無感情と無表情のままで、朝まで踊りましょう
「どう……っ?!」
どうしたの?!
メイはその言葉を、驚愕を唇に発しようとしていた。
しかし幼い体の魔女が実際に声を発するよりも先に、オーギがまず自身の状況を簡単に、簡素に説明していた。
「落ち着いてくれや……。ダイジョーブ、お前さんに直接害があるもんじゃねえって」
自分よりも相手のことを気遣っている。
その程度、そのぐらいの余裕はある。
と、オーギは言葉で直接表現せずに主張を魔女に伝えたがったのかもしれない。
しかし、オーギ自身が安全と安心を訴えかけるほどに、メイは彼の身体に現れている透明さに怯えるより他はなかった。
透明……そう、オーギの右腕には異常なまでの透明さが発症しているのである。
どのように透き通っているのか、例え話を用意することすらも出来そうにない程に、オーギの右肩は透明になっている。
あえて物質的な形容をするとしたら、それはまるでガラスのようであった。
丁度オーギの右肩をそっくりそのまま、一寸の狂いもブレもズレも許さずに模倣した型を造った。
そしてそこにマグマのようなガラスを溶かし入れる。
そうすることで、オーギの肉体の一部を象ったガラスの彫像が出来上がる。
無意味な空想をそのまま現実に持って来たかのような。
そんな透明度が、さも当たり前のような質感を以てオーギの右肩の大部分を覆い尽くしていた。
メイが、右指の間に怪物の血で赤く汚れたハンカチを握りしめている。
絹でおられたハンカチがくしゃりと曲がる。
見た目の瀟洒さ以上に、頑丈な作りがなされている布が柔らかく折れ曲がる。
圧縮された指の中、屈折する指の骨がぶるぶると触れている。
それは雨粒による寒さではなく、オーギの体に起きている症状に触れてしまった、恐怖心から起こる震動の数々であった。
幼い魔女が怯えている。
その様子を霞む視界で眺めていた、オーギがやがて口をそっと開いていた。
「あー……、やっぱしだいぶ削られたか……」
忌々しそうに、少しだけ腹ただしそうにして、オーギは自分の右肩の辺りへと視線を落としている。
「削られた」。
そう表現をしながら、オーギはしかしてあくまでも仕方がないといった様子で、自身の損傷具合をどこか客観視するように見下ろしている。
若い魔法使いが口にした。
単語の意味を考えるよりも先に、メイはオーギの状態から言葉が表している部分を把握していた。
「怪物さんに食べられると、そんなふうになってしまうものなの?」
メイは考え付いた予想をささやいている。
まるで自分以外の他の誰にも聞かれないように、発した言葉を他者に認識されることをひどく恐れているかのような声音を使っている。
蚊の羽音ほどに小さく、余りにも頼りない音量。
しかし不思議なことに、オーギの耳は幼い魔女の言葉を最初から最後までしっかりと聞き取っていた。
まだ体力が戻らないなか、オーギはゆったりとした口調にて魔女に返答を用意している。
「奴さんら……、えっと、怪物に喰われて、内臓に取り込まれて消化されると、人間ってやつは透明になるんだ……」
かなり体力を削られているらしく、いつものハキハキとした生命力がまるで感じられそうにない。
生命力の減少も、もしかすると怪物に捕食されることによって起こる障害の一つなのかもしれない。
メイがそんなことを予想している。
彼女の視線の先、下側でオーギは観覧車の根元部分に身を預けたまま自身の状況を説明している。
「怪物ってのは、魔力を食べる生き物でな。……なあ、メイ坊よ」
説明をしようとした、その口調のままでオーギはメイに向けて質問文を投げかけている。
「魔力を限界まで失った、人間が、どんなふうになるか知っているか?」
声音は依然として弱々しいものでしかない。
しかし、体力の有無に関係なくオーギは幼い魔女にこの世界の現実、その一つについての追及を真っ直ぐ伸ばしていた。
弱っている、衰弱しているはずなのに、若い魔法使いの眼球にはどこか他者を寄せ付けぬほどの威圧感すら感じさせた。
メイは感覚を体に味わいながら、抱いたそれを手放さないうちに質問文への解答を喉もとに発していた。
「魔力がなくなっちゃうと、ヒトは生きていけないわね。だって、魔力は……」
先に明確な答えを用意していた。
オーギはメイがすべてを言い終えるよりも先に、頷きだけを数回繰り返している。
「そうだ、その通りだ」
魔女の抱いた想像を、まるで先んじて確定するかのようにしている。
オーギの目線はメイの方に向けられていながら、視点はそこはかとなく遠いどこかに向けられているようでもあった。
「魔力っていうのは、血液みたいなもので。量が減れば、そりゃあ、色々とタイヘンなことになる」
魔力についての話をしている。
オーギの姿を見ながら、今度はメイが彼の言葉を先に予想していた。
「それで、怪物さんに魔力を食べられて、そんなふうに透明なからだになってしまったの?」
言いながら、メイは再びオーギの透明になってしまった右肩部分へと目線を固定している。
