いずれにしても釣糸は巻かなければならない
ルーフが彼らに質問をしている。
「コンピューターって、パソコンみたいなものなんか?」
少年は何か信じられない、信じ難いものを見るかのような視線を彼らに向けている。
実際ルーフは彼らに、モアやハリに対して看過できぬほどの衝撃を覚えそうになっていた。
「わざわざ、パソコンを見てほしいがために、俺をここまで…………?」
言いかけた言葉を、しかしてモアがすぐに否定をしていた。
「ううん、ちがう、ちがうの。パソコンなんかじゃなくて」
「機構ですよ、どっちかっていうと、あまりご家庭には向かない、めんどくさいほうのやつです」
ルーフの抱いた疑問を否定するつもりとして、ハリはこれから向かうところにあるモノについての簡単な話をここで、エレベーターの箱の中で行おうとしていた。
ハリの声の背景に、エレベーターの軌道音が低く、唸るように響いている。
太い鎖のようなワイヤーと、あとはおおむね魔力や魔力鉱物などの要素によってエレベーターは稼働している。
少年一人と少女一人、そして大人の魔法使いを一名。
箱は彼らを運びながら、その体のいくつかを古城の上層へと運んでいる。
ワイヤーが擦れ合う音、靴の下で金属の床が摩耗する、様々な雑音が互いの主張を忘れないように、まぜこぜに混ざり合っている。
大量の音が響きあい、混ざり合うの中でハリはこれから目にするであろうモノについて語ろうとした。
「コンピューターっていうのはですね」
しかしハリが実際に言葉を発しようとした、それよりも先に彼の身体へ急速かつ急激なる衝撃が与えられていた。
ゴシュッ、と何かがぶつかり合う音がする。
と同時に、ハリが「うぎっ?!」と捕食されかけのカエルのような悲鳴をあげていた。
音のする方、魔法使いの足元へルーフが視線を落とすと、ちょうどそこでモアがハリのすねにローキックをかましている最中であった。
「痛い?!」
突然の攻撃に、ハリは理解を追いつかせるよりも先に抗議の意を訴えようとした。
だが、魔法使いが実際に言葉を発するよりも先に、モアは彼の唇に真っ直ぐ指を伸ばしていた。
唇でも奪うつもりなのだろうか! もしそうだとしたらこんな所で、せめて自分が見ていないところでかましてもらいたい。
……と、ルーフは最初の瞬間こそ、その様に桃色な虚妄を描いていた。
だが、少年が期待しようとしたことは、とりあえずのところ現実に実現されることは無いようだった。
「先に教えてどうするのよ。まったく、あたし、ネタバレって大っ嫌いなのよね」
モアは伸ばした指でハリの唇を、下唇の方を強く引っ張っていた。
どうやら折檻の一つであるらしい。
ハリは少女に唇を引っ張られたままで、反論を舌先に用意していた。
「だ、だっていつまでも、ずっと、長々と思わせぶりな態度をしても、しょうがないじゃないですか。そろそろルーフ君も、飽きてきている頃合いですよ?」
ルーフとしては、半分より少し多めの正解を魔法使いに伝えたいくらいではあった。
しかしあえてそれを言葉にすることをしない。
沈黙の中で、ルーフはモアの小さな怒りをしばらく眺めておくことにしていた。
少年の、琥珀色をした瞳が見上げている先。
そこではモアがハリの下唇から指を離しているのがみえた。
「あなたはネタバレを嫌う人の心が分からないのかしら? 先の展開が全部わかっているって、本当につまらないんだからね」
モアにしては珍しく明確に嫌悪感を向けている対象に、ルーフはどこか新鮮な驚きを覚えていた。
少年が静かに驚いている。
その先でモアは、自分のもみあげにたれている金髪の人房を指でいじくっている。
「それこそ、クライマックス以外の全部がゴミ屑に見えるくらいには、どうでもよくなるんだから」
「それは、……ずいぶんと極端だな」
モアの力説に、思わずルーフが引き寄せられるように会話へ介入していた。
「俺は……別に、先の展開を知っていようがいまいが、作ったもんはそれなりに楽しめると思うけどな」
真っ向から否定することをせずに、せいぜい一つの意見として受け流してもらう。
ルーフとしてはそのつもりだった。
のだが、しかしモアの方はどうやら少年の言葉を逃がしてはくれそうになかった。
「ほう、ほうほう?」
苛立ちはすでに通り過ぎて、どこかの遠くに去りつつある。
モアはルーフの方に、興味ぶかそうな視線を向けていた。
運搬用の箱、人間のサイズに合わせた鳥籠が上に昇る。
原始的な形状のエレベーターが動く、空洞に空けられた光が途切れ途切れにモアの顔を照らしていた。
白い頬、青空のように明るい青色をした瞳。
柔らかな金髪が風に揺れる。
動作を見ながら、ルーフはモアが興味を示した事項について、とりあえずは簡単に持論を語っている。
「だって、ほら……クライマックスじゃなくたって、その場面に向かうための前程とか過程を見るのも充分、っていうか、俺としてはそっちの方が重要なんだよ」
あくまでも自分の意見、個人の感想でしかないことを言葉の外側でそれとなく主張しようとした。
少年のささやかな気遣いがどれほどの意味を為し得たのか、少なくともモアの様子からは確かな情報は得られそうになかった。
「なるほど、そんな考え方もあるのね」
まるでさっきまでの感情表現こそが例外中の例外であったかのように、モアはすっかりいつもの調子で好奇心だけを瞳の中にたたえている。
女の気分の浮き沈みに関しては、それこそまさに個人差という概念が相応しいと言えよう。
おそらく人類文明が終末を迎えるその日まで、永遠に証明されることの無い問題である。
永遠の不明瞭を自覚しておきながら、その上でルーフは少女の変化に強い違和感を覚えていた。
好奇心が強すぎる。
色々な要素を含ませたうえで、濾した後に残った言葉をルーフは脳内で呟いている。
この女、女性、少女はどうにもこうにも他人に対する興味、関心、好奇心が強すぎるのではないか。
実際に、苛立ちを覚えた次の瞬間には、どこか神妙な面持ちで少年の意見を考察している。
考え事をするのが好きな性質なのだろうか?
