ウソかホントかはあまり関係がないのです
怪物の肉を刺す槍を、キンシは少し工夫して抜く必要性にかられていた。
トゥーイの鎖によって構成される人口の檻に足をかけながら、肉の内にひそむ「それ」を上手く摘出できないでいる。
「うう、……硬い……っ」
苦しみ悶えるような表情を浮かべながら、キンシは急いで槍の先端にあるものを空気の内、怪物の体外に引きずり出そうとしている。
力任せに引き抜くことは許されない、工夫を必要としているさなかでキンシは怪物の肉が発する圧力、伸縮力に押し負けそうになっている。
一呼吸を置くことすらも許されない、その間に開けた傷口が閉じてしまいそうな、そんな勢いがある。
槍を手放してしまいそうなほどに苦しむ。
そんな、魔法使いの少女に助け舟を出す白い手が伸ばされていた。
「キンシちゃん! しっかりっ!」
キンシの、魔法使いである少女の体を支えるように、そして槍を引き抜く力の助けになるよう、メイはその白く細い腕を魔法少女のそれと重ね合せている。
少女を助けようとした、それは幼い魔女だけに限定されているものではなかった。
「援助します」
電子的な音声と主に、より深く広い熱が彼女たちの体を包み込んだ。
それはトゥーイの身体で、彼もまたせめてもの援助として体をあずけようとしていた。
幼女と青年の助けを借りながら、キンシはようやく槍を怪物の体から引き抜くことに成功していた。
大量の血液にまみれた槍の口金が引き抜かれる。
そして穂の先端……、固く鋭い部分が差し込まれた部分が引き抜かれていた。
ズルリ、ズルリと体の内側から摘出された。
それは大きな赤い塊で、赤々とした肉塊が雨粒に濡れて輝いている。
怪物の生命そのもの。
魔法使いが「心臓」と呼ぶ、怪物が有している器官の一つであった。
浮遊する檻の中で、ダッフルバック程に膨れ上がったそれをキンシは両腕で慎重に抱えている。
心臓を抱えながら、まだドクドクと鼓動をするそれを腕の中に抱える。
抱えながら、キンシは左手に持っていた槍を少しだけ変化させた。
武器の大きさを縮小させる。
十五センチ定規ほどに小さくした、武器をキンシはメイにいったんあずけようとする。
「僕が心臓を抱えているので、メイさんは摘出の方をお願いできますか?」
キンシからそう頼まれた。
メイはすべてを言葉で細かく確かめることを必要とせずに、言われた内容を率直に実行しようとしていた。
「ええ、やってみるわ……」
小さく、短くなった槍を受け取りながら、メイは拒否感を覚えるよりも先に行動力を体に刻みつけようとしていた。
刃を受け取り、メイは急ぎ心臓に刃物部分をあてがっている。
肉を切る、シャクシャクとした感触がメイの指先に伝わる。
驚くほどに生臭さは感じられなかった。
むしろ甘い、果物の果汁から発せられるそれのような、かぐわしい匂いにメイはめまいを覚えそうになる。
ふらついている場合ではない、慎重に、細心の注意を払いながら刃を使わないといけない。
そう考えようとした。
だが思えば思うほどに、手元は不安定な震えを増幅させようとしていた。
震える指先に、トゥーイの腕が背後からそっと伸ばされている。
「トゥ……」
背中に感じるトゥーイの体温に、メイが振り向いて答えようとした。
だが青年は、魔女の行動を無言の中で否定していた。
「…………」
今はとにかく摘出に集中すべきであると、青年はメイの体を借りるように刃を進ませようとしていた。
魔女が、そして魔法使いたちが躊躇している間に、心臓は早くもその性質を硬直させていた。
最初の瞬間こそ、まるで本物の心臓のように柔らかかった。
それが、今ではすでに岩塩の様な硬さを帯びようとしている。
「カチコチに、かたくなっちゃったわ……!」
メイが自身の手際の悪さに後悔を抱こうとした。
だが、感情よりも魔法使いたちは行動に意味を見出そうとしていた。
「むしろ都合が良いくらいです」
後悔する魔女を叱責するついでに、キンシは次なる行動を明確に言葉に変換していた。
「いっそのこと、ガツガツと削る位の勢いでやってしまいましょう」
魔法少女から提案をされた。
トゥーイがそれに答えるようにして、メイの腕ごと刃を心臓に強く打ちつけていた。
ガツン!
