次なる場所に移動しなくてはならないだろう
なにもルーフがいきなり、千年の時を生きる仙人じみた寛大なる許しの心を、なんの前触れもなくここで発動させた訳ではない。
実を言うとルーフ自身も、この古城の中で自分がいま、どこにいるのかを把握できていなかったのである。
ルーフは、出来る限り冷静さを装おうとする
そうしていながら、内心は焦りでいっぱいいっぱいになりそうだった。
「実は…………」
長めの沈黙を含ませつつ、ルーフはハリに隠していた事実を打ち明けている。
「俺も、今どこを歩いているのか、分からへんのやって……」
ルーフが、失策と無計画に今更ながらの後悔を抱こうとしている。
だが、車椅子に座る少年が自責の念に駆られているのに対して、ハリはあくまでもあっけらかんとした様子を崩さなかった。
「やっぱり案内人がいないと、ボクらのようなペーペーじゃとても扱い切れないですよねー」
「……? どういうことだ?」
まるでこの状況に至った原因が、明確に他者に存在しているかのように語っている。
ハリの言い回しに違和感を覚えている、ルーフが追及をしようとした。
と、そのところで、彼らの元に別の人影が近付いてきていた。
ルーフより少し早くに、ハリが黒猫のような聴覚器官をピクリ、と動かしている。
猫耳な魔法使いが、こっちに近づいてくる彼女の名前を呼んでいる。
「おや? おやおや、ミナモさんではありませんか」
「え?」
一瞬、その名称が誰のことを指しているのか、ルーフは記憶の中で検索結果を導き出せないでいた。
少しだけ考える。
思考がまともに働くよりも先に、ルーフは視覚器官にて、彼女の姿を認識していた。
それは妙齢の女で、ルーフがたった今仮住まいをさせてもらっている、家庭の一員である彼女であった。
「ミナモ……、さん」
ルーフが名前を口にしている。
呼ばれた、ミナモが気楽そうな返事を唇に発していた。
「やあやあ、二人仲よくそろっているやないの」
「仲よく」、の部分にルーフは幾らかの違和感を訴えかけたくなる。
だが少年が実際に主張を発するよりも先に、ミナモの方が自身の行動についての事情をなめらかに打ちあけていた。
「もう日が暮れるころなのに、ちっとも帰ってこうへんから、心配してお迎えに来たんよ」
古城に訪れた理由を簡単に説明している。
それを聞いた、ルーフは途端に体の中へ申しわけなさを増幅させていた。
「それは、すみません…………」
「なにも、あやまることなんてあらへんよ」
ルーフが肩の位置を低く落としているのを見た、ミナモはゆったりとした動作で否定をしている。
「うちが勝手に心配しただけやから、なんもきにすることあらへんて」
ミナモはそう言ったあとで、しかしてすぐに様子をすこし変化させている。
「……むしろ、気になるのはうちの方よ」
理由と思わしき前提を置きながら、ミナモは質問のようなものを彼らに向けている。
「こないな所で、なにをしとったん?」
彼女、エミルという名前の魔術師の妻である、彼女がルーフとハリに問いかけている。
「何をって……」
質問をされた。
しかしてルーフの方は、彼女の抱いた疑問にうまく理由を見つけられないでいる。
何かと問われれば、何もしていない、としか答えようがない。
道に迷ったと主張するのが、何故かルーフにはとても恥ずかしいことのように思われた。
一度来たはずの道なのに、どこをどうしたら、迷う必要があるのだろうか?
少なくともルーフはそう考えていた。
しかしながら、どうやらハリの方は別にそんなことも思っていないようだった。
「いやあ、それがですねミナモさん、ボクら、道に迷ってしまって」
あっさりと認めてしまっている。
ルーフが首の向きを後ろ側、つまりはハリという魔法使いがいる方向に変えようとした。
しかし少年が実際に、魔法使いへ説明へと文句を発することはなかった。
やはり、それよりも先に、ミナモの方が速やかなる言葉を唇に用意していた。
「あらあ、そうなのー」
穏やかに、平らかに、いたって平常な様子でミナモは魔法使いの失敗を認識しているようだった。
そこに特別そうな性質など、存在していないように見える。
彼女、そして魔法使いの平常心っぷりに、ルーフが怪訝さを覚えている。
あからさまとまでは行かずとも、わりかし分かりやすく変わる少年の表情。
あるいはそれ以外の変化の様子に気づき、行動を起こしたのはミナモが先であった。
「そういえば、ルーフ君はまだあまりよく分かっていないんやったね」
色々な意味が込められていそうな前置きが一つ。
ミナモは、戸惑う少年に簡単な事情説明をしていた。
「これも、この古城の防衛機能なんよ。許可のないひとが勝手に最上階の庭に行けないように、この辺りは迷わせるための魔術式がたっぷりと使われるの」
彼女は当たり前の事柄を彼に教えている。
まるで幼い子供に、横断歩道と信号機の三色についてを教えるかのようにしている。
ミナモの優しい解説に、しかしてルーフはうまい具合の納得を作り出せないでいる。
魔術式とはどんなものなのか?
