魔女は助けるものを選べます
「んん……、んんんんー?」
観覧車の上方にある箱の一つ、そこにキンシは顔をよせている。
分厚く頑丈なガラスに鼻先を、頬を密着させるようにして、内側にあるものをより子細に見ようとしていた。
見て、しかしガラス一枚隔てた視界だけでは、どうにも正確な情報を得られないままでいる。
分からないままで、そのまま目の前の事象を無視することも、不可能ということは決して無かった。
だが、ここで見て見ぬふりをすることが出来たとしたら、話はそもそも始まるさえもなかった。
それこそ好奇心さえ抑え込めたら、今ごろ彼と彼女は魔法使いになんてならずに済んだはずである。
つまりは、トゥーイとキンシは扉の奥を見ることを選んでいたのであった。
「どうしましょうか……」
箱の中身にあるものを外側に出そうとする。
「扉を開けてみましょうか」
空に浮かんだままのキンシがそう提案している。
言葉を聞き入れた、少女と同じように空を飛んでいるトゥーイが首を縦に振って同意を示していた。
「…………」
観覧車の箱に足をかけて、即席の視点に頼りながら腕を箱の扉に引っ掛けるようにしている。
指先に圧力を、トゥーイは腕力を込めて扉を横に空けようとする。
本来ならば人の手によって簡単に開閉できるはずの扉は、トゥーイの腕力でもびくともしない頑強さを発揮していた。
開かない、だがその事実自体には特別なことは含まれていないように思われる。
何故ならここは地上ではなく、地面もなにも無い空中に位置する場所なのである。
こんな所で、ヒト一人分の腕力だけで扉が自由に開閉できたら、あまりよろしくない事態は簡単に想像できてしまえる。
その辺りの事情を含みつつ、キンシは空に漂ったままでトゥーイに経重ねて要求をしている。
「もっと、壊れる……くらいに引っ張れませんか?」
外部の備品であるがゆえに乱暴は扱いは出来ないはずである。
ということを前程しながら、しかしてキンシはいまさら扉を一枚破壊したところで悩むことなど無いだろうと想定した。
キンシがそう考えていた。
魔法少女の要求に答えるようにして、トゥーイは今度こそ全力で、何事にも遠慮のない腕力を閉ざされた扉に発揮した。
「……ッ!」
短く深い呼吸のあと、トゥーイは全力を込めて扉の取っ手を引っ張った。
一回、二回、あるいはそれ以上。
少なくとも十回以の時間内に、トゥーイは早くも開かぬ扉にある程度の諦めをつけていた。
「……開きませんね」
簡単に諦められてしまえる程には、扉はあまりにも堅牢さを彼らの現実に表明していた。
「…………」
トゥーイが扉から手を離すと同時に、キンシの方でもそこに現れている異常事態をある程度把握していた。
開かない扉。
しかし今の目的は扉の外ではなく、扉の内側に存在している。
「それ」は、扉のなかに潜んでいる。
だが扉は開かない。
さてどうしたものか、キンシは考えるよりも先に行動を起こしている
「もし? もしもし、もしもーし」
少なくとも人間がいるとは思えない、観覧車の一部にキンシは呼びかけをしている。
相手の所在を求めている。
言葉を発しているキンシの、背後の辺りで先輩魔法使いが不思議そうな視線を送っていた。
「何してん?」
「ああ、オーギさん」
先輩である、若い魔法使いのなを呼びながら、キンシは手早く彼に意見を求めようとしていた。
「ぜひとも、これに関するご意見を頂戴したいのですが……」
「あー? 何だー?」
こそあどを、ここぞとばかりに使いこなそうとしている。
後輩である少女のアバウトな言い回し。
オーギは違和感を覚えるよりも先に、まずもって現物を確認しようとしている。
オーギが、自身の頭上にて体を支えている魔女に要求をしていた。
「悪いが、もう少し観覧車の方に寄せてくれへんか?」
先輩魔法使いに頼まれた。
「分かりましたわ」
メイという名前の魔女は、なんてこともなさそうに頼み事を受け入れている。
オーギの体をより観覧車に近づけるために、メイは自らの特徴である、空を飛べる白い翼を少し工夫して動かした。
彼女の、幼い形をした身体の腰部分に発言している、雪のように輝く翼が少しだけ移動をする。
そうして、オーギはメイの飛行能力を少しだけ借りながら、観覧車の一部に顔を寄せていた。
実際に見て、オーギは観覧車を回る箱の中身、そこに蔓延っている状態にコメントをしている。
「何だこれ、気持ち悪ッ!!」
率直な感想は爽快感と共に、キンシに現状の不理解さへの不安を助長させていた。
「そんな……、いきなりそんなことを言ってしまうのは、失礼ですよ」
まるで人間を相手にするかのようにしている。
しかしてキンシは、眼鏡の奥にある目線を「それ」に差し向けている。
魔法使いと、一名の魔女が見ている先。
そこには観覧車を緩やかに回転するはず、人間を乗せて回るはずの機材が空中に漂っている。
頑丈なガラスの内側。
内部、内層、そこには巨大な鉱石の塊のようなものがみっしりとつまっていた。
鉱石の粒たちは、よく見るとかすかに動いている。
