拝啓、素晴らしき黒歴史に笑みをこぼす
メイが祖父の姿を、彼が気晴らしにグラス一杯分だけの酒を、アルコール飲料をあおる姿を思い出している。
思い出した。
思いついたイメージにこそ、メイが戸惑いを隠しきれないでいる。
幼い体を持つ魔女が、ほんの少しの不安だけを覚えている。
しかし彼女の不安定さなどは関係なしに、魔法使いらはあくまでも自らの作業に集中をしようとしていた。
魔力の源である要素を煮詰めた気付け薬をキめ込んだ。
オーギが気を取り直すようにして、その体を建物の屋根の外へと運ぼうとしていた。
空を飛ぼうとしている、オーギは苦手な系統の魔法を何とか使いこなそうとしていた。
一歩、二歩。
ゆったりとした動作でありながらも、確実にオーギは作業が行われている場所に近づこうとしている。
彼が見上げている先、そこではキンシとトゥーイが怪物の死体の処理を行っていた。
キンシが、自らをそう名乗っている魔法使いの少女が、トゥーイという名の青年に話しかけている。
「とりあえず、です、心臓はここにあるのでそれの処理をしてしまいましょう」
キンシがそう提案している。
内容に、少女と同じく魔法使いであるトゥーイが同意を返信していた。
「同意。急ぎ心臓の保全を行う、先生の意見は事実に合致する」
回りくどい言い回しを使ってはいるが、とにかく怪物の処理に関して、トゥーイはキンシと同意見を持っているらしかった。
彼らはそんな話をしながら、その体は空中に固定された檻に体重を預けている。
檻はトゥーイの持っている魔法の道具、武器である鎖の粒を拡大したものによって作り出されたものだった。
オーギはそこに足をかけながら、後輩たちの行動をしばらく眺めまわした。
そして口を開いている。
「心臓はどこにしまったんだ?」
彼が問いかけている内容、心臓というのはつまり怪物の肉体内部に含まれている器官の一つである。
名前に表現されているとおり、怪物の生命の源でもある。
そして同時に消化器官の役割も持っている、今しがたばかりにオーギがその身を委ねそうになった内臓の一つでもあった。
オーギの声に反応した。
キンシの、子猫のような形をした聴覚器官がピコリと反応していた。
「オーギさん!」
キンシが先輩であるオーギの姿を視界に認めている。
彼が解体作業の場面に参加しようとしている、その姿を見て驚きを声に発していた。
「お体は大丈夫なんですか? まだもう少し、休んでいたほうがよろしいかと思われますが……」
右の手で檻を構成しているを握りしめながら、ほとんどぶら下がっているような姿勢でキンシはオーギの身を心配している。
後輩魔法使いからの気遣いに、オーギはまずお決まりの台詞だけを返している。
「仕事中は先輩と呼べって言ってんだろ」
定型文を口にしながら、しかしてオーギは少女の言葉を頭から全て否定することはしなかった。
「でも、まあ……確かに、本調子じゃねえことは否めない、だな」
語調を少し暗くしながら、オーギは自身の右肩に睨み付けるような視線を落としている。
見つめている先、怪物に捕食された際に負った傷が刻みつけられていた。
血がでているだとか、あるいは消化液に肌を焼かれたなどという、分かりやすい損傷はそこには確認できそうになかった。
いや、単純な分かりやすさで考えるとすれば、それらの外傷よりよっぽど明確な被害が現れている。
オーギの右肩、そこは怪物によって存在を希薄にさせられていた。
文字通り、読んで字の如く、そこには透明さが症状として蔓延っていた。
つい先ほどまでは新品のガラスのようになっていた。
しかして今はだいぶ症状が軽くなったらしい、せいぜいすりガラス程度までには実体を取り戻せている。
オーギが罹患した部分を上着で隠そうとして、衣服の存在が手元にないことに気付いていた。
「あれ、上着が……」
「こちらにありますわ」
先輩魔法使いが探ってる。
行動の先を読み取るかのようにして、メイが彼に上着を返却していた。
「どうぞ」
空中に浮かぶ檻へ、メイは春日と呼ばれる鳥人族特有の翼を使用しながら近付いてきていた。
幼い体をした彼女に上着を手渡された、オーギは少し恐縮するような態度を見せている。
「ああ、悪いな」
オーギが上着を羽織ろうとしている。
その間に、後輩であるキンシ達は次の行動に意識を移行させようとしていた。
「何はともあれ、まずは心臓の保護ですね」
キンシがそのようなことを声に発しながら、腕の中に抱えている器官、心臓と呼ばれる肉体の一部を檻の端の上に安置している。
丁寧に置いたそれを、キンシはまずトゥーイに預けようとした。
「トゥーイさんで、いつものように魔法陣を使った製錬をする。そして……僕は」
青年に指示のようなものを出しながら、キンシは一旦空になった体を別の目的に向けている。
「僕は、残ったお肉の解体をやらせていただきますか」
意思表明をするように、キンシは心臓を取り除いた怪物の死体をジッと見上げている。
死体の解体、といっても怪物の肉は心臓を破壊された今をもってしても、まだ大量の活力にみなぎっているようであった。
