部屋に小さい蜘蛛一匹に食べられたい
帰路に着く。
とはいえ、魔法使いのそれらが使う道は、やはり「普通」のそれとは大きく異なっているものだった。
「…………」
トゥーイが無言のままで、大きく跳躍をしていた。
それは跳び上がる事には変わり無い。
だが、その滞空時間は常人のそれとは著しく解離しているものだった。
トゥーイは魔法によって軽減させた落下スピードで、いったん足を落ち着かせるための場所に目処を着ける。
そうして降り立った、建造物の屋根が人間二人ぶんの重さを受け止めていた。
トゥーイの腕のなか、抱えられているキンシがため息を吐き出した。
「ふひー、だんだん眩暈がしてきましたよ」
キンシはトゥーイによって、マグロのように抱えられている。
彼女は体重のほとんどをトゥーイの腕に預けたまま、かすむ視界のなかで彼に話しかけている。
「油断してしまいました、もっと警戒すべきでしたね」
キンシが後悔を語っている。
口調こそはぐらかすようにしていながら、声音はすでに消え入りそうなほどに小さく、細くなりつつあった。
思った以上に体力の磨耗が激しそうである。
トゥーイに抱きかかえられている、キンシにメイが話しかけていた。
「たいへんだわ!」
メイは、彼女が属している種族特有の、魔力によって構成される翼を大きく震わせている。
白色の翼でホバリングしながら、メイは爪先を電信柱の頂点辺りに落ち着かせようとしている。
バサバサと羽ばたいた後で、メイの姿が電信柱の上に留まっている。
重さは幼女一人……だけではなかった。
メイの両腕に抱えられている、子供用自転車から男性の声が伸びてきている。
「申し訳ない、まさかここまでの被害が出るとは思わなかったもので」
自転車から、男性の声で謝罪の言葉が伝えられている。
謝っているのは、キンシの現状の一因がその自転車に、彼に関係しているからであった。
「シイニさん」
自転車の彼の名前を呼びながら、メイは腕の中にある彼の体を抱え直している。
メイに名前を呼ばれた、自転車の姿をした彼が謝罪の続きを言葉にしている。
「ここまで強力な防護術式が組み込まれていたとは、当方も知り得ぬ状況だったもので」
口では申し訳なさそうにしている。
だがメイは、今回ばかりは彼に対して同調をするような言葉をおくれないでいた。
「ほんとうに、あなたがもっとチュウイカンキ、してくれれば、こんなことにはならなかったのに……」
メイとしてはかなり強めの嫌味でいびる、そのつもりだった。
だが、今回の場合には魔女の攻撃は相手にあまり意味を為さなかったらしい。
素知らぬ顔、……と言っても顔そのものが存在していないため、言葉か鈴の音以外にシイニが気分を動かしている、その証拠は現状確保できそうになかった。
それも含めて、さらに被害者であるキンシが別の話題を弱々しく用意していた。
「しかしながら……ですよ? あんなに強力な防護術式を、メモ用紙一枚に用意できてしまえる、そんな技量をもつ魔術師が、シイニさんの知り合いにいるなんて……」
トゥーイの腕の中でぐったりとしていながら、キンシは口先だけでも好奇心のおもむくまま、知的欲求に素直な様子を見せている。
魔法少女の好奇心もそこそこに、トゥーイは再び跳躍による帰路を再開していた。
「…………」
建造物の屋根から別の屋根へ、トゥーイは魔法によって増幅させた跳躍力で素早い行動を起こしている。
「あ、まって! トゥ!」
ピョンピョンと跳んでいく、青年の後ろ姿を追いかけて、メイは翼を大きくひらめかせた。
家の方角は、バーチャル地球儀アプリに頼るまでもなく、トゥーイの鼻腔がその方角を把握し尽くしていた。
ヒクヒクと鼻の穴を蠢かせ、トゥーイはキンシが住まいとしている場所を無言の中で検索し続けている。
青年の鼻腔や柴犬のような造形をしている聴覚器官が、真っ直ぐ一つの方向に向けられている。
雨足は彼らの帰路を煽るか、それとも阻害しているのだろうか、どちらにしても粒の重さと存在感をより強いものにしている。
ざあざあと振り続ける雨。
水の気配が全ての人間、その意識の周辺を満たしている。
濃密な水分の気配の中で、しかしてシイニが目敏く変化に気付いていた。
「おや……? 潮の香りがするな……?」
シイニが働かせた感覚は、とりあえずのところ合致に至っていた。
「これが、家なのかね?」
海岸線、目下に潮の騒ぎが見える崖の側面。
そこに幾つも空けられた穴、そのうちの一つが魔法使いたちの住居であった。
光景を見た、シイニが住居に対するコメントをしている。
「これはなかなか……、なかなかに個性的なご自宅でございますね」
あからさまに戸惑っている、困惑は魔法使いたちに対する皮肉とも受け取れる。
「そうなんですよねー」
だが、どうやら住居に暮らしている本人、キンシには彼の皮肉は通用しなかったようだった。
「もう少し湿気の少ない場所に移動したいんですが、しかしなかなか土地が許してくれそうにないんですよ……」
開けられた扉の奥に運び込まれながら、住居の主であるキンシが力なく感想をこぼしていた。
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