ルーフが少女の顔をじっと見上げながら、観察をしようとして、しかして目新しい情報を得られないままでいる。
ゴウウン……、ゴウウン……。
原始的なエスカレーターがふたたび低く唸る。
動きを止めた、箱は少年と少女、そして魔法使いを古城の上層へと運び終えていた。
箱が動きを止めて、内側から外側に出た。
そこには引き続き古城の内部が広がりを見せている。
一瞬だけ見た感じでは、下層と何ら変わりの無い風景のように思われた。
ただ、現実的に得られる印象とはまた別に、ルーフは上層の空間に今までとは異なる感覚を抱いていた。
「なんか、…………空気が、変わったような?」
ハリに車椅子ごと運ばれた、車輪を床で踏みしめながらルーフは空間を進む。
廊下は下の階よりも短く、ルーフはすぐに暗がりから明るい場所に体を移動させていた。
眼球に光が強く差し込んだ。
眩しさは、そこまできついものではなかった。
何故なら空は晴れておらず、代わりに天上を覆っているのは濃い灰色をした雨空だったからだ。
雨の気配は、怪物と戦闘行為をした自分よりいくらか速度を速めているような気がする。
吹き抜けの中庭のようになっている。
四角く切り取られた空が、天候によって降り注ぐ影響を地面に吸い込ませていた。
曇り空から降ってくる雨は、下にある石の床にある溝に受け止められ、ある程度まで人口の水溜りに溜められている。
円形の薄い溝は雨水を受け入れ、四つの方向にそれぞれ開けられた細長い溝が累積した分の水を外側へ、
つまりはルーフ等がいる方向へと流し込んでいる。
城に溜まった水は、少なくとも使用されるもの以外はこうして用水路によって運ばれ、やがては灰須高を辿って海に流されるのだろう。
仕組みを予想している。
そうしながら、ルーフは身体を中庭の中心に少しだけ寄せていた、
屋根のある部分から少しだけはみ出した、ルーフの爪先を雨粒が濡らしている。
水滴がスニーカーを、今はもう左側しか残っていない足に冷たさを染み込ませている。
雨に少しだけ濡れる。
ルーフは周辺に目線を巡らせた。
そこは建物の中庭のような空間で、相変わらず遺跡のように古ぼけた石材がこれでもかと使用されている。
ただ、やはり視覚的に得られる情報の中でも、ルーフはその空間に異なる印象を見出していた。
違和感の正体、もしかすると肌に感じた差異もそれに関係しているかもしれない。
対象と思わしき場所に近づいた。
それは中庭を支える柱、石柱に巻き付いていた。
「なんだ……これは?」
ルーフは毛髪の隙間に水の冷たさが染み込むのを肌で感じつつ、車椅子の上から柱に巻き付いているモノに指を伸ばそうとした。
触れようとした、だがルーフの指はモアの手の平にそっと制止させられていた。
「まだ、あんまり触らないで」
「え?」
ルーフが驚いたように、次にまぶたを開いたときには少女の指の感触にどぎまぎとしている。
しかしながら少年の動揺、その変化に構うことなせずに、モアは彼が触れようとしたそれ、気の根っこのようなものに視線を向けている。
「こんな所じゃなくて、キミにはもっと素敵にキレイなところを見てほしいのよ」
まるで自分のことを話すかのようにして、モアはルーフに木の根っこを触らせないようにしていた。
「こんな所よりも、もっとイイ場所があるの。そっちに行きましょう?」
「あ、ああ」
同意を完全に自身の言葉として認める。
ルーフが意識を動かしているよりも早くに、モアは少年の車椅子のハンドルを握りしめていた。
「今日はあっち側に扉が開けているはずだから、まずは入り口を探さないとね」
「? ……ああ、?」
何のことを言って居るのだろうか。
ルーフはモアが、少女が何を言っているのかまるで理解できそうになかった。
それこそ感情の揺れ動き、振り幅よりも、そもそもルーフは出会ってからこの瞬間にいたるまで、果たしてどれだけこの少女、女のことを理解できたというのか。
考えても分からないことを、しかしながらルーフは次の場面では考えられなくなる程の驚きに身を委ねることになる。
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