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襲う君だけにスタンプをおそう

 呼吸をいくらか取り戻した。

 比較的クリアになった視界の中で、ルーフは自らの体の中から吐き出されたそれを見つめている。


「…………」


 眺めの沈黙を含ませながら、ルーフは左手の上に眠る「それ」もっと近くで見ようとした。


 より具体的な情報を求める。

 そのために、ルーフは右の手の平を顔面がある方に近づけていた。


 吐息と熱をそれぞれに感じられる、それほどに距離を詰めた。

 その辺りで、少年の右手の平の上に眠っていた「それ」が目を冷ましていた。


「!」


 パッと目蓋が開かれた。

 黒い液体にまみれていた部分から、みずみずしい白魚のような眼球が覗いている。


 動作を見ていた。

 それはルーフひとりに限定されているわけではなかった。


「うわ?!」


 感嘆符と疑問符がない交ぜになった声を発している。

 ハリという名の魔法使いは、しかしてどうやら少年の手の上にあるモノにいくつか見当があるようだった。


「それって、もしかして……」


 ハリが予想を口にしようとした。

 他者の言葉によって、具体的な存在の情報がもたらされようとしている。


 だが、魔法使いの声が空気を振動させるか否か、結果としては曖昧なままに終わった


 なぜなら少年の手の平から「それ」……、小さな生き物が逃げ出していたからだった。


「! ! !」


「……え?」


 素早さは目が覚めるかのようだった。

 一陣の風が吹き抜けるかのような、そんな感覚、そして重さを失った空虚だけがルーフに残されていた。


 数秒、秒針が二つほど時を刻んだ。

 その辺りになって、彼らも状況を理解しはじめていた。


「逃げたで!」


 そう叫んでいるのは、ミナモという名の女であった。

 彼女の声を皮切りに、ルーフも生き物の逃亡にアクションを起こしていた。


 ミナモが視線で追いかけようとしたものを、ハリはすでに視界の内に認識し続けていた。


「そっちに行きましたよ!」


 言葉で分かりやすく説明するよりも、ハリはとっさに身振り手振りで場所を表現していた。


 魔法使いがどの場所を指し示していたのか。

 彼の動作に注目をしていなかった、ルーフには知り得ぬ情報でしかなかった。


 どのみちまほうつかいに場所を指示されずとも、ルーフはすでに逃亡者の居所を把握していた。


「待て!」


 ルーフはそう叫ぶ。

 声を発したあとで、しかして少年はすぐに自身の言葉遣いヲチ改めようとしていた。


「あ……いや、違うんだ」


 どうして自分の言葉を否定しているのか、何故訂正を加えようとしているのか。


 理由の幾つかを考えるよりも先に、ルーフは自らの体を実行に移している。


「お願い……、そう、お願いがあるんだ」


 少年の様子に、ハリとミナモが不思議そうな視線を向けている。

 しかしながら、今は奇妙なほどに他者の視線を意識せずにいられている。


 理由は、これもまた明確なものでしかなかった。

 他人からの視線以上に、ルーフは逃げようとしている「それ」とのコミュニケーションを優先していた。


「お願いだ、逃げないでくれ」


 会話を交わそうとしている。

 行動の中で、ルーフは自身が懇願(こんがん)している、その姿をどこか客観的に眺めていた。


「もう……何もしない、何も願わないから」


 言い訳のようなものを口にしている。

 言葉の中、音声を発するごとに、ルーフは「それ」がなんであるかを新しく知ろうとしていた。


 小さくうずくまっている、それは小さな獣のような姿をしている。

 四本の脚、前と後ろにそれぞれ二本ずつ生えている。


 見た感じは哺乳類のように見える。

 生き物が、トコトコと遠慮深そうにルーフの元へと近付いてきていた。


 前脚が地面を踏みしめている。

 なついていない獣をエサで釣るような挙動に、ルーフは客観視の中で軽く戸惑うかのような感覚を覚えていた。


 生き物、けものがルーフの足元、車椅子の車輪のほうに近づいている。

 そこまで接近したところで、ルーフはけものに指を伸ばそうとした。


「! !」


 相手の動きに合わせて、けものは再びの警戒心を抱こうとしている。

 しかし今度は無闇に近付こうとはせずに、ルーフはあくまでも相手の動向に合わせる挙動を保ち続けている。


 逃がしてはならないと、ルーフはできる限り息を殺してけものに指を伸ばしている。

 だいぶ警戒心を削ることには成功したようだった。


 しかしここで問題が一つ浮かび上がる。

 車椅子に座ったままの格好では、この小さなけものを地面から抱え上げることが出来そうになかった。


 ルーフが困ろうとした。

 しかして実際に感情を表明するよりも先に、ハリがけものの体を抱え上げていた。


 膝を曲げて腕を伸ばし、指の間にけものの重さを包み込んでいる。

 動作はごく自然なもので、まるで怪物と対峙をしているかのような、そんな滑らかさがあった。


「あ」


 自分がしようと思っていた動作を、魔法使いに先取りされてしまった。

 驚いたのは何も、ルーフひとりだけに限定されたわけではなさそうであった。


「kikikikikikiiiii!!!!」


 突然の行動に、一瞬こそ体をあずけてしまっていた。