メイからの質問に、オーギは再三の同意を伝えていた。
「ああ、そういう事になる。この症状が体、全体まで広がると、最後には……」
オーギは透明になっている右肩から、かすかに透き通っている首元まで指を這わせる。
そして最後には頭、頭蓋骨、脳がある部分まで指が這いのぼった。
その時点にて、オーギは指をパッと体から離している。
「存在が消える、粉々に消滅する。パッと光って、その後はさようなら、だ……」
そこまで言った後で、オーギはもう一度力なく体を重力に預けている。
分かりきっていることだが、しかしメイは己の想定以上に先輩魔法使いが消耗をきたしていることをさらに思い知らされていた。
ほんの少し、二秒ほどだけためらった後。
メイは再びハンカチを握り直し、再びオーギの体を拭き清める作業に戻っていた。
右肩に触れる、今度は恐れなどは抱かない。
未知の現象から既知の症状に変わったからだろうか。そう考えようとして、しかしメイはそれだけの要素に限定されている訳ではないことを自己に察している。
「私が、怪物さんに食べられたときは、なんともなかったから……」
昔に起きたことを思い出すようにして、メイは自身の経験をオーギに話そうとしている。
「だから、私、こういうのは初めてなのよ」
語っている内容、意図を考えるよりも先にオーギは考えられる範疇の返事を口にしている。
「個人差があるからな。平気な奴もいれば、おれみたいにすぐ反応が出てくたばっちまう奴もいる」
語りながら、オーギは少しだけいたずらっぽい光を瞳に輝かせる。
「聞くところによれば、半年も飲み込まれっぱなしで生還した奴もいるらしいぜ? おっかねえよな」
「ええ?! そんな、まさか……」
にわかに信じがたいことを話している。
メイにはそれがオーギが、魔法使いが自分をリラックスさせるために作り上げた冗談であるのか、それとも本当の事実なのか、今は判別する術を用意することは出来そうになかった。
さて、ある程度ハンカチで大量を清めることに成功した。
「ありがとうな」
オーギは依然として立ち上がれないままで、しかし横になった状態のままでもメイに礼を伝える分の余裕をそれなりに確保している。
相変わらず彼の右肩は透明なままで、しかして最初に目にしたときほどの純粋さはいくらか減少したようにも見える。
例えば、新品のガラスからある程度雨天によごれた一枚に変わった、その程度の変化しか見受けられそうにない。
とは言うものの、確かな変化にメイは勝手に安心の様なものを抱こうとしている。
魔女が深呼吸を二回ほど繰り返しながら、血で汚れたハンカチを持参したポーチに戻している。
作業が一つ終わったところで、オーギもそろそろ活動に身体を戻そうと考えているようだった。
「さて、おれもいつまでもノンビリしては……」
立ち上がりかけた所で、オーギの視界を紫と黒の濃霧と煌めきがチロチロと襲いかかっていた。
「あ、うわ」
上に運ぼうとした上半身が重心を掴めず、足元がふらつき、フラフラと揺れる体が掴み所を得られずに再び地面の上に倒れ込もうとしてる。
先輩魔法使いの様子を見て、メイが慌てて彼の体を支えようとしていた。
「いけません、ナグさん……! そんな体で、まだもうすこし、ゆっくりとしたほうが……」
メイからそう提案をされた、しかしオーギは魔女からの気遣いを素直に受け入れられないでいる。
「そういう訳にもいかへんのやって。あいつ等だけじゃ、他の連中の相手を上手くこなせるか、怪しすぎるんだって」
四つん這いに近しい格好になっている。
オーギは膝を雨に濡らしつつ、満足に稼働しない体へ忌々しそうに溜め息を吐きだしていた、
「特に、トイ坊はすぐに暴力的な事をしやがるから、ヘタすりゃ、ここの奴らを皆殺しにするかもしれへんし」
かなり物騒な予想をしている。
オーギが語っている「奴ら」というのは、おそらくこの建造物、複合施設の支配人連中のことを指しているのだろう。
メイが、この際だからと、この場所に訪れてからずっと胸の内に漂わせていた疑問を彼に問いかけていた。
「ここのひとたちは、魔法使いさんのことを嫌っているのかしら?」
首をかすかにかたむけて、どちらかといえば予想に近い問いを口にしている。
魔女からの質問に、オーギはまず最初に低く、唸るような同意だけを返していた。
「勝手に嫌ってくれているなら、それはそれで、むしろマシな方だと思うけどな」
再び体のほとんどを観覧車の根元、主柱に預ける。
そうしていながら、オーギは魔法使いについてのこと、自分が属している種類についてのことを語っている。
「おれ達みたいな、怪物を殺すことを専門としている魔法使いを快く思わない。……いや、こんな言い方をするまでもないな」
言いかけた台詞を、オーギは自らの手でそっと握り潰すように否定している。
「嫌っている。魔法使いを嫌っているヤツが、この灰笛でもまだ、まだずっと、たくさんいるんだよ。面倒なことにな」