ルーフが想像を作り出せないでいる。
そんな少年の背後で、ハリが彼の座る車椅子のハンドルから指を離している。
「こういうのは、実物を見せる方が早いって、ボクの友達が言っていました」
ハリが他人の言葉、友人の意見を借りながら、そう主張している。
お前……! 友達がいたのか!
ルーフは疑問に次ぐ疑問に、めまいを覚えそうになる。
実際に、もしかすると意識が混濁に沈みかけていたのかもしれない。
ルーフが次ぎに明確な意識を取り戻した頃には、また別の位置に移動していた。
車椅子の車輪は、あまり多くは回っていなかったように思われる。
事実として、移動した先は相も変わらず古城の内部であった。
濃い灰色の石材によって構成された空間。
古代の遺跡を想起させる雰囲気。
しかしながら、こうしてあらためて観察してみると、何も全てがまるごと石で構成されている訳でもなさそうであった。
「木の根っこがあるな……」
ルーフがそう呟いている。
少年の視線の先には、確かに樹木の根と思わしき器官が存在している。
場所は廊下、と思わしき細長い通路のような空間。
天井を支えるための柱が規則性をもって並んでいる。
橋はの向こうには外界が、雨に濡れる灰笛のパノラマが望める。
とても解放感のある空間。
バルコニーに似た設計のようにも見える
そこには外界と古城の内部を隔てるものはほとんど確認できそうにないことになる。
一応小さな、本当に小さな柵のようなものは用意されてはいる。
だが、それ以外の防衛機能は何も期待できそうになかった。
本当に、ほんの少しの垣根しかない。
右の片足を失ったルーフであっても、少し頑張れば簡単に越えられそうな障害しかなかった。
安全面ではとても不安しかない。
ただひたすらに解放感だけが、空間の大部分を占めている。
そんな廊下、そこでルーフは壁の一部分を視界に認めている。
危険な自由度のあるバルコニーを左側に、右側には壁が続いている。
古城の内部側である、壁には樹木の大きな根が組み込まれていた。
……いや、この表現はあまり現実に正しくない。
対象の持つ主体性を、ルーフは考え直す必要に駆られていた。
壁が取り込んでいるのではない。
根が、樹木こそが壁を、硬い人工物を支配し尽くそうとしているようだった。
樹木の根を見ているのは、ルーフだけではなかった。
ミナモが、片手にスマートフォンを持ちながら、少年に向けて語りかけている。
「この植物自体が、大きな魔術式の一部であることは、もう知っているんやね?」
ミナモは右手のスマホに視線を送りつつ、質問の対象をルーフに固定している。
「ああ、そう……です」
以前として慣れない敬語を使いながら、ルーフはミナモの質問に答えを返している。
「さっきなんて、樹皮の一部を喉のなかに押し込まれました」
話している途中にて、ルーフは再びの嫌悪感を思い出してしまっている。
「治療」の一環として魔術の力を込めた樹皮、消しゴム一個分の大きさがあるそれを口内にねじ込まれた。
少年が不快感を思い出している。
その間に、ミナモはスマホから目線を移動させていた。
「それから、何か変わった様子はあるん?」
なにかしらを確かめるような、そんな口ぶりを作っている。
ルーフはミナモの様子に少し違和感を覚えながら、しかして抱いたものを強くは表現しないでいる。
「いや別に……、特に何もないな」
本当の意味で無、という訳ではない。
ルーフは少しだけの嘘をつきながら、この場合には特に罪悪感を覚えようとはしていない。
「そう」
ミナモは返事をしながら、左の指でスマホに何ごとかを入力している。
「じゃあ、モアちゃんにそんな感じのことを伝えておくわね」
ミナモがそう言っている。
それに対してルーフが、
「え?」
と驚いたような表情を見せていた。
水滴が跳ねるような動作で、ルーフは視線を壁の根からミナモの方へと移している。
そこでは、ミナモがスマホになにごとかを入力しているのが見えていた。
誰に向けて情報を、文章を送信しているのか。
考えるまでもなく、ルーフは頭の中に金髪と青い目を持った一人の少女のことを思い浮かべていた。
抱いた予想を確認する暇も与えずに、すかさずルーフはミナモに一つの確認をしている。
「あいつと、モアと通信をしているの……ですか?」
依然としてぎこちない敬語を使っている。
少年からの確認事項に、ミナモはなんてこともなさそうに受け答えをするだけであった。
「ええ、なんてったってうちはあの子の義理の姉だし、それに、なによりも」
いったん言葉を区切る。
続きの言葉に、ミナモはことさら丁寧な発音を行っていた。
「うち……、私はあの子たちの素体を管理している、人形制作者の一人でもあるからね」
自らが携わっている役割についてを語っている。
深く考えるよりも先に、ルーフは近くにいる女の情報をあらためて更新していた。
「そうか、あんたは体の一部を作るのが専門のひと、だったよな」
自分の右足を作ってもらう予定のある。
女の姿を、ルーフは片足のままで見上げていた。
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