寒々しく悲しく、泣く泣くシクシク
血液は、すでにいくつかの生命を終えているはずの死体であるはずだった。
にもかかわらず、切り裂いた分だけ血液はどんどんと、ドクドクとあふれ出ていた。
瓶が一本、二本、ついには三本まで到達しようとした。
その頃合いで、キンシはようやくひとつの目途をたてている。
「そろそろ終わりそうですね」
腕を怪物の肉の中、エラの中に沈み込ませたまま、キンシは上半身を怪物の赤い体液でベトベトにしながら声を発していた。
「どれくらい溜まりましたか?」
そう質問をしている。
どうやらキンシの方は作業に集中しすぎて、得られた成果などほとんど意識していなかったらしい。
魔法使いの少女の質問に、返答をしていたのはメイの声であった。
「いまやっているので、ちょうど三本めになるはずよ」
魔法少女に状況を報告しながら、メイは両の腕で血液を詰めた瓶を重たそうに運んでいた。
「よいしょ、よいしょ」
少しだけ細くなっている瓶の口を握りしめがら、メイは翼を使って瓶を別の場所、つまりは空中に固定されている折とは異なる場所に運ぼうとしている。
複合施設の上に簡易的に用意された、……と表現できるかどうかも怪しい、ただ単に荷物を一時的にまとめている部分。
そこを目指して、メイは腕の中にある瓶を運搬していた。
「どうぞ」
まだほのかに熱を帯びている、怪物の血液に満たされたガラス瓶をメイは若い魔法使いに手渡している。
「ほい、お疲れさん」
幼い体の魔女が運んできた一本を、オーギという名の若い魔法使いが受け取っていた。
渡された血液のひとかたまりを安全な場所に置きながら、オーギがメイに軽く確認をしている。
「どうよ? キー坊はちゃんと肉を捌けそうか?」
二本そろった瓶を少しだけ整えながら、オーギはメイに後輩の様子を問いかけている。
続けて運搬をするために翼を動かそうとした、メイは飛び立つ手前でオーギの言葉を耳に受け止めていた。
「んん……と」
問いかけられた内容についての答えをメイは考えようとする。
思考をする必要があったのは、現状に置いて特に語るべき内容が無いことの証明でもあった。
「まだ、お肉のほうをさばけていないから、私からはなんともいえそうにないわね」
とくに隠すようなことも無いと、メイはとりあえず考えられる分だけの言葉を口にしている。
「それに、私も怪物さんのかいたいは初めてだから、んんと……よく分からないの」
できるだけ的確な表現をしようとして、メイは思考を同時にはたらかせながら言葉を選んでいる。
幼い魔女が首をかしげている。
その様子を見て、オーギが軽いうなずきだけを繰り返していた。
「あー……たしかに、それもそうだな」
幼い魔女と若い魔法使いが形容しがたい、微妙なやり取りを繰り広げている。
そこからあまり離れいていない、空中に固定されている檻からキンシの声が彼らの元に届いていた。
「終わりましたー、全部しぼりとれましたよー」
どうやら血抜きが終わったらしい。
キンシが右手に赤色の瓶を携えながら、左指に刃を携えたままで真っ直ぐこちらに、「飛ぶ」ための魔法を使いながら向かってきていた。
魔法使いである少女が、一つの作業を終えた達成感に浸ろうとしている。
そうしようとした、しかしながら今は祝杯をあげるわけにはいかなかったようだった。
「なにを、なさっておられる?」
声がした、それは魔法使いらの知っている音声とは異なる者だった。
声のする方に視線を向ければそこには関係者が、この複合施設の関係者である男性が立っているのが見えていた。
「あら」
メイが驚いたような声を発している。
実際、魔女はここで関係者が登場してくることを意外に思っていた。
関係者は、魔法使いの行動にまずは理解できる分だけの反応を表していた。
「えっと、敵性生物の駆除はキチンとやってくれたみたいだね」
まずは依頼された仕事の内容が無事に解決されたことを、関係者は怪物の死体から把握していた。
人間を食べるために襲う敵性生物、つまりは怪物と呼ばれる存在、危険性はとりあえずのところこの場所、空間から排除された。
本来の仕事内容は無事に達成された。
しかしながら、関係者はとても喜ばしい雰囲気を出そうとはしなかった。
何故ならば、怪物の死体が存在している以上に、異常なる状態が目の前に存在しているからであった。
「魔法陣は?!」
関係者が、まるでお化けにでも遭遇したかのような声を発しながら、魔法陣の喪失についての追及をしていた。
「観覧車にあったものが? 無くなっている?!」
見たままの状況を、関係者は重大なことを再確認するかのように叫んでいる。
事実、この複合施設の関係者ならば、観覧車に魔法陣が喪失していることこそが何よりも重要視すべきことであるらしい。
関係者が問うている。
相手の反応に対し、魔法使いらの反応はそれぞれに異なっているものだった。
「あー……」
まずはオーギとメイ。
比較的には理性と知性に基づいた思考形態をしている、彼らはマトモなことを考えられるがゆえに、問いかけられた内容に無言だけしか返せないでいる。
沈黙は金であると、そう信じきっている。
そんな彼らの様子など露知らずと言った様子で、キンシがなんてこともなさそうに、事実だけを相手に伝えていた。
「ああ、魔法陣ならトゥーイさん……、えっと、うちの魔法使いのひとりが陽動のために取り外して燃やしたんですよ」
起きた事実、事象だけを言葉にして伝達している。
供述している内容はおおむね正しかった。
ここでもしも間違った言い方、見当違いな表現方法を選んだとして、果たしてその後の世界はどんなふうになっていたのだろうか?
