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ふと長めにあう目と眼球

 戦いが終わった。

 安心をすべき状態であるにもかかわらず、ルーフの胸の内には濃厚な不快感ばかりが残っていた。


「顔色が悪いわ」


 机を元の位置に戻し終えた、モアが特に憂いを抱くわけでも無く、ただ事項を確認するかのように言葉を発していた。


「どうやら、個体のいくつかが体の中に侵入しているみたいね」


 直接手で触れて調べるまでもなく、モアは戦闘時に見た光景からルーフの状態を予想していた。


 異物、異なる生物が体の中に取り込まれてしまっている。

 不快感を抱く暇も無いほどに、ルーフは強い吐き気に苛まれていた。


「ダメだ……」


 二重の意味で、ルーフは自らに強く否定文を突きつけなくてはならない必要性に駆られていた。


「こんな所で、嘔吐を起こすわけには……」


 それは理性による命令文とはまた種類、性質を異ならせていた。

 もちろん、言葉にした内容も理由足りえる要素をクリアしてはいた。


 だが、それ以上にルーフは排出しかけているモノが、ここで現実に発生してはいけないという命令文を投げかけているような、そんな強迫観念のようなものを発している。


 感覚にまだ従えている。


 モアは少年の理性が働くうちに、自分の方でも状況の説明を終わらせようとしていた。


「今日は本当に、お客様がたくさんいて助かるわ」


 言いながら、モアは右の手で自分とは異なる存在を植物園の中心地に誘おうとしている。


 それは怪物……ではなく、怪獣という症例を発症した人間、に限りなく似た性質を持つ人物の姿だった。


 人間と同じような思考を持ちながら、その姿はヒトのそれとは遠く及ばぬ造形をしている。

 フワフワとした柔らかい体毛に包まれた、合計十本ほどの触手で床の上を滑るように移動している。


 ある種、人間なんかよりもずっと愛らしい造形をしている。


 そんな人物に、モアは耳打ちをするように囁きかけていた。


「──、──」


 何を言ったのだろうか。

 吐き気が再び強い存在感を持ち始めていた、冷や汗が顔面の全体を急速に濡らし始めている。


 湿度が空気と触れ合い、生まれた冷たさがさらに少年の体にダメージを与えている。


 その間にも、怪獣になった人は植物園の中心に移動をしていた。


 何をするつもりなのだろうか。

 ルーフが少しの間好奇心を働かせようとした。


 だが、少年の関心は現実の前にことごとく圧殺させられることになる。


 怪獣になったヒトが、触手の一部を自らの手でもぎり取っていたからだった。


 触手の一本、それを残りの数本によって全力で圧迫している。

 肉は何の抵抗も無しに、持ち主の意向に従いながら連続体を断絶させていた。


 不思議と血液が溢れなかったのは、もしかすると血液やその他の組織すらも意図的に途切れさせたのかもしれない。


 とは言うものの、肉体を大きくもぎ取った被害はそれなりの壮絶さを含んでいる光景であった。


「うわ……ッ?!」


 ルーフが吐き気も忘れて、この場からの退避を計ろうとしていた。

 だが体は今更ながらにも自由に動かせられず、ルーフは車椅子の上で小さく身を蠢かせるだけであった。


 少年がこの場からの逃走を強く願っていた。

 それを他所に、怪獣になった人はもぎ取った体の一部を桜の樹木に捧げていた。


「……?」


 と思えば、次の瞬間には怪獣の一部がその実態を希薄なものへと変化させていた。


 急速なる喪失がなされている。

 色が失われる、重さも質感も喪失されている。


 透明になった、怪獣の肉体は空気の中に溶けて消えてしまっていた。


 まるでガラスの破片、あるいは氷の粒のように消滅した。


 ルーフが行為に驚いている。

 すると、彼の左側からハリという名前の魔法使いが囁くように状況を説明していた。


「空間、竜の女王様が眠るこの土地に対価を支払ったんです」


 ハリの声は静かで、平らかな音色がルーフに思考の余裕をいくらか取り戻させていた。


「対価の代わりに、薬となる原液を貰う。取引をしているんですよ」


「取引……? 原液……?」


 何のことを言っているのだろうか。

 ルーフが魔法使いに質問をしようとした。


 だが少年が実際に言葉を使用するよりも先に、怪獣になった人の周辺に新しい空気の流れが生まれようとしていた。


 最初はそよ風程度で、しかしてすぐに圧力を感じるほどの風の強さが生まれていた。


 髪の毛が風に巻き上げられる、毛先が肌をチクリチクリと刺している。

 風に荒ぶる前髪の隙間から、ルーフはかすむ視界にて怪獣の人に何かが手渡されているのを見ていた。


 また、しばらくの沈黙がルーフの体に灯される。


「しばらく、待っていてくれ」


 そういっていたのはエミルという名前の、戸籍上はモアの兄にあたる関係性の魔術師であった。


 魔術師である彼は、「古城」という魔的な要素を専門とした医療機関に治療をしに来た、怪獣になった人の帰り道を警護したいとのこと。


「最近物騒だからな、今日のだって……」


 言いかけた所で、エミルはモアのほうにチラリと視線を向けていた。


「あー……後の話は、オレよりもっと楽しい人が言ってくれるよな」


