彼と彼女の絞殺の行く末を見届けよう
ここでちょっとした昔話。
「昔々、今年に入ってもうそろそろ百年以上昔になる、かもしれないかしら?」
モアが語っている。
それを聞いたルーフが、とりあえずは自分が存在している時代よりも遥かに過去の出来事であること。
その事だけを頭の中に思い浮かべている。
モアが、引き続き昔話をしている。
「とある所、っていうかもれなくこの場所なんだけど……。まだ灰笛が灰笛と言う名前すら持っていなかった。そんな時代のお話よ」
どうやらこの灰笛と言う名前の地方都市は、昔は違う名を持っていたらしい。
どうして書類上の名義がその名になったのかは、また後で語るつもりと、モアが短く主張している。
「もれなくこの土地には、それはそれはとてつもなく巨大な魔力鉱物の鉱床があったの」
言いながらモアは白く細い指をつい、と上に差し向けている。
「みんなが傷口だとか、そんな風に呼んでいる、あの大きな奴もそのうちの一つになるわね」
「あれか……」
モアの指先がしめす、方向を確かめるようにルーフは上へ、天井の向こう側に広がる空を見ていた。
曇り空。
城の頂点であるここから見ると、水蒸気の隙間が見えなくも無かった。
雲の隙間、雨雲が終わりを迎える。
青空は、しかしてここからは見えそうになかった。
いや、一応青色に輝くそれは見えなくもない。
だが、本来雲間から覗くはずのそこには、大きな宝石の塊のようなものが鎮座していた。
それは、この世界において「傷」と呼ばれる魔力鉱物の源であり、そして同時に怪物なる生命が発現す源泉でもあった。
モアが、上に差し向けていた目線を下へ、少年の居る方に戻しながら続きを話している。
「なにもあれだけに限ったわけじゃないんだけど……。まあ、でも分かりやすくあんなのが出てくるだけでも、この土地が大量の天然魔力を含んでいることは分かるわよね」
「まあ、あー……何となく……」
具体的なイメージもなにも分からない、不理解と不可解ばかりが喉の辺りを緩やかに締め付けている。
しかしここでわざわざ、一つずつの要素に丁寧な追及をしていたキリがないと、ルーフは諦めて次の展開へと望もうとしていた。
「それで、その宝石の塊と、お前の……本体がここに閉じ込められているのと、何か関係があるのか」
どうせまともな解答など返ってこないだろう。
曖昧で、巧みに真実を隠した言葉だけが返却されるのだろうと、ルーフはそう思い込んでいた。
だが、しかしながらどうやら少年が期待した風には、少女は秘密を抱えるつもりも無かったらしい。
「そりゃあ、もう、ありありのアリよ」
モアが語っている内容に、ハリの黒猫のような聴覚器官がぴくり、と動いていた。
魔法使いは二杯めの紅茶を飲むために、いつのまにやらその体をワゴンの近くに移動させていた。
彼の手元で、ポットから四杯め分の紅茶がカップに注ぎ入れられようとしている。
肯定を背景に、モアは魔法使いの方を振り向くことをせず、その青い瞳で少年の方を見続けていた。
「魔力は、そりゃあ少ないよりも多い方が助かるけど。でも多すぎても、それはそれで大変なことが沢山起きるのよ」
具体的なことを話そうとはしない。
だが、ルーフはその時点ですでに、問題について大体それらしい検討を見出していた。
「魔力の暴走は、……時として人体及びその他の生命的活動に……害を及ぼす」
ルーフがぼんやりとした様子で、無意識に近しい部分からいずこかの文章を引用している。
誰が言っていた言葉だっただろうか?