ウゴウゴとした活動を見て、誰よりも先に理解の言葉を発していたのはメイの唇であった。
「プランクトンよ! 観覧車のなかにプランクトンが……!」
「いっぱい、いますね」
メイの感想、感嘆符を補足するかのようにして、キンシが彼女の言葉を追いかけている。
言葉で表現できる、それが今目の前に広がっている事象に対応できる数少ない手段の一つであった。
意味不明なるそれ。
それは大量の鉱物と見まがう、身体に一粒の輝く腹部を有していた。
大きさ的には大きめのジェリービーンズ一粒分。
色は主に黄色っぽい、うっすらとした気配は黄桃のような瑞々しさを感じさせる。
桃シャーベットのような色の粒が、とれたて新鮮の魚卵よろしく一ヶ所に身を寄せあっていた。
見ようによっては岩石の内にひそむ、鉱石のきらめきにも見える。
「きれいね」
解釈の一つをメイが口にしている。
それに対し、オーギが反対の意見を発している。
「そうかあ? おれには虫がぎょうさん集まっとるようにしか見えんけども……」
彼にして見れば、その光景はてんとう虫の異常大量発生にしか見えないようである。
個々人の感想もそこそこに、魔法使いは次の行動に移ろうとしていた。
「…………」
沈黙のなかで、それぞれの感想文を耳に受け入れた。
トゥーイが引き続き扉を、中身に込められている密集を外部へと解放しようとしている。
無言で速やかなる行動に移そうとしている。
青年の姿を見た、オーギがすかさず彼の行動に異論を訴えかけていた。
「ちょ、ちょいちょい……ちょい待ち。何してんだよ?」
行動が信じられないものであるかのように、オーギはトゥーイに向けて異物を見るかの如き視線を送っている。
先輩魔法使いに行動を抑え込まれている、トゥーイが不満げな感情を眉間のしわに寄せている。
「…………」
「……なんだよ、その顔」
青年の瞳、アメジストのような色をした視線がジッとオーギの方を捉えている。
睨まれていると言っても差し支えない、眼球から発せられる圧力にオーギの方が戸惑っている。
そこに、キンシがトゥーイの意見を代弁するかのような言葉を発していた。
「トゥーイさんは、この扉の中身にあるものを確かめたいそうですよ」
言われなくとも、行動の時点である程度は把握できている。
重要なのは、行動によって引き起こされるであろう危険性のはずだった。
「そういうことじゃねえんだよ、それが知りたいんじゃなくてだな……」
オーギがキンシにそう言った旨の事を伝えている。
その間にも、トゥーイは依然として扉の開放に勤しんでいた。
「だから、その……ちょっと待てや!」
オーギはある程度を語り終える前に言葉を一時停止させている。
それよりも彼は、青年の様子が気掛かりで仕方がないようだった。
「止めろって、言われんでも分かるもんやろがい!」
オーギは腕を限界まで伸ばし、観覧車に手をかけているトゥーイの右腕を鷲掴みにしていた。
トゥーイがこちらを再び見ている、やはりそこには不満の色が見えていた。
だが、オーギの方でもここで無駄に躊躇いを見せるわけにはいかなかった。
「こんな大量の虫がいるのを、急に解放したら何が起きるかわからんやろ?」
なぜこんな、分かりきったことをわざわざ説明せねばならないのだろうか。
オーギは行動そのものを叱責するというよりかは、その濃い茶色の瞳には驚愕がまざまざと浮かんでいた。
青年本人にもれなく発揮されている理解力の無さ、そこにむしろ感嘆めいた驚きを抱いている気配さえ見受けられる。
互いに理由の分からぬまま、ただただ苛立ちばかりが募っている。
空間にこらえきれなくなった、キンシが慌ててトゥーイの方の意見を代弁していた。
「オーギさん、トゥーイさんはですね、箱の中に閉じ込められている人を助けようとしているのですよ」
魔法使いの少女がそう説明している。
しかしながら、少女の供述している内容はにわかには信じがたいものだった。
「閉じ込められている?」
オーギは後輩である少女の言葉を、反芻するように呟いている。
対象はおそらく人間であると、オーギは否定意見を考える途中で早くも別の理解を頭の中にひらめかせてしまっていた。
「まさか、ここに冥人を発症したヤツがいるっていうのか?」
オーギがそう話している。
会話の中に含まれている単語が空気を振動させ、先輩魔法使いである彼の体を支えているメイの聴覚器官へと届けられている。
メイが、言葉の意味を実際に口にしている。
「それってたしか、ヒトが怪物さんのようになってしまう症状のことよね?」
自然と誰かに事実を確かめるかのような口調になっている。
メイの疑問符に、キンシがフワフワと空を漂いながら簡単な受け答えをしていた。
「または、怪獣になるとも言いますね」
言っている途中でも、魔法少女の視線は観覧車の中身に、プランクトンたちの密集に意識を注がれたままとなっている。
「いつかの、お嬢さんのお兄さんにあたる人が発症した、それと同じ状態のひと……が、この中に隠れていたんですよ」
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