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お口の中に虫が入る、奥歯で噛み締めよう

 その何かとは、何であるか?

 端的かつ率直な表現をするならば、それは一匹の羽虫のようなものだった。


 小さい生き物。

 しかしてルーフは、それがいわゆる羽虫と呼称される生物でないことをすでに把握していた。


「何か、()()みたいなものが集まってきたぞ?」


 疑問を口にしながら、ルーフは続々と集まってくるそれらを片手で振り払っている。


 少年の右手が揺れ動いている。

 その動作を右斜め下、車椅子の上に認めている。


 ハリという名前の魔法使いが、彼の疑問点についてを簡単に語っていた。


「プランクトン、のように小さい怪物ですね。やっぱり集まってきてしまいましたか」


 当然の帰結を語るようにしている。

 ハリは自分の体表にまとわりついている、それら振り払うようにしてをやり過ごしていた。


「いましがた殺したばかりの、怪物さんの血液を求めておいでなさったのですよ」


 そう説明をしている。

 魔法使いの言う通り、プランクトンの群れは怪物の残滓(ざんし)を求めて集合をしているようだった。


 ヒラヒラとただよい、フラフラと地面の上に降り立つ。

 プランクトンの群れは、確かにアスファルトの表面に付着しているものを求めているようだった。


 昆虫の羽のような器官が、外界の光を吸い込み反射して、星のきらめきのような輝きをちらつかせている。


 キラキラとしている。

 きらめきが一ヶ所に集まっている。


 その様子は、さながら晴天下の川面のような、ある種の美しさを見出だしそうになった。


「ああやって、残されたものは他の方々に手渡されたりするのです」


 輝きを近くで観察している。

 ハリが、ルーフの抱いた不安を静かに否定していた。


「それに、上から降ってくる雨が、大体のものをそのまま海に流してしまいます」


 言いながら、ハリはその翡翠(ヒスイ)のような色をした瞳を、スッと上に向けている。


 上。

 つまりは雨雲が雨雲がどこまでも、都市の終わりまで続いている。

 空からは、雨がシトシトと降ってきていた。


 雨雲から次々と生成される水の粒が、重力と引力に誘われて、地表へと降り続けている。


 上を見上げている、ハリの眼鏡の表面に雨粒が柔らかく衝突していた。


 雫が頬に滴り落ちる。

 濡れた表面を拭うことをせずに、ハリはルーフに向けて笑みを返していた。


「明日になれば、ここでどなたかを殺した事実も、すぐに忘れ去られてしまいます」


 そういいながら、ハリは唇にそっと人差し指をあてがっている。


「少なくとも、ボクたち以外は、どうとも思わないのでしょう」


 魔法使いがそう主張をしている。

 しかして、ルーフは彼の言い分に素直な同意を返せないでいた。


「そんなもんなのか? それで大丈夫なのか?」


 疑問に思うルーフ。

 そこに、少年にとっても意外な賛同の声が発せられていた。


「わたしも、なんだかちょっとだけ不安よ」


 声のする方、ルーフはミナモという名の彼女がいる方に視線を移動させている。


 首を右側に曲げる。

 目線を上に向ける。

 そこでは彼女がなにか邪魔なものを振り払うような動作をしているのが見えていた。


「さっきから気にならへん? この量……」


 彼女がなにに対して不安を覚えているのか。

 ルーフは、余り考える必要もなく事実を体感させられていた。


「何が…………」


 ミナモに対する疑問を口にしかけた。

 まさに、そのタイミングを見計らったかのようにして、何ものかがルーフの口内に侵入を果たしていたのだった。


「ほぐッ?!!」


 突然の衝撃。

 しかしてルーフは、自らの体内に侵入をしてきた物体に、すでにある程度のめどを立てていた。


「うわあ! ルーフ君!」


 突然悶えはじめたようにしている。

 ハリがルーフに向けて心配の言葉を発していた。


「大丈夫ですか? どうしたんです突然?」