硬い物同士がぶつかり合う音色が少しの間だけ連続する。
何回か衝突を起こした後に、ついに心臓の様な石へ決定的な破壊がもたらされていた。
バキリ。
赤色の鉱物が割れる、途端にまだ硬質化していなかった中身の赤い粘度がドロドロとこぼれ落ちる。
赤い割れ目にキンシは腕を伸ばしている。
ズプズプと柔らかさに腕を濡らしながら、指先があるものに触れるのを確かめる。
確認した、瞬間にキンシは腕の力をさっと上に向ける。
握りしめた、それが怪物の心臓から引きずり出されていた。
キンシがそれの、心臓の中に取り込まれた若い魔法使いの名前を叫ぶ。
「オーギさん、オーギさん!」
キンシが彼の名を叫ぶように呼んでいる。
後輩である魔法使いの少女に名前を呼ばれた、オーギが返事をしようと、その体に呼吸を思い出させようとしていた。
「が……っ げぼっ! がは……っ」
体のほとんど、外側や内側に関係なく体を包んでいた血液の密集を、オーギは鼻や口などの気管支から吐きだそうとしている。
何度か呼吸を繰り返した。
あまり時間をかけることをせずに、オーギはすぐさまその身に言葉を取り戻していた。
「あー……」
ぽっかりと目を開けながら、焦点の合わぬそこが雨粒に濡れている。
「エラい目に遭ったわ……おれ、ちゃんと生きとるか……?」
問いかけている、先輩魔法使いにキンシが返事をしていた。
「ええ、眠るにはまだ早いようです」
後輩である魔法使いの少女の声を聴いて、オーギは実に忌々しそうに空へ、雨へと呟いていた。
「それはなんとも、クソッタレ、だな」
約一名の救出を行った。
しかして戦いを無事に終えた魔法使いたちには、まだ他の細々とした仕事が残されているのであった。
「オーギさんはしばらく休んでいてください」
親切心というよりかは、むしろ効率を重視している。
そのことを自覚しているか否かは関係なしに、オーギはとりあえずキンシからの提案を受け入れることにしていた。
「さすがに、おれもちょっと疲れとるから……」
そんなことを言い訳のように、しかして事実に限りなく近しい意見を呟きながら、オーギは観覧車の根元に身体をしばらく預けることにしていた。
後輩魔法使いたちが怪物の死体を片づけている。
持ち運びやすいサイズまでに切り刻んで、変化させ、加工している。
依然として空中に固定されている檻の中で、後輩たちがあくせくと働いている。
「おー、あいつ等も手際がよおなったわ……」
オーギが見上げている、その隣でメイが彼に質問をしていた。
「ナグさん……お体のほうは、ほんとうに大丈夫なのかしら?」
死体の解体や加工など、魔法使いの業務に関しては専門外であるメイは、どうせならしばらくオーギの様子を見守ることにしていた。
幼い体の魔女に問いかけられていた。
オーギはほんの少しの間だけためらった後に、割とすぐに自身の問題を魔女に相談していた。
「そう、やなあ。体が血液でベットベトやから、今すぐ熱いフロにつかりたいな」
なにも魔女に問題点を解決してほしいなどとは、オーギは真剣に考えていた訳ではなかった。
だからこそ、現状では実行しえぬ無茶振りで場を和ませようとしていた。
だが、若い魔法使いの計らいは魔女にあまり意味を為さなかったらしい。
「お風呂はむり、だわ……。でも、そのかわりなら……」
いたって真剣な面持ちで、メイは懐から一枚のハンカチを取り出していた。
「お風呂はムリだから、せめてこれでからだをキレイにしなくちゃ!」
なぞに張りきった様子で、メイはオーギの体を白色のハンカチで清めようとしていた。
「え、あ、ちょ……おい!」
うむも言わさず、間髪いれずに上着をテキパキもはだけている。
メイの手際にオーギが拒否を、そしてそれ以上に遠慮を訴えかけようとしていた。
だが今回ばかりは魔女の方が行動の主体性を握っていたらしく、オーギは圧倒間に幼女の手によって上着を脱がされていた。
メイが驚きの声を上げている。
「まあ……たいへん、お洋服のしたまで怪物さんの血にぬれちゃっているわ」
直接心臓の中に取り込まれていたのだから、それも当然のことではあった。
あらためてメイが先輩である彼を救えた。
その事実に安心をしながら、ハンカチで下着、タンクトップから生える裸の腕をそっと拭おうとした。
ハンカチが血液を吸い込む。
そして彼女の爪の先端、白く細い指先が魔法使いの皮膚に触れた。
ある程度拭いた。
清めた肌に触れた、そのあたりでメイはようやく若い魔法使いの、オーギの体に起きている事態に気付き始めていた。
「あら……?」
最初はささいな違和感だと思った。
だがハンカチの白い繊維が汚れを、血液による穢れを吸収するたびに違和感は段々と、あまり時間をかけることもせずに実体を強めていった。
やがて確信を得た、その時にはメイは思わずオーギの体から一歩、二歩ほど後ずさりそうになっていた。
逃げようとした、その理由はオーギの体に発症している「それ」が深く関係していた。
驚くメイを見た、オーギの方でもそこで初めて「それ」に気付いていたらしい。
「ああ」
自分の身体に発症している、オーギが自身の右肩の辺りを見ていた。
魔法使い、そして魔女が注目をしている。
「その事象」は、魔法使いであるオーギの体に発症していた。
本来ならば人間の肉体、構成する組織が広がっているはず。
しかし今のオーギの右肩には、およそ人間のそれとは呼べそうにない形質が現れていた。
メイはてっきり自分は今まで彼の肌ではなく、もしかすると彼が上着の下に忍ばせていた巨大な鉱物をうっかり触ってしまったものだと、そう思い込みそうになった。
そう……、オーギの右肩は限りない透明に変わろうとしていたのである。
それは水晶、いや、むしろ氷や水よりも透き通っている。
存在の希薄さを人体に無理やり貼り付けたかのような、そんな透明さがオーギの右肩を密着するように覆い尽くしていた。




