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子猫はカレーの香りを嗅ぐ、だけどお腹は空かない

 用意された食事。

 それはカレーライス、としか形容しようのない、見事なまでにカレーの姿かたちをした料理であった。


 すでに食前の挨拶をし終えた、ハリが早速匙で皿の中身をすくい上げている。


 机の上にあらかじめ用意されていた食器。

 それは清潔そうな銀色の匙で、丸みのある小さな受け皿が料理の重みをたっぷりと受け止めている。


 匙の上にのせられた。

 カレーは白米にほどよく絡み合い、ルーと米が合わさった湯気が空気に新たな香りを生み出している。


 重さに時間をかけることなく、なにかに急かれるようにして、ハリは口のなかに匙を入れ込んだ。


 もぐ、もぐ。

 租借をするや否や、ハリは料理にこもる温度に小さな拒絶をおこしていた。


「あつつ……っ!」


 出来たての料理に起こす反応としては、まさにテンプレートといった様子である。

 魔法使いがなんの疑いも抱くことなく、普通に食事に参加をしている。


 ルーフがその様子を不思議そうに眺めている。

 その間にも、アゲハ家では次々と食事の場面に進展を起こしていた。


「さて、オレらもいただくとしましょうぜ」


「そうやな」


 エミルとミナモが、それぞれに簡単な相槌を打っている。

 二人の男女は互いに隣り合うように座っている。

 というのも、対面する位置にある席は、ただ今ルーフとハリの二名によって埋まっているからだった。


 男と女が口を動かして食事をしている。

 その様子を見ながら、ルーフもまた食事の場面に参加する表明を指先に起こす必要があった。


「…………」


 匙ですくい上げた、料理を口元に運んでいる。

 熱が唇に触れる、さし入れた道具を満たす食材、料理の質感が口内に張り巡らされた感覚器官、そこに認知されている。


 静かな気付きが幾つも起こる。

 感覚の中で、ルーフは抱いた意識をすぐに言葉にしていた。


「……美味しい」


 それは心からの感想だった。

 例えば社会的に必要とされる礼儀、言い訳、社交辞令のようなものを考えるくらいの余裕はあったように思われる。


 後から考えても言い訳のようなものにしか聞こえない。

 しかしてそれらの事情を全てまるく包み込むように、味覚が単純な喜びだけを強く主張していた。


 気がつけば、次の瞬間には二口目を口の中に入れている。

 香辛料、計算された辛さが皮膚の表面に心地よい熱を灯している。


 よく味の染み込んだじゃが芋を噛むと、ホクホクとした触感に口内の組織全てが嬉々とした電流を巡らせていた。


 その他の具材はどのような味をしているのだろうか?

