大量の生命が殺しあうリンゴを作ろう
キンシは謎に楽しそうにしていた。
緊張を紛らすための行為であることは安易に想像できたが、それにしてもオーバーなアクションであることは否めなかった。
「犬の散歩ですって、面白いですね」
にこにこと笑っている。
しかしながらメイには、キンシがそこまで愉快そうにする理由が全くもってわからなかった。
確かに少女の相方にあたるトゥーイという名の青年は浪音と呼ばれている、身体にイヌ科の特徴を宿した人間の種類、少なくとも外見上は属していた。
とは言うものの、本物の犬と青年とでは元々の要素があまりにも異なっている。
そもそもが比べる必要性も無いほどに、青年はあくまでも人間的な要素しか持ち合せていない。
今のところは、トゥーイは人間の意識を持っていた。
だからこそ、キンシは彼の人間性を信頼しているがゆえに、他人からの冗談に気楽な態度を作ることが出来ていたのだろう。
そして青年もまた、少女の信頼の上で無意識の内に他者への諦めを演出すること。
それを可能にしていた。
ともあれ、読んで字のごとく、正真正銘奇々怪々なる一行は本日の目的地へと足を進めていた。
たどり着いた、魔法使いたちが空の上から地面へと降り立っている。
そこは当然のことながら、灰笛という名前の土地の内に含まれている場所だった。
目的地へと降り立った。
キンシが今更ながらに不安げな様子で、視線を上に捧げている。
「しかしながら、ですよ。こんなに人の往来が激しい所でのお仕事だなんて、僕……もしかすると初めてかもしれません」
思ったままの感想をそのまま口にしている。
まるで唇が、発生器官がまともに働ける内に、慌てて心情を余すことなく表現しようとしてるかのようであった。
不安げな後輩魔法使いに、先輩であるオーギが励ますような台詞を少女に用意していた。
「大丈夫だキー坊よ、おれもここまででかい箱で奴さんとやりあうのは初めてかもしんねえから」
オーギにしてみれば、ここであえて温い共感を呼び覚ますことで少しでも後輩の、そして何より自分自身の緊張をほぐすつもりだったのだろう。
しかし先輩魔法使いの心遣いは、残念なことに後輩であるキンシに全てがまるごと適用されたとは言えそうになかった。
先輩と後輩が、図らずして高度な心理戦じみたやり取りを交わしている。
そのすぐ近く。
若い魔法使いらから大して距離をおいていない地点にて、メイという名前の魔女が感嘆符を口にしていた。
「まあ……」
幼い体を精一杯上に、天に伸ばそうとしている。
メイの紅色をした瞳が、天高くそびえ立つそれを視覚の中心に据え置いていた。
「遠くからだとよく分からなかったけど……。でも、こうして近くで見てみると……──」
上を見据えている。
彼女らが見つめている先。
そこにはこの灰笛においても、人や車……その他諸々の人工的な要素が集まる区域。
そういった土地においたも、ことさら人を一ヶ所に集めることに特化した商業施設であった。
「商業的価値を見いだしたがゆえの複合施設、ですかね」
キンシが、恐らくはトゥーイに向けて質問をしている。
少女の質問に対し、青年が義務的な雰囲気を帯びた返答をしているのが聞こえてきた。
「同意する。ここでは……──」
トゥーイが、彼が首もとに巻き付けてある発生補助装置によれば、この場所は灰笛におけるランドマークのうちの一つにあたるらしい。
「観光名所がたくさんあるのねえ」
メイが心もとない様子で、ただ単に心に思ったままの感想を唇に発していた。
魔女の心からの感想に、オーギが若干皮肉めいた笑みを口元に滲ませている。
「実際に観光しに来るやつが、人間が、いるとは限らねえけどな」
オーギが自虐めいたことを、つまりは自身の暮らしている土地についての話を此処で少し展開させていた。
「観光しに来たくない都市ランキングでは常に上位を確保! 我らが灰笛は今日も今日とて、独りよがりな魅力を振りまいているぜ?」
実際に冗談めかして話している。
返事のような、合いの手のつもりとしてメイがオーギに質問をしていた。
「こんなにひとがたくさんいるのに、魅力がないってことはないんじゃないかしら?」
割と真剣な面持ちで疑問を抱いている。