そうだ、これは祖父が言っていた言葉だった。
もうこの世界には存在していない彼の事を考えている。
少年と同じように、モアのほうでも自分とは違う存在について考えているようだった。
「とにかく、ここに籠められている強大な魔力を抑えるために、ひとりのスゴく頭のいい錬金術師が、この土地に「塔」を建てたの」
「塔?」
思考を現実に戻そうとしていた。
その矢先にルーフは、モアの唇から発せられた新たなる単語に戸惑いを覚えそうになっている。
ルーフの様子に気づいたのは、紅茶を注ぎ入れたカップを携えてテーブルに戻ってきたハリの視線だった。
「塔っていうのは、そうですね……、防衛をするための機能のようなものですよ」
ハリからの説明に、ルーフが自然と首をかしげている。
「防衛機能? ……いったい何を、どこから守ろうっていうんだよ」
問いかけている。
しかして、やはりと言うべきなのか、ルーフは言葉の途中ですでに理解を至らせていた。
「…………いや、聞くまでもないな」
机の方に、モアがいる方に身を乗り出そうとしていた。
ルーフは静かに体を元の位置に戻しながら、頭の中で軽く想像を巡らせている。
怪物の姿、怪物以外の……怪獣になった姿。
結界の数々、大量の「水」によく似た魔的な要素。
それらのイメージがルーフの脳裏を、自転車程度の速度でほど良く通過していった。
少年が想像を作り上げている。
動作を目で確認した、モアが昔話に締めを結ぼうとしていた。
「それで、無事に塔を建てた彼女は寿命を終えた。だけど、この世界はまだ彼女の頭脳を必要としていた、意識を、心を継続させようとした。それで……──」
「それで、お前ら? が作られたと」
ルーフは指を使いかけた体を意識の下で抑制しつつ、今は視線だけを目の前の少女に固定させている。
少年の琥珀色をした瞳に見つめられていた。
モアが、どことなく恥ずかしげな素振りを口元ににじませている。
「ええ、彼女……つまりは本体のアゲハ・モアはその生涯最後の実験にて、自らを検体とした結果、あの異形の身体に成り果てたの」
モアは少年の視線から逃れようとしている。
そのついでという風に、少女は目線を桜の樹に、うろの中に満たされた「要素」のいくつかに目線を向けていた。
「獣に成り果てた、その個体を魔術師たちは怪獣、と呼ぶんだったかしらね」
言葉として用意されたルール、枠組みをモアは面白そうに呟いている。
「言い得て妙よねえ、あの姿は本当に、ただの動物みたいだもの」
モアが語っている内容に、しかしてルーフは素直な同意を返すことが出来なかった。
「ただのっつうか、どう見ても普通の獣には見えねえけども……」
ルーフは主張を語っている途中で、しかしながら自身の方でも上手い具合の形容を見つけられないままでいる。
少年としては何気なく呟いた表現を、モアは大げさなまでに驚いた様子をあらわにしていた。
「おお、よく分かったわね、さすがね」
簡単な賞賛だけを送っている。
それにルーフが訝しむような目線を向けていると、モアはすぐに賞賛の具体的な理由を少年に伝えていた。
「だって、眠っている彼女の体が竜になっていることに、普通はすんなりと理解できないものよ?」
筋道を明記された。
だが、与えられた言葉は更なる困惑をルーフの意識にもたらしていた。
「竜? ……竜?! それってつまり、竜のことか?」
「ええ、そうよ、その竜よ」
ルーフが、今度こそ身を激しく乗り出している。
少年の動きに影響されて、ガーデンテーブルが大きく揺れている。
ハリの持っているティーカップの中身が大きく波打ち、少しこぼれたそれが魔法使いの指を軽く柔らかく焼いている。
「あっつう?!」とハリが驚いている。
しかし魔法使いの災難に構うことをせず、少年はとにかく目の前の異常なる事象に更なる理由を求めようとしていた。
「人間が……そんな、ドラゴンになる訳がないだろうが?!」
言葉を発した後に、ルーフは自分の声音が思っていた以上に激しくなっているのに対し、どこか他人事のように驚いていた。
少年からの激しい主張に、しかしてモアはどこまでもマイペースといった様子で、ただひたすらに事実だけを彼に言葉で伝えている。
「訳ならすぐ近くに、あたしの目の前に存在しているけれどね」
そこでルーフは、てっきりモアが桜の樹の中に眠る自分の本体の事を語っているものだと、最初の素秒間だけそう思っていた。
思い込もうとした、と表現した方がより少年の現実に近しいだろうか。
とにかくルーフはモアが桜に眠る竜ではなく、自分の事、この肉体をことを視界の中心に置いていることを早くに把握していた。
モアが口を開く。
「だって、あなたもこの間、彼女と同じものに成り果てかけたでしょう?」
ゆっくりと、まるで幼い子供に世の中の常識を一つ、丁寧に教えるかのようにしている。
少女が何のことを言っているのか。
ルーフは聞かれるまでもなく、もちろん聞き直す必要性も無いままに、理由をおおむね理解してしまっていた。
「あの時に、か…………」
長い沈黙を含ませながら、ルーフは脱力するようにガーデンチェアへ背中を落とし込んでいる。
力を抜いている、ゆったりとした動作。
その中で、少年は思考する外側で指を自らの額に伸ばしている。
ほぼ無意識に近しい動作で、ルーフはそこはかとなく伸びた前髪をかき上げている。
そうすることで隠されいた部分、少年の額と右目が空間へと露わになっていた。
「ああ、ほら」
見えたものを、見たモアがどこか満足げに小さいうなずきを繰り返している。
「竜に変化した時の名残が、まだそんなにたくさん残っているじゃない」
そう言いながらモアはその青い瞳で、まずはルーフの右目の辺りを見つめている。
複製された少女が見つめている。
そこには彼女の瞳が持つ青色よりも、もっと濃厚な色合いを持った青が刻みつけられていた。
「その後の、容体はどうなのかしら?」
少年の青い、青空よりも深い藍色をした瞳を見て、モアは形式的な心配の言葉を送っている。
問いかけられた、ルーフは問われた分だけの解答をすぐに発している。
「別に……、特に困ったことは何も……」
無い、と言いかけて、その言葉が嘘であることをルーフは先に自身で把握してしまっていた。
実を言えば、最近少しおかしいことが起きつつあること。
ルーフは鼻を小さくうごめかせながら、最近の容体についてを簡単に説明しようとした。
「あー…………」
言いかけた、しかして言葉をルーフは喉元で静かに絞め殺している。
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