 検索の指を伸ばし、匙が皿の上を何回も滑る。


 そうしているうちに、いつのまにやら皿の中身は空になっていた。


「……はぁ」


 食事に関しては、かなり満足の行くものであったことを認めなくてはならなかった。

 すっかり素直に食事を楽しんでしまった、ルーフは自分の感覚に静かな驚きを抱いていた。


「ぷふー。ごちそうさま、です」


 満足そうなため息を吐き出しているのは、ハリの声と姿であった。


 アゲハ夫妻の暮らす住居にて、ハリという名前の魔法使いはお相伴のようなものをあずかっていた。


 腹を満たした、満足感にしばしの幸福を味わっている。

 そんな魔法使いに対して、家の主であるエミルが簡単な受け答えをしていた。


「はいはい、どーも。お粗末様です」


 それだけの事を言った。

 エミルは視線を魔法使いからそらし、彼の右側に座っているルーフに声をかけている。


「少年は、おかわりとかは必要ないな?」


 すでに食事の場面がだいぶ熟している。

 そういった状況を意味する、言葉を聞きながら、ルーフは右手に握っていた匙を少し動かしている。


 カチャリ。

 空になった皿の白色と、使用されたばかりの匙の銀色がかすかな音色を立ててぶつかり合った。


「ごちそうさま、です……」


 食事の終わりを素直に認める。

 しかしてそれだけの言葉では足りないだろうと、ルーフは追加の感想を言わなくてはならない必要性にかられていた。


「おいし、かった……です」


 ごくごく短い、簡単なる称賛の言葉を口にしている。

 しかしながら、ルーフは自らに配された食事にそれ以外、それ以上の称賛を見つけられないでいた。


 少年が賞賛をしている、するとそこにエミルの声が静かに帰ってきていた。


「それは、よかった」


 自らが作成に参加したものを褒められた、エミルはただその事実を喜ばしいものと認識しているようだった。


「秘伝のレシピが効いたようで、お姉ちゃんも喜ぶだろうよ」


 突然登場した人物に、ルーフは最初知った関係性の人間を当てはめようとしていた。

 てっきりミナモのことを指し示しているのかと、そう思い込もうとする。


 しかし考え付いた想像を、ルーフはすぐに自らの手によって否定していた。

 何故ならエミルの視線はミナモの方ではなく、もっと別の、ここでは無い何処かに向けられていたからであった。


 エミルが引き続き、自らが継いだ内容のいくつかについてを語っている。


「ずっと昔にオレが食べさせてもらったものを、こうしてオレ自身が他の誰かにふるまう日が来るなんてな」


 感慨深そうなセリフを口ににしながら、エミルは湯飲みの中の麦茶をごくごくと飲み干していた。

 彼が感動のようなものを噛みしめている、するとそこにハリの声音が伸びてきていた。


「そうですねえ、かつてのティーンエイジャーであった頃のあなたとして考えると、これは驚くべき進歩ですよ」


 ちょっと昔の事を懐かしむようにしている。

 ティーンエイジャー、つまりは十代ということになるのだろうか?


 せいぜい二十代もろくに終えていないというのに、そんな昔の事に感慨深そうにしている。

 光景を面白いと思うのは、おそらくルーフ自身があまり若者と関わり合いを持たなかったから、と考えられる。


 そんな、少年が独りで勝手に自己分析をしている。

 するとルーフの元に、新たなる提案が用意されていた。


「ご飯も食べたし、あとは怪我人はゆっくりと休むべきよね」


 まるで誰かに確認をするかのようにしている。

 ミナモがルーフに向けて、次の行動の指針を提示していた。


「お風呂とか、誰かに手伝ってもらうべきよね」



 まるでミナモ本人が手を貸さんばかりの勢いに、ルーフは割かし直球の拒絶を用意する必要性に駆られていた。


 もちろん、この体で行うべき洗浄のやり方は、古城でのリハビリにてある程度教え込まれている。

 それこそひとりでシャワーを浴びるくらいの技能は、ルーフ一人でも用意することが出来ていた。


「なんか困ったことあったら、遠慮せずに言ってやー?」


「分かったんで、早く外に出てくれませんか」


 もしかすると着替えの世話もやらされそうだった。

 妹以外の女に手前(テメエ)の肌をさらすわけにはいかぬと、ルーフは急ぎミナモを浴室から追い出す必要があった。


 なんやかんやで、ある程度は古城にて教えられた程度に洗浄行為を行えた。

 

「はぁ……」


 頭部に泡立てたシャンプーをあらかた洗い流した。

 その後に、ルーフはようやく一息ついたような溜め息を口から吐き出していた。


 体が温まった所で、ふと浴室の扉の辺りに違和感を覚えている。


「……ん?」


 硬いものが扉の表面をひっかいている。

 ルーフは椅子の上で器用に体の向きを変えている。


 するとそこには、ミッタがその小さな爪でカリカリと浴室の扉をひっかいているのが見えていた。


「ミッタ……」


 彼女の存在に気付いた、ルーフは扉に触れかけていた指を寸前で止めている。


「悪いが、風呂ン中にお前を入れるわけにはいかないんだ……」


 彼女の要望を否定している。

 しかしながら、少年の提案は「彼女」の手によって否定されることになった。



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