メイは、あるいはオーギはそんなもしもの世界について思いをはせそうになった。
現実逃避をしたがるほどには、理解していたつもりだった。
少なくとも魔法少女以外の人間にとっては、事はかなりの重傷であることをすでに承知していた。
「は?」
さて、いつまでも現実から逃れることなどできるはずもなく、魔法少女から教えられた事実について、関係者が考える時間が訪れようとしていた。
「……、はああああッ?!」
しかして、考えるヒマすらも無いほどには、関係者にとってその事実は許し難いものだったらしい。
「関係者を! 関係者を呼ぶことを要求する!」
そんな風に叫んでいるのは魔法使いの声ではなく、魔法使いでもなんでもない普通の人物、複合施設の関係者であった。
叫ぶ彼の声に、キンシが子猫のような聴覚器官をしけた海苔のようにペタリと垂れさせている。
断る理由も得に思いつかないままで、キンシは若干怯えた様子で青年を、話題の中心に据え置かれている青年の名を呼ぼうとした。
魔法少女が口を開こうとした。
だが、それよりも先に青年の姿は彼女の近くに現れていた。
「先生」
少女の少し後ろ、左側の背後に青年は立っていた。
「先生、何のご用でしょうか?」
トゥーイという名前の、青年は口を閉じたままで言葉を発している。
空気の循環や声帯の振動、舌の蠢きで発せられる音声とは大きく異なっている。
彼は首元に、首輪のように巻き付けてある発声補助装置で言葉を他者に伝えようとしていた。
この場面のあらましは、どうやら彼もその白くフワフワとした、柴犬のような聴覚器官で聞き知っているらしい。
トゥーイはおのずから、自身が消費したばかりの魔法陣の所在についてを語っていた。
「供述する。残念ながら、魔法陣の半分は……。いいえ、わたしはそれの殆どを燃焼しました」
やはり装置は壊れかけのままで、文章的にはひたすらに分かりにくい表現ばかりが続いている。
言葉として、コミュニケーションの方法、手段として、とても褒められるような完成度ではなかった。
にもかかわらず、よりにもよって関係者の彼は素晴らしいまでの読解力によって青年の供述、その内容を理解し尽くしてしまっていた。
後の出来事は、決まりきったように辟易としか言いようのないものだった。
「ゼェ……ゼェ……」
息も絶え絶えになりながら、しかして関係者はまだまだトゥーイに叱責を送らずにはいられないようだった。
「まったく、ふざけるなよ……」
息切れしながら、関係者は先ほどからずっと正しい主張を継続させていた。
「感情に任せて色々と言ってはみたものの……、ここの結界をこのまま放置する、ワケには、いかない……」
もうすでに怒号のバリエーションも使い果たした。
関係者は、早くも次に起こすべき行動の予定を要求していた。
「とにもかくにも、結界の補修をしなければ……」
「魔法陣を、直せばいいんですよね?」
関係者がすべてを言い終えることを待たずに、叱責と罵倒を全て聞き入れていたキンシが、かすかな笑みを作りながら提案をしていた。
「それならば、貴方が必要以上に思い悩む必要性はありません!」
はつらつとした笑顔を演出しながら、キンシは安心を見せつけるかのように左手をスッと前に、関係者の方に差し向けている。
「はあ?」
魔法少女が、まるで話の前後など関係なしに明るい声を発している。
その様子に関係者が訝るような目線を落としている。
瞳に浮かぶ感情を押し退けるようにして、キンシはかざした左手をそのまま自身の後方に回していた。
「魔法陣に関しては、こちらのシーベットライトトゥールラインがまさに! 専門としているのですよ」
「は、し、しーべ……何?」
キンシはトゥーイの正式な名称とされる単語を唱えながら、名前の長さに関係者が困惑している、その間に自陣にて用意できる案を言葉の上に用意していた。
「そう言う訳ですので、トゥーイさん、ここで一つ魔法陣を練るべきなのです、貴方は」
そこそこの早口で、若干まくしたてるような口調になっている。
魔法少女から誘われるように、彼女の背後から事の原因たる青年がのっそりと関係者の前に立ちふさがろうとしていた。
背の高い青年、トゥーイの紫苑のような色をした瞳がジッと関係者の姿を見下ろしている。
真顔、表情には無しか感じられない。
解釈の余地がある、空白がいまは関係者を含めた周辺の人間に、言い知れぬ恐怖とほんの一滴のやるせなさを抱かせていた。
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