 けものが、ハリの手の中で盛大にあばれようとしていた。


「うわわ、落ちついてください、落ちついてください」


 言葉で説明してもどうにもならぬことを、しかしてハリはご丁寧に唇に発している。

 そうしている間にも、けものは魔法使いの手の中から逃れようと体を激しく動かしていた。


「kIKKIKIKIKIKI!!!!」


 けもののなきごえ、まるで子猫のような音程が周囲の空間を振動させている。

 とても落ち着きそうにないそれを見た、ミナモが一つの提案をハリとルーフに伝えていた。


「とりあえず、よ。このままじゃかわいそうだから、どこか落ち着いたところでキレイにしてあげないと」


 そう提案している。

 彼女の意見を聞いた、そこでルーフもようやくけものの状態に意識を巡らせられていた。


 確かにその獣はとても、それはもうとても汚れていたのである。

 ルーフの体から吐き出された時の粘膜の他、その体には大量の白い綿ボコリのようなものが……。


「うわあ、これプランクトンか?」


 ハリの手の中で、そろそろ暴れるのにもつかれ始めているけものの姿を見ている。

 ルーフが、その体表についている「汚れ」に小さく驚いていた。


「何でまた、こんなにも大量のプランクトンが……?」


 ルーフが疑問に思っていると、ハリがなんてことも無さそうに解説を加えていた。


「知らず知らずのうちに、ルーフ君が吸い込んでしまっていたものが、この子に集まってきていたようですね」


 そんな塵ゴミほどに小さい怪物(ぷらんくとん)もいるのか。

 と驚くよりも、ルーフはけものの体表に付着しているそれらを、指で排除しようとしていた。


 フワフワと綿ボコリのように付着している。

 見た感じは簡単に摘まめそうなそれが、しかして実際に触ってみると砂の塊のように崩れてしまっている。


 清めようと、触ろうとするほどに、むしろ汚れの範囲と度合いが広がり深まっているような気がする。

 ルーフが慌てていると、彼の右側からミナモが提案をしていた。


「とにかく、ウチに持って帰りましょ」


 

 と、いうわけでアゲハ家の住居に移動していた。


「おええ……」


 外側から内側に移動した。

 環境の変化がそうさせていたのか、あるいは何も関係なくとも、ルーフは住居に辿り着いた途端に再びの吐き気に襲われていた。


「大丈夫ですか、ルーフ君」


 風呂場の床に膝の皮膚をつけながら、ハリが気の抜けた様子でルーフのことを心配している。


「もし必要なら、ここにある桶に吐きだすべきですよ? その方が楽になるかもしれません」


 提案をしながら、ハリは近くに置いてある桶に手を伸ばしている。

 長ズボンを膝までにまくり上げている、裸になった膝が柔らかく風呂場の床に触れ合っている。


 魔法使いの彼から手渡されようとしていた。

 しかしてルーフは、魔法使いからの提案を受け入れようとしなかった。


「いや、大丈夫だ。……それよりも」


 風呂場の外側から、ルーフは車椅子に座ったままの状態で浴室の内部に視線を向けている。

 そこではハリと、そしてミナモが腕まくり裾まくりをしながら、シャワー等々の洗浄器具を使用している最中であった。


「石鹸、人間用のやつで大丈夫かしら?」


 シャワーの温度を調整しながら、ミナモがハリに質問をしている。

 一応対象は怪物ないし怪獣のどちらか、ということになる。


 であれば、常日頃からそういったモノたちを対象に仕事をしている、専門家と呼ぶべき魔法使いに質問するのも自然なことなのだろう。


 だが、どうやらハリの方は彼女の期待に応えられそうな気配を見せていなかった。


「さあ……? どうなんでしょうね」


 調子を合わせたテキトーな返事を用意することも無く、ハリは思うがままの疑問だけを返事の上に用意していた。


 事実、魔法使いにとってもこの状況、たったいま対応をしている事物は未知の事柄でしかないらしい。

 桶に水を溜めた、ハリは中身に連れてきたけものをそっと沈めていた。


 チャプン、と小さな体が人肌ほどにぬるい湯の中に使っている。

 温かさに反応した、けものの塊が小さく呼吸を繰り返している。


「--‐‐‐‐‐-」


 湯に触れている。

 最初こそ拒絶の色を見せていたが、しかしてあまり時間をかけることなく体の緊張をほぐしていた。


 体表に付着しているプランクトンの粒、あるいはこびり付いていた黒い粘液、様々な汚れが風呂桶の中に満たされた水分へにじんでいく。


 分かりやすく汚れが落ちていく。

 その様子は、まさしく小さな爽快感を覚えさせるものでもあった。


 ミナモが手元に石鹸を、液体状のボディーソープと思わしきものを水に溶かし込んでいる。

 薬剤を入れられた、ぬるま湯が更なる洗浄能力を付加される。


 白色のシャボンがさらに汚れを落としていく。

 泡が発生する水の中で、けものはさらに本来の姿を取り戻していった。


「kikiki...ki--」


 やはり生まれたての子猫のような、それでいてどこか違和感のある鳴き声、……いや、音声のようなものを発している。


 怪物の体表は、綺麗な灰色をしていた。

 

「…………」


 その灰色はルーフにとって、とても見覚えのある色だった。

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