらない。そんな人だったよ、先代のキンシさんは」
しばらく思い出していなかったことを思い返している。
シグレはかつてこの土地に存在していた、ひとりの魔法使いのことを簡単に語っていた。
「娘さんの養育費を稼ぐために、毎日、毎日、身を粉にして怪物の相手をしていたもんだが」
「それがどうして、今はあの娘さんだけになってしまったんだろうね?」
パン屋の店主に返事をするようにしている。
だがメイは、そのシイニの言葉が自分に、そして自分を構成している多数の要素に向けられていることを察していた。
「私は……」
メイは雨に濡れる合羽の袖を握りしめながら、独り言のような現実を呟いた。
「あの子たちのことを、あまりよく知らないのね」
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