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哲学を腐った死体にぶっかけよう

 少年の異常に、少年本人よりも敏感に察知をしていたのは魔法使いの耳だった。


「いま……」


 魔法使い、ハリという名前の若い男が、頭部に生えている聴覚器官をピクリ、と動かしている。


 黒猫のような耳を持つ、魔法使いのハリがルーフにジッと視線を向けていた。


「あなた、違う声を出しましたね?」


 何の事を言っているのだろうか?

 ルーフには、魔法使いの言葉に対してしらばっくれることも、決して不可能ではなかったはずだった。


 いや、むしろ普通の感覚では無視に値する戯れ言だったに違いない。


 なんてったって、あり得るはずがないのである。

 少年の体から、果てしなく性格の暗い彼の肉体から、天真爛漫なる幼女のごとき笑い声が響き渡った事など。


 あり得るはずがなかった。


 少なくともルーフはこの場所、古城の最上階に座す植物園に存在している人間のなかで、誰よりも強く常識を信じようとしていた。


 だが、少年の信頼は少女の声にあっけなく否定されることになった。


「検体A、灰色のレディの反応を確認したわ」


「え?」


 何事かの専門的な用語、名称をさらりと使用している。


 ルーフはすぐには理解を追い付かせられずに、ただ強い吐き気のなかでぼんやりと少女に視線を向けている。


 チロリチロリと、星のきらめきのような光がいくつも散っている。

 かすむ視界のなかで、モアという名前の少女がルーフのいる方に微笑みかけていた。


「あなたが怪獣に変わった、そのファクターとなり得た個体の…… 、まあ、仮の名前みたいなものよね」


 改めての説明をしながら、モアはルーフに樹皮の一部を見ることを推奨していた。


「どうやら()()は、あたしたちの本体に反応を示しているようね」


 口ぶりこそ予想をするような気配を持たせている。

 しかし、ルーフは少女が既に確信のようなものを抱いていること、その事を少し離れた場所で主観を見出だしていた。


 モアが、一応この植物園の主人と同じ存在である彼女は、その青空のような瞳で少年の行動を期待している。


 彼女に期待された、ルーフは行動を起こすより他は許されていないような気分に陥っていた。


 反抗する気力も無い。

 それは単純な体力の有無というよりも、どちらかというと精神的な問題点が全体を多く占めていた。


 理由が見出だせない、行動を断る理由が見つけられないでいる。


 いや、むしろ行為を拒否することこそ、今のルーフを構成する要素にとって受け入れざる選択だった。


「…………」


「どうしたんです?」


 待てども、待てども次の行為についての行動を起こそうとしない。

 少年の姿に、ハリが疑問符を瞳に浮上させていた。


「…………ッ」


 沈黙をでき得る限り引き伸ばそうとしている。

 それは現在において、ルーフが最後に残された現実への数少ない反抗心でもあった。


 しかして、反旗はいとも容易く根本から、稲刈りよろしく排除されていた。


「えい」


 押し付けられた、ルーフはこの時に唇をぼんやりと開けていたことを強く後悔することになる。


「ンむぐッ?!」


 モアから渡された桜の樹皮を、ハリは、なんと本人の了解も得ずに少年の口の中にねじ込んでいた。


 当然ルーフは吐きだそうとした。

 意図的なものというよりかは、それこそまさに生物としての基本的な反応にすぎなかった。


 誰だって、何であろうとも、口の中に突然異物をねじ込まれたら吐きだしたくなるだろう?