こんな巨体を捌くとは? どうするつもりなのだろうか。
メイは胸の内に好奇心がモコモコと膨れ上がるのを感じた。
どうにかして分かりやすく表情に出てきそうなのを抑え込みつつ、彼女は展開させていた魔力の翼を閉じながら浮遊する檻へ体をあずけていた
「こんな大きなものを、どうするつもりなの?」
抑えきれない好奇心を、メイは魔法使いたちに疑問として一つだけ投げかけている。
魔女からの質問に、答えを返していたのはオーギの声が先であった。
「まずはだな、とにかく肉に残った血液をカラカラになるまで全部抜く必要があるな」
語っているなかで、メイがいまいち納得の行かぬ表情を浮かべているのを確認した。
オーギはすぐに、もっと分かりやすく単純な表現の仕方を考えようとしていた。
「要するに、アレだ、血抜きみたいなもんだな」
一旦怪物という存在をあまり意識しないようにしながら、オーギはそれなりに丁寧にこれからの行為についての説明をメイにしている。
「鮮度をできるだけ保つのに、腐りやすい血液は邪魔だから、あらかじめ全部搾り取っておくんだよ」
オーギからの説明を聞いた、メイはそこでようやく合点のようなものを意識の内に認めつつあった。
「まるで、ほんとうに魚みたいなのね」
魚市場で並ぶ潮の香りを、メイは空想の世界で思い描こうとしていた。
魔女が想像をめぐらせている。
そのすぐ近くで、魔法使いは手早く作業を始めようとしていた。
「えらは、この辺りですね」
キンシが、張り巡らされた檻の辺を辿りながら、怪物の顔面より少し下にある部分に指を這わせている。
「どうでしょうか?」
自身で見つけだしたものを、キンシは一応のための確認としてオーギの意見を求めている。
後輩に問いかけられた、オーギは目測で考えられる可能性に基づいた同意を返していた。
「その辺で、瓶をセッティングするか」
軽く横文字を使いながら、オーギは右の腕をスッと空中にかざしている。
透明な傷を受けた右肩はすでに上着の長袖に隠されている。見た感じでは普通に、健康そうな一部にしか見えない。
右腕の辺りに空気が流れ、オーギの手元に大きな赤いガラス瓶が発現させられていた。
ガラスの瓶はそれなりに大きく、目立つ赤色も相まって、消火器のガスポンプと同じような印象を持たせる。
事実、それはただのガラス瓶という訳ではなかった。
パッと見ただけでも様々な器具が用意されている、見るからに何かしらの目的のために用意された道具であることが察せられた。
オーギの手の中に存在をしている。
その一本は彼の所有している魔法の武器、薬箱の中に込められたいた備品の一つらしい。
取り出した瓶を、オーギは素早い手つきでキンシに手渡していた。
渡されたものを受け取りながら、キンシは瓶を抱える腕に不安を滲ませている。
「僕だけで、上手くできるのでしょうか?」
作業の実行に不安を覚えている。
後輩魔法使いに、オーギはなんて事もなさそうなアドバイスだけを与えていた。
「大丈夫だって、やってみれば意外と簡単に終わるもんだから」
励ましの言葉としてはかなりアバウトで、どこにも具体性など存在していない。
だが、今のキンシにとってはそれだけの言葉で充分だったようだ。
考えるよりも行動を起こすしかない。
いま、こうして悩みを抱えている間にも、怪物の死体は腐敗へと真っ直ぐ歩を進めている。
誰にも留めることの出来ない歩みを、せめてもう少しまともな形にする必要があった。
そのために、キンシは受け渡された瓶を然るべき場所に配置していた。
「よいしょ」
キンシは瓶を、怪物のひれがあると思わしき部分の近くに付属させようとしている。
瓶に備え付けられいた装置、ベルトのような器具が操縦に反応して怪物の肉に密着していた。
キンシは指で軽く圧力を、瓶を支える器具がしっかりとくっ付いていることを確認する。
その後に、キンシは呼吸を数回ほど繰り返しながら、指を虚空に伸ばしていた。
かすかに空気が流れた、その後にキンシの指の中へ一振りの武器が握りしめられていた。
それは槍を小さくしたもの。
短いステッキほどに縮小した、刃をキンシは両の指に握りしめている。
もう一度呼吸を繰り返す。
今度は魔法のための循環ではなく、もっと単純に身体を的確に活動させるための呼吸だった。
腕に力を込めがら、キンシは刃の切っ先を怪物のえらの中に沈み込ませていた。
銀色に輝く、硬く鋭いものがえらの中、怪物の内側へと挿入される。
赤い内側がまとわり付き、締め上げるような圧力がキンシの肌に、意識に伝わってきていた。
ある程度まで刃を進めた後に、キンシは肉の中身をその道具で強く横に薙いでいた。
決定的な一筋が切り裂かれた。
音はあまりしない、ただ大量の温度がキンシの指先へ一気に溢れていた。
血液があふれ、キンシの腕を濡らしながら外側へドクドク、ドクドクと落ちていった。
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