 意味だけを大量に含ませた視線を送りながら、エミルは怪獣になった人を、触手を一本喪失した怪獣を植物園の外側へと案内していった。


「あ、ちょ……?!」


 去りゆく魔術師の姿に、ルーフはどこか異様なまでの不安を覚えそうになっていた。

 心臓の肉が冷たく震えあがり、冷たさによって作られた針が気管支の辺りに存在するはずの無い痛みを作りだしている。


 せめて両足があれば、右の片方を失ってさえいなければ、少しの自由のなかで瞬間的な甘さとあたたかさに身を委ねることが出来た。


 そのはずだった。

 だが所詮は、タラレバにすぎないのである。


 気がつけば、ルーフはまた最初の状態に戻されていた。

 つまりは少女と少年、魔法使いの三人の人間だけが残されている。


 いや、正確には一匹の竜をカウントに含ませなければならないか。


「本当に顔色が悪いわねえ」


 ガーデンチェアに身を寄せながら、椅子に座ることをせずにモアが少年の容体を心配するような言葉を用意している。


「その気になれば、ここで始末をつけることもやぶさかではないわよ?」


 拒絶をしない。

 という意味の言葉を使いながら、モアはルーフに吐き気への対処法を推奨している。

 だが、ルーフとしては少女の提案を受け入れるわけにはいかなかった。


 そうしたくない、意識が言葉となってルーフの思考を圧迫している。

 脳内に反響し続ける、言葉はやがて声となって少年の鼓膜を内側から振動させていた。


「…………ッ」


 声の正体が誰であるのか、ルーフにはすでにある程度の目途が付けられていたような気がする。

 しかしそれを現実に認めようとしていないのは、ルーフが声の正体を誰よりも知っているからであった。


 世界中の誰よりも?

 基準を広げると、それはそれで不安を覚える。


 しかして、少なくともこの奇妙な植物園に存在している人間。

 姿かたちの在り方を問わずに、この空間に存在している全ての人間を含ませたとする。


 そうすることで、ようやくルーフは己の内側に増幅する「彼女」の存在に確信を得ようとしていた。

 一種の祈りにも似ている、ルーフは彼女の願いをできるだけ叶えようとしている。


 少年がひとりで葛藤を喉元に増幅させている。

 その様子を見て、モアがなんてことも無さそうに小さな溜め息をひとつだけ吐きだしていた。


「まあ、まだ容体には余裕があるみたいだから、もう少しだけあたしの話に付き合ってくれるかしら?」


 それだけの要求を伝えると、モアは椅子に座らないままの格好でまた話を再開していた。


「いろいろとハプニングはあったけれど……、でも、おかげで君にこの古城で行っている作業のいくつかを字際に説明することができたわ」


 唯一それだけが救いであるかのようにしている。

 モアはルーフが見ている先で、その体を植物園の中心に植えられている桜の樹に移動させていた。


「さて、どこまでお話ししたかしらね?」


 問いかけられた、しかしルーフに答えを用意することはできなかった。


「知らねえよ……」


 苛立ちや怒り、感情に任せた言葉というよりかは、ルーフはただ単に思ったままの言葉を発したにすぎなかった。


 だが、モアはどうやらそこに少年の気概の様なものを見出そうとしていたらしい。


 好意的な解釈をしながら、モアは指先を桜の樹皮に這わせている。


「何にしても、この植物園にいるコたちの活躍を、ちゃんとその眼で、その体で確認することが出来た。あたしはね、まずそこに嬉しさを覚えたいの」


 言いながら、モアは自身の本体が眠る桜の樹皮を一センチほど、ペリリと剥がしていた。


「百聞は一見にしかず、よね。ちょうど更新された分がよく見えるはずよ」


 少女は何のことを言っているのだろうか?


 ルーフの理解を置いてけぼりにしながら、モアは剥がした樹皮の一枚をルーフのいる方に放り投げていた。


「うわ、わ……?」


 飛んでくるそれを受け取ろうとして、しかして吐き気等々の不調がルーフの反射神経を(いちじる)しく阻害していた。


 反応の速度に追いつくことが出来なかった。

 だが、樹皮の一枚は無為に植物園の土に沈むことをしなかった。


「おっと、危ない」


 ルーフが届かせることの出来なかった、範囲の外側にハリの指が素早く届けられていた。


 樹皮の一枚を指に掴んだ、ハリが少年にそれを届けていた。


「どうぞ」


「あ、ああ……」


 受け取った後で、ルーフは喉元から己の意志ではない言葉が発せられているのを鼓膜に聞いていた。


「ナイスキャッチ!」


「……、え?」


 とてつもなく似合っていない言葉づかいに、驚いていたのはハリだけに限定されている訳ではなかった。


「あら」


 ルーフ本人は当然のこととして、モアも少年の口から発せられた言葉に驚きの様なものを抱いている。

 声音は間違いなく少年のそれのはずだった、だが言葉の雰囲気がとても彼の感情に則した者とは呼べそうになかったからだった。


 それはまるで幼い子供、無垢なる幼女の様な快活さをただよわせていた。


 ルーフは咳払いを一つ吐き出す。

 ゴホン、と喉を伸縮させる。


 それは、何も羞恥心から来ているものという訳では無いようだった。

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