いたたまれなくなった夜にさよならを言い渡す
女子学生のような姿を、しているような……、していなくもない少女の姿を背後に感じている。
「悪いな」
ルーフという名前の少年が、自分の使用している車椅子のハンドルを握っている、少女に簡単な礼を伝えていた。
「なにが、悪いのかしら?」
少女が白く細い首をかすかに傾けている。
重点が少しだけずらされた、ポニーテールにまとめている明るい金髪が柔らかく風に揺れている。
ルーフが、自らの言葉が意味する方向性を一から全部説明しようとした。
だが、少年が実際に口を開くよりも先に、ハリという名前の若い魔法使いが彼女へ言葉を発していた。
「モアさん、ルーフ君は嬉しがっているのですよ」
魔法使いである彼が何を言い出すのか、ルーフは少女の名前を意味する単語を耳に聞きながらひとり、彼の言葉の続きを期待してしまっていた。
ハリは引き続き、勝手な想像をモアに向けて展開している。
「なんと言ってもこれから、モアさんの、この灰笛の秘密を暴こうとしているのですよ。これにドキドキしないで、一体いつボク達は胸を高鳴らせる必要性があるというのです」
「いや、知らねえよ……」
聞いている途中でついに堪えきれなくなった、ルーフが冷め切った目線を左側に、ハリが歩いている場所に向けている。
「俺はただ単に、こいつが来てほしいっていうところがあるから……、だから」
あらためて自身の状況を説明しようとして、その余りにもな受け身状態に、ルーフが自分自身に信じ難い目線を向けそうになっている。
自身の状況を理解しようとするほどに、ルーフはいつのまにやら自分の身体が古城の内部に運ばれていることを自覚する必要性に駆られていた。
古城というのはこの、灰笛という名前を持つ地方都市、その中心に座する巨大な建造物のことを指す。
先ほどから何人もの人間、年齢や性別、種族等々に関係なく様々な形をした人間がルーフの横を通り過ぎていった。
まるで共通項の感じられない人々の数。
だが、ルーフはそれらの人間たちに一つの確かな認識を抱いていた。
「それにしても……」
モアとハリの会話を背後に聞きながら、ルーフが独り言のように声を発している。
「この古城だけでも、一体どれだけの魔術師がいるんだよ」
なんの思惑も無く、思ったままの感想を言ったにすぎなかった。
だが少年が口にした意見は、ハリとモアにとってそれなりに新鮮味が強かったらしい。
「なにも、魔術師ばかりがいるという訳ではないんですよ、ルーフ君」
ルーフの呟きに、ハリが甲斐甲斐しく補足説明のようなものを発している。
「確かに構成員の大部分は魔術師ではありますが、全部が全部、そう言い切れるわけではないんですよ」
話しながら、ハリは足を少し早めてルーフの前に身体をひらめかせている。
彼の履いているブーツの底が、石材の床と触れ合って硬い音色をリズミカルに響かせている。
古城の外には雨空が広がり、灰色にかすむ日光が城の柱に注ぎ、通路に独特のラインをいくつも落とし込んでいる。
陰りから少しずれた所、薄い日光が照らす廊下の上に立ちながら、ハリがこの古城についての話を簡単に語っている。
「現在この灰笛魔術師共生組合には多数の魔術師の他に様々な人材をですね」
「え? 灰笛……強制、何?」
いきなり始まった話題についていけていないルーフを、彼の背後に歩くモアが手助けしようとしている。
「そっちのきょうせいじゃなくて、共生ね、共に生きると書くほうよ」
「ああ、そっちか」
言葉が分かった所で、しかしながらルーフには魔法使いが語っている組合の意味を把握できないでいる。
ルーフの不理解を受け流すようにして、ハリは引き続き古城の廊下でこの建物についての解説を続行している。
「現在この組合にはですね、魔術師のほかに僕のような魔法使い、そして一般の職員や事務員、そして錬金術師がいるんですよ」
「錬金術師…………」
前半の要素も興味深かったが、しかしそれ以上にルーフは最後に登場した要素に強い関心を惹きつけられていた。
ルーフが勘定を動かしている。
動作を確認した、ハリがジッと静かに視線を向けているのが見えた。
「そう言えば、あなたがかつて被害を受けた集団的組織のトップも、自らを錬金術師と名乗っていましたね」
特にためらいを見せるわけでも無く、ハリはまるで本日の天候具合でも語るかのように、ルーフにとってのトラウマ的領域に属する要素を語っている。
「そうだな……」
しかしルーフはそこには特に不快感のようなものを抱かなかった。
無論、なにも感じなかったと言えば、それはそれで虚偽の供述となる。
だが、ルーフはかつての事件に関してすでに自身の内に忘却が働き始めていることに、自分自身のことながら驚きを隠せないでいた。
「そう言えば、あのオッサンも自分の事を錬金術師だとか、そんなふうに言っていたような、いなかったような………」
記憶の曖昧さに、ルーフが唸るような声を発している。
すると、その背後からモアが確信めいた声音を発しているのが聞こえてきた。