 疑問はある種願望、切なる願いの様な気配さえ有していた。


 ルーフはとりあえず口を閉じて、その場からの退避を図ろうとした。

 せめて口を閉じて、これ以上の侵入を阻止しなくてはならない。


 そう、強く願った。

 だが少年の願望は、魔法使いの指と腕力によってことごとく捻り潰されていた。


「はいはーい、暴れちゃいけませんよ」


 魔法使いは、ハリは己の持てる腕力をふんだんに使用して、ルーフの顎をガッチリと固定していた。


 ハリがもしも普通の男、人間だったとしたら、もしかするとルーフにもまだ反撃の余地はあったのかもしれない。


 だが、残念なことに相手は魔法使いだった。

 その身に「呪い」と呼ばれる症状、魔力が平均のそれをはるかに越える症状を発症している。


 魔法使いであるハリは、常人とは大きくかけ離れた腕力によって、少年の喉の奥まで樹皮をねじ込むことに成功した。


「はい、あとは一気に飲み込んじゃってください」


 もうすでに吐きだすことすら不可能な段階になった。

 その頃合いで、ハリはパッと体をルーフの口元から離している。


「ぐ、うぐぐ…………ッ」


 飲み込むもなにも、すでに木片は消化器官の始まりまで到達している、ような気がしていた。

 いまさら吐きだすこともできない、異物感がついには胃の中、さらにその先の奥へと到達しようとした。


 ルーフが身を屈めて、内側の違和感をどうにかしてやり過ごそうとしている。


 少年が焼かれた髪の毛のように身を縮こまらせている。

 その間に、モアはこの場所についての説明を再開していた。


「この植物園、ここにある木々や花はもともとこの土地に生えていたものを、そのまま園内に移したものなのよ」


 そこまで説明をしたところで、モアはふと思い立ったかのように言葉を区切っていた。


「あ、そういえばルーフ君はこの塔のシステムをまだよく理解していなかったわよね」


 買い物途中でみりんでも買い忘れたかのような、そんな気軽さでモアは話題の転換をしている。


「塔システム。土地に発現する巨大な魔力反応から善良なる市民方々、を、危険から守るためにアゲハ・モアが提案した巨大魔術式」


 すらすらと、まるでマニュアルでも暗唱するかのようにモアはこの古城、または「塔」と呼ばれる魔術式の説明をし終えている。


「塔っていうのは、定期的に魔力の供給を外部から実行することで、巨大な拒絶範囲……っていってもよく分からないよね。ううーんと……」


 「こういう時、本物の()()だったら上手な言い回しを作れるはずよね……」などと、少女にしては珍しく謙遜のようなものを見せている。


 要するに、彼女の話をまとめるとこういうことらしかった。


 「塔」と呼ばれる魔術式を組み込んだのが、この灰笛(はいふえ)という名前の地方都市、そこの中心に座する古城の正式な名称であること。


 さらに細かく分類すると、古城の頂点にすえ置かれた植物園、ここがまさに塔の機構のど真ん中、にあたるらしい。


「この桜の樹も、周りの草や木々、全部が灰笛……。ううん、ちがうの」


 間違いなく自身で発したはずの言葉を、モアは己の言葉の続きによって、チリゴミでも扱うかのように握りつぶしている。


「まだこの土地がその名前、塔の名称であるそれをいただくよりも先に、原初から自然と引き継がれてきた気配を持っていた、その時代……」


 ここまで語った所で。


「お嬢さん、なんだかエセ自然派っぽい宣伝文句みたいになっていますよ」


 ハリがそう指摘している。

 それを聞いたモアが、


「あら、そうかしら」


 なんてことも無さそうに口調を軽く訂正していた。


「ともかく、ここの植物は灰笛(はいふえ)を古くから自然に、誰の心に命令されることも無く、自然と魔力の均衡を保ってきた物質なのよ」


 ある程度言い終えた所で、モアは自分の右手をスッと上にあげている。


「あたしの手足も、ここの樹とか石とかを原料なのよ」


 モアは謎に自慢げにしている。

 しかしながら息も絶え絶えになっている、ルーフには彼女の自慢話に相乗する気力なんてものは、すでに残されいなかった。


 モアは語り続ける。


「いま、ルーフ君の消化器官の中で暴れに暴れまわっている木片は、それこそこの防衛機関の主格エネルギーとも呼べるわ。効能は大、そのはずよ」


「よかったですね! ルーフ君!」


 モアの語る言葉に合いの手を入れるようにして、ハリがルーフを励ますような言葉を使っている。


 ルーフは、せめて唾の一つでも吐きかけたいと、切に願っていた。


 だが、吐き気はいよいよピークに達しようとしていた。

 冷や汗は滝のごとく体の表面を流れ落ちている。


 唇を実際に指で押さえている。

 密閉をしている、そのはずなのに指の隙間から何かが零れ落ちてしまいそうな、そんな予感が次々と脳裏に萌芽していた。


 もだえ苦しむ少年をよそに、モアは話に一つの区切りを着けようとしていた。


「さて、戦火の被害を通り抜けて、偉大なる錬金術師アゲハ・モアによって建てられた塔は、今日も今日とて市民の皆さんの安全を守っているワケ。なんだけれど……」


 また話題を区切る。

 余計な話題ならば、もうまともに耳を貸す必要性も無いだろうと、ルーフはせめて想像の世界で吐き気をやり過ごそうとした。


「…………」


「……」


「?」


 しかし、沈黙に身を預けようとした所で、ルーフは少女が自分の目の前に移動してきた事に気付かされていた。


「うわッ?!」


 なんの気配も感じさせなかった。

 少女はまさに音もなく、冷やせまみれのルーフの顔へささやきかけていた。


「最近ね、変なことがたくさん起きているの……」


 ささやきは小川のせせらぎのような、そんな涼やかさを感じさせる。

 ルーフは、少女の胴体はどんな素材で作られてたのか、それについて考えようとした。


 だが、少年の現実逃避は少女に対して何ら意味を為さなかった。


 モアは、灰笛(はいふえ)に起きている異変についてを説明する。

 それは、ルーフが植物園の外側、古城の階下で遭遇した怪物の姿も関係をしているらしかった。


「結界が、足りないの」


 モアが少年から、スッと視線を桜の樹木、そのうろに眠る竜が存在している方角に視線を向けている。


「今日だって怪獣の個体、肉や血液を支払ってもらったのに、まだ基本的な防衛機能さえ発動しなかったのよ?」


 問いかけられるようにして、ルーフは先ほど自身が撃った怪物、スライムの様なモノたちの群れの事を思い出していた。


 ああ、そういえば、銃はまだこの場所に残されているだろうか。


 武器の存在を意識した。

 途端に、ルーフの吐き気が一層の強みを増していた。


 吐き気を堪えている。

 ルーフの腹部に、どういう訳かモアがそっと指を添えていた。 


「だから」


 少女が、少年に理由を伝えていた。


「あなたのナカに眠る、あの子……確か名前は……?」


 モアが思い出そうとした。

 それよりも先に、ルーフは先に言葉を思い出していた。


「ミッタだ、あいつの名前はミッタなんだ…………」

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