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バラバラになった自信家は自身の分身

 吸い込んだ空気から新鮮な酸素を取り込む。

 植物園、その内部は土と水、そして葉脈や樹皮が放つ気配にひんやりと冷やされている。


 ルーフはとっさに故郷の冷たい朝、冬枯れの風を思い出しそうになった。

 抱きかけた想像を、しかしてルーフは目の前に広がっている光景の前へ、すぐさま否定している。


「はーい、全部とれた」


 怪我の治療をするかのような、そんな優しげな声でモアはルーフの頬に触れている。

 猿ぐつわはすでに噛まれておらず、ルーフは中途半端に開いただけの口で、少女の存在を内側の柔らかい部分で感じ取りそうになっている。


「まったく……」


 確かな気配を脳に感じ取るよりも先に、ルーフは慌てて言葉を舌の上に用意しようとしている。


「いきなり、客人に猿ぐつわをかませるなんて……」


 若干咳き込むようにして、ルーフは数分ぶりの新鮮な空気に再開をしている。


 呼吸を繰り返すことで、ルーフのほうでもわずかに残った冷静さをかき集めている。

 右の手で少女の手を払いのけるようにしている。


 動作の中で、ルーフはようやくモアのほうを視界へ認められるようになっていた。


「どんなバイオレンスな主人(ホスト)なんだよ、コンチクショー」


 呼吸を必要最低限整えた、ルーフが文句を呈している。


 少年の言葉の対象となっている、モアはしかして悪びれる様子もないままに、いけしゃあしゃあとルーフに笑いかけていた。


「礼儀のなっていないゲストをシメるのも、よき主人の務めではなくて?」


 いかにも貴婦人的な台詞を演出しているつもりなのだろうか。

 もしも少女がそれを望んでいるとしたら、少なくとも目の前の少年には何の成果も期待できそうになかった。


「なんでも、どうでもエエけど……これから何を、これ以上何をするつもりなんだよ?」


 強張っていた筋肉をほぐすために、ルーフは車椅子の上で肩の肉、関節をうごめかせている。

 筋肉や関節に柔らかさを取り戻した。

 ルーフはチロチロと星の散る視界にて、用意されたガーデニングセットに視線を向けている。


 少年に問いかけられた、モアがなんてこともなさそうに返答をしている。


「叫んだあとで、喉が渇いたでしょう?」


 モアは手元の縄を適当に空間へ溶かし込みながら、空になった指でルーフの車椅子のハンドルを操作している。


「お茶を用意するから、みんなでいただきましょう?」



 という訳で、突然のアフタヌーン・ティーが開幕されたのであった。


「いやいやいや……、意味が分かんねえよ」


 ハリの腕力によって、車椅子から普通の椅子に移動させられていた。

 ルーフが、目の前に広がっている光景、状況に不理解をひたすらにぶつけている。


「どうして、今まで喋っていた女が模造品のクローンで、本体の人外がぐーすか寝てる横で……──」


 ルーフはガーデンテーブルの上に肘を預けながら、視線をジロリと左に移している。


「妹のカタキと、一緒に茶をしばかなきゃならねえんだよ」


 言いながら、ルーフは左側の椅子に座っているハリへの視線を、可能なかぎり鋭く強いものにしている。


 少年がジッと睨んできている。

 だが、視線を向けられているハリ、魔法使いの方は彼の視線などお構いなしといった様子であった。


「嫌ですね、ルーフ君。ボクは何も、あなたの妹なんかを殺してませんよ」


 少年の言葉遣いに対し、ハリは単純な訂正だけを返事として用意している。


 魔法使いと少年がお粗末なコミュニケーションをしている。

 そのすぐ近くで、モアが飲料茶の用意をしていた。


 ガーデンチェアとはまた別に、金属質なワゴンを持ってきていた。


 沸騰させた湯を、茶葉をセットしたポットの中に注ぎ入れている。

 湯を満たした後に、モアはワゴンの金属板を人差し指でコツコツと鳴らしている。


 どうやらそれが、タイマー代わりのカウントのつもりだったらしい。

 そう気づくことが出来たのは、指の動きが止まった同時にモアがポットの中身をコップに注ぎ入れ始めているからであった。


 色、香り、味。

 浸透させられる要素を全て受け止めた、薄い紅色に艶めく液体がポットの細い口からトポポ……、とコップの内側に満たされていた。


「さあ、お砂糖とミルクその他は自分でお好きなように入れてね」


 モアはそういいながら、ガーデンテーブルの上に用意された調味料、砂糖やらコーヒーフレッシュ(ミルク)の小さなカップの累積を目でさし示している。


 茶を用意された。

 客人としては、当然気の利いた礼の一つでも伝えて、カップの中身を頂くのが世の常識(マナー)になるのだろう。


 だが、ルーフはそれを上手くできないでいる。

 当たり前を当たり前にこなせられる、余裕すらも持てそうになかった。


 少年があからさまに戸惑っている。


 彼の視界の左すみにて、モアは早くもハリに二杯めの茶を用意している。


 ハリは出された一杯に鼻孔をスンスンと近付けていた。


「うーん、ナイスふれぐらんす、ですね」


 感想を口にしながら、ハリは調味料のトレイから一つのガラス瓶を摘み取っている。


 ジャム瓶のように見える、中身には粘度が強い液体が込められている。