「ううん、確実に彼は錬金術師を名乗っていたわね」
もしかすると親切心から、モアはルーフの記憶を再検索していた。
「集団ハルモニア……、あなたが拉致監禁された上に、黒歴史大公開の辱しめを受けた。あの集団のことね」
「…………。……ご丁寧な解説どうも」
間違っているところはなにも無かった。
おおむね事実に正しいことを述べている、少女の声にルーフは脱力気味の肯定をしていた。
受け入れる、とたんにルーフの意識にそれまで忘れかけていた記憶の数々、情景、イメージが再生され始めていた。
……──。
故郷を捨てて地方都市に、生まれて初めての遠出をした日。
初めて魔法使いに出会った日。
魔法使いに、色々な意味でボコボコにされた。
そして、ルーフは錬金術師に己の罪を再確認させられた。
祖父を殺した。妹を守るために家族の一人を殺した、事実を錬金術師に再確認させられた。
記憶を思い出すと同時に、ルーフの額に刻まれている痣がズキリ、と空虚な痛みを覚えている。
感じた痛みをやり過ごそうとする。
だが、いくら奥歯をギリギリと噛み締めたところで、痛みを覚えた意識はすでに感覚の一部、記憶の一ピースに組み込まれてしまっていた。
ルーフが苦い、ブラックコーヒーどころかセンブリなみに苦味のあるメモリーに身を浸らせている。
嫌なことを思い出した。
ルーフの浮き沈みなど関係なしに、ハリは引き続き古城についての話をし続けている。
「錬金術師というのはですね、本来ならば国家公務員レベルの試験が必要になる職種なんですよ」
ハリが語っている内容によれば、錬金術師は魔術師、あるいは魔法使いよりも数が少ないらしい。
「頭の良い人が、それはもう沢山のお勉強をして、ようやく初めてお国の公認錬金術師になれるんですよ」
ハリはまるで配布された教科書、音声サンプルのような、妙にハッキリとした言葉遣いで説明をしている。
「少なくともボクのような、ひとりで勝手に魔法使いを自称しているような怪しい輩とはワケが、一口も二口も違ってくるんですよ」
「……そういうこと、自分で言っていいんか?」
ハリの自虐もそこそこに、ルーフはその辺りでようやく他者の言葉を自身の意識に受け入れる、余分らしきものを作りだしていた。
「とにかく、……俺にとっての錬金術師のイメージは、ほとんど悪いものでしかないんだが」
ルーフが個人的見解を口にしている。
それにモアが、笑みを含めた声で返事をしていた。
「そうよね、殺されそうな目に遭ったら、同じような人をついでに嫌いになっても仕方がないわよね」
少年の思い込みを否定しながら、しかして完全に拒絶をすることはしない。
モアが浅い溜め息を吐きだしている。
少女の発する呼吸の気配を、ルーフはうなじの辺りの皮膚でかすかに感じ取っていた。
少年が差別的意識を生み出そうとしている、そのすぐ近くでモアは彼の意識に必要な情報を与えようとしている。
「でも、あまり勘違いしてほしくないのは、なにも錬金術師の全部が「あんな風」だとは思わないでほしいのよ」
あんな、そんな呼ばわりをしている。
今のところに知り得た言葉遣いからは、モアが少なくとも「あの」錬金術師に良いイメージを持っていないことがうかがい知れる。
話を聞きながら、返事のつもりとしてルーフは少女、少女と魔法使いに質問文を投げかけることにしていた。
「そういえば、お前らって最初はあの集団の仲間のフリをしていたっけな」
思い出したことを、ポツリとつぶやくようにしている。
ルーフとしては出来る限り気軽そうな話題を提供したがっていた。
自然さを意識している時点で、すでに本来の形とは異なる違和感が生まれている。
そのことは仕方がないものとするとして。
考えようとするほどに、ルーフはこの場面における自然さがどのようなものであるのか、不明瞭の泥沼にズブズブと沈み込みそうになっていた。
ルーフが話した内容に、彼の前方を歩いていたハリが明るい返事を用意していた。
「ああ、あの任務ですか。なんだかすでに、もうだいぶ昔の事のように思われますよ」
まるで過去に起きた仕事の成果を、酒の席で自慢するかのような雰囲気を滲ませている。
ハリはかつての時間を思い出すために、眼鏡の奥にある瞳をここではないどこかに差し向けている。
「あれは、一応、ボクにとっての古城における初の公的任務だったんですよ」
「そう、だったのか」
前を歩くハリの姿を見上げながら、ルーフは今更ながらに知った新事実にわずかな驚きを発していた。
ハリは少年の、琥珀色をした瞳をジッと見つめている。
「出会いは、我ながら強烈な印象がありましたね、お互いに」
「ああ、そうだな……」
思い出そうとして、ルーフは思考の動きを強引に止めている。
ここであの、出会いの場面を下手に思い出してしまったら、ルーフは目の前に立っている魔法使いへの殺意もまるごと思い出してしまいそうだからだった。
ルーフが意識を強く抑制していた。
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