 どうやらこの魔法使いは、怪物の跡地に注目をしすぎていたらしい。


 魔法使い側からしてみれば、少年がなんの前触れもなく悶絶をしたようにしか見えないのだろう。


 しかしながら、ルーフの身に起きた異常事態は、なにも完全に彼のみに限定されているわけでもなかった。


「プランクトンよ!」


 緊急事態に混濁する意識のなか、不思議とミナモの声だけがはっきりと聞こえてきていた。


 嗚呼、こんな緊急事態でも、女の存在だけは意識し続けられている。

 ルーフは自分の認識能力に呆れを覚えそうになっている。


 とはいえ、それで現状が解決するわけもなかった。

 つまりは、口のなかにプランクトンの一匹、それもなかなかに特大サイズのそれが侵入してきた。


 事実をルーフ自身が認めるよりも先に、口のなかのプランクトンは更なる探求の手を喉元に伸ばさんとしていた。


「う……! げほッ!! ごほッ!!」


 唾液と食物、あとはいくつかの水分にしか許されていない領域。

 いよいよ本当の意味で、入ってはいけない部分に異物の侵入を許そうとしている。


 ルーフの体は思考を働かせる以上に、もっと、最も基本的な防衛本能にガタガタと震えていた。


 悪路を行く装甲車よろしく、激しく振動しているルーフの体。

 時間の経過、秒針が刻まれるほどに苦しさは倍々で増え続けていた。


 軽かったはずのものが、次の瞬間には多大かつ重大なる苦しみに変わっている。


 耐えきれなくなった。

 ルーフはついに、口の内側にあるものを外側に吐き出していた。


「お、えええ…………」


 嘔吐をしている。

 こぼれ落ちてしまったものを受け止めるようにして、ルーフは唇の近くに手を添えている。


 ドロリドロリ、と中身からこぼれ落ちているモノたち。

 ルーフは涙でにじむ視界の中で、自らの左手に溜まるそれを見下ろしている。


 てっきり赤色か、あるいはそれ以外の色、せめて体の色に属した色を含んでいると思っていた。


 しかしてそれは、少なくともルーフ本人が考えうる色の、そのどれにも属してはいなかった。


 であれば、何色なのか?


「黒色ですね」


 答えを言葉に用意していたのは、ルーフではなくハリの声であった。

 声色は無機質かつ無色透明で、必要最低限の感情も見出だせそうにない。


 本当の意味、そのままの意味にて、眼球に見えている事実を確認しているにすぎない。


 言葉を発せられないままでいる。

 ルーフの代わりを担うかのようにして、近くに立っているミナモが魔法使いに返事をよこしている。


「ええ、まるでインクの塊みたい……」


 彼女の声音は魔法使いほどに無機質なものではなかった。

 心配をしている。

 それはミナモにとって、少年の体から吐き出されたものが未知なる存在であること、その証明でもあった。


 女が心配そうに見つめている。

 目線の先で、ルーフは強く意識してまばたきをしていた。


 一回、二回。

 眼球を保護する薄い皮、そこを強く強く上下させている。


 目玉の表面に溜まっていた涙、塩辛い体液が薄い肉に押し出されて雫を形成している。


 ポタリ、ポタリ。

 涙の雫が落ちる。


 かすかに粘度のあるそれが、ルーフの膝の上を暗く濡らしている。

 否、暗さは退役だけに限定されたものではなかった。


 体の中から吐き出された謎の黒い物体。

 水面が表現した通り、それはまるでインクのような暗黒さを有していた。


 喉の奥、食道の終わり、胃液にかなり近い部分から口内へ、まるで源泉のように湧き上がってきた。

 塊は今、そのぬくみをルーフの掌の中にあずけている。


 ルーフは上下に肩を揺らして、荒く呼吸を繰り返している。

 酸素を供給し、二酸化炭素を排出する。


 呼吸の動作、基本的な仕組みを意識的に認識しようとする。

 そうすることで、ルーフはようやく自らの体から排出された、その「生き物」を視界に認める。


 そのための、必要最低限な冷静さを取り戻そうとしていた。

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