 天井からの光に反応して、トロリと黄金色に輝いている。


 それが蜂蜜であり、ハリはそれをスプーンに少し溢れるほどにすくい、まだ大量に湯気が立つ茶に迷いもためらいもなく垂らし込んでいた。


 少しの間だけスプーンを茶の中でかき混ぜている。

 茶器とスプーンがぶつかり合う、音色が止んだ後にハリはすぐにコップのフチと唇を密着させている。


 ごくり、嚥下の音色がルーフの耳へかすかに届けられた。


「はあ……、相変わらずお嬢さんの桜ティーは美味しいですね」


 口の中から温かな気配をふんわりと吐きだしながら、ハリが飲料の感想をしみじみとした様子で呟いている。


「それは、どうも」


 魔法使いからの賞賛を、モアはすでに慣れきった様子で適当に耳へ受け止めている。

 そうしている間にも、少女は自分の分の茶をカップに淹れ終えていた。


 モアは用意された調味料には手を付けずに、なにも溶かさない、ストレートのそれを唇の中に流し込んでいた。


 少女の白く細い首が熱い液体を受け入れて、わずかな上下運動を起こしている。


「…………」


 首の動き、肉の動作をルーフがジッと見つめていた。

 

 少年にしてみれば、ほんの短い間だけの時間に感じられた。

 だが、どうやら現実のほうでは彼が想定していた以上の時が経過していたらしい。


 モアが、カップのフチから唇を離し、底を受け(ソーサー)の上にコトリ、と静かに置いている。


「飲まないの?」


「え、ああ……いや」


 少女の青空のような瞳がジッと見つめている。

 そこでようやく、ルーフは必要いじょうに視線を他者に固定していることに気付かされていた。


 狼狽えると、手元にあるカップの中身が大きく波打っているのが視界の端に確認できた。


 何を言われただろうか、空虚に支配されかけていた脳が慌てて現実の状況を把握しようとしている。


 そうだ、茶を飲むべきなのだ。

 全体を把握できないままで、目の前の事象をひとつずつ片付けるのだけで手一杯になっている。


 しかしながら頭でこそ、そう考えていても、ルーフはどうにも体を実行のために動かせないでいる。

 まるで潮風をずっと浴びた錆びだらけの機械のように、思考と実行が上手くともなわないでいた。


 動作の不具合は、傍から見ればかなりあくの強い挙動不審になっていたに違いない。

 その事実を考えればこそ、ルーフはさらに体の肉をがちがちに硬直させずにはいられないでいる。


 震えている体で、かなり下手くそな動作の中で、ルーフはようやくコップの中身を唇の近くに運び入れることに成功していた。


「ごくり…………」


 まずはひとくち。

 飲んだ後で、もしかすると毒でも仕込まれているんじゃないか、今更ながらの危機感がルーフの耳元でささやき声を発していた。


 しかし時はすでに遅し、ルーフはカップの中の紅い飲料を喉の奥、消化器官というなの内側に受け入れてしまっていた。


 温かさが喉もとを通り過ぎて、腹の内に少しだけ留まっている。

 口の中に豊かな香りが生まれ、しばらくの間継続する薫香の中に舌が、味来(みらい)の小さなおうとつたちが飲料の情報を急速に収集している。


 苦み、少しの酸味、あるいは渋みとも呼ぶべきなのだろうか? 詳しいところは、ルーフの知り得ない知識の領域だった。


 であれば、もっと単純な感想を用意するべきだった。


「美味しい……」


 沈黙を含ませる暇も無いままに、ルーフはコップを口元へ、喜ばしい二口めを求めていた。


 ごくごくと、少年の喉が紅茶の温かみに上下運動をしている。

 その様子を見ていた、モアが満足げに緩やかなうなずきを軽くくり返していた。


「そうでしょー? ここの桜の花びらと、茶葉を合わせたものなの」


 さながら女子会の華々しさをここに再現しようとしているかのような、そんな、穏やかそうな時間が空間に生まれようとしていた。


 受け入れても、別にかまわなかったのかもしれない。

 今日のうちでもすでに、大量の不可解さを体に叩き付けられた。


 これ以上、よく分からないことについて考えようとするものならば、ルーフの脳味噌はいよいよキャパオーバーでショート、熱暴走で炎上するかもしれない。


 ……いや、さすがに燃えるほどの事でもないか。

 ルーフは考えている。


 カップの中身、ぬるくなった紅茶をするすると喉の奥に流し込んだ。


 味を楽しんだ。

 その後に、ルーフはようやく相手に質問文を、それなりに形となっている文章を発せられるようになっていた。


「なあ、モア。お前は……その……」


 いいかけた言葉を舌の上に留まらせたままで、できる限り後悔のない選択をしようとしている。

 

 ここまで来て、まだ選べていない。

 少年の沈黙を覆い尽くすように、彼と机を挟んで向かい側に座るモアが、すでに空になったティーカップを両手でそっと包み込むようにしていた。


「さっきお話した通り、あたしは本当の意味ではモアと呼ばれる……、呼ぶに値する存在じゃないの」


 モアの、少女の白く細い指が、空になったコップの表面を撫でている。

 指先が表面を撫でる、少し長い爪がコップのフチにコツリ、と小さな音色を奏でていた。

ご覧になってくださり、ありがとうございます。

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