幼い魔女の様子に、オーギは照れ隠しのような補足をすぐに用意していた。
「いや、これは単に夕方のワイドショーを見たときに聞いたランキングだから。おれだってなにも全国ネットの話を、そのまま鵜呑みにしているわけじゃねえよ」
情報の出所が不明瞭であることを先に説明した。
その後に、オーギは少しだけ音量と勢いを削いだ声で自身の意見を述べている。
「でも、確かに……な。ここは暮らすためのまちであって、そんなどこか知らないところを求めてやってくる、旅行客を喜ばせられるものなんてなにも無いはずなんだよな」
オーギがそう表現している。
言葉の中でメイは間違いなく住人で、もれなく現地の人物である彼の意見を頭のイメージに組み込んでいる。
そうして、メイは自分なりの反対意見を舌の上に用意していた。
「それでも、誰もいなくならないってことは、それだけのちゃんとした魅力がここにあるから。……なんでしょう?」
希望的観測を口に表現したがったのは、もしかするとメイ自身が自分の羽を落ちつかせる選んだ場所、この土地をもう少しまともなものとして受け入れたかった。
願望が含まれていたことを、小鳥のように幼い体を持った魔女は言葉の外側で願っていた。
魔女の願望は、しかしてまるきり無視されることはなかった。
オーギが、すっかりいつもの調子に戻った声で独り言のように話している。
「人が集まる理由は、多分別の部分が強く関係しているんだろうな」
メイが再びオーギの顔に注目をする。
じっと見上げる。
その先では若い魔法使いの、濃い麦茶のような色をした瞳が一点だけを見据えているのが視認できた。
「魔法使いの勘っていえば分かりやすいんだろうが。……でも、まさかおれがこんなセリフを吐く日が来るとはなあ」
感慨深そうにしながら、オーギは左の指を自らの右腕の辺りに這わせている。
まず上腕を掴む。
自身の腕の感触を一から覚えるようにして、段々と末端の方へと下がっていく。
だが指の動きは右腕の全てを確認せずに、丁度関節を通り抜けた少し先の辺りで蠢きを止めていた。
そこはもれなくオーギの、魔法使い本人の肉体の一部であり、しかしながら衣服の下に隠されているそこは異質なものであった。
隠されているものの正体、それをメイはすでに知っている。
そこには、記憶に違いが無いのならば確か、オーギ本人が背負う「呪い」の印が刻み込まれているはずであった。
人間でありながら、人間の分類から逸脱した魔力の象徴であり、そして己の罪の証でもある。
呪いの部分に手を添えながら、オーギは目の前にある複合施設をジッと見据えている。
「なんつうか……、今すぐに雷の一つでも直撃しちまいそうな、そんなにおいがプンプンしやがる」
「?」
何のことを言っているのか、メイにはよく分からなかった。
しかしながら理解できないのはあくまでも感覚的な話に限定されており、魔法使いの主張している内容ぐらいならばすぐに想像を至らせることが出来ていた。
「怪物のけはい……、虫の知らせ、ってかんじかしら?」
魔法使いの直感について、メイはすでにいくらかの情報を聞き知っていた。
持ち合せた情報と現実を総合させようとしている。
幼い魔女が思考を働かせようとしている、そこにキンシの声が介入してきていた。
「確かに、この方角に怪物の気配がビリリビリリと、僕の左目もうずうずに疼いております」
言葉や声の調子からして、どう聞いたとしてもふざけているようにしか聞こえない。
だが、メイはすでに魔法使いたちの間に走っている緊張感を察していた。
だからこそ、幼い魔女は桃色をした柔らかな唇をキュッと閉じ、若い魔法使いたちのやりとりにへ静かに耳を傾けることにしていた。
キンシが引き続き主張をしている。
「左目さんは、どうやらあそこが怪しいと主張しておりますよ」
そう言いながら、キンシは足を動かしつつ左指を上に指している。
色素の少ない、細い指が指し示している。
そこにはやはり観覧車があり、回転を止めた静けさが巨大な装置の全体を静謐に支配していた。
キンシが歩きながら話をしている。
前方に気を配りながら、その視線は建物の上に生えている観覧車に固定されている。
「ですが……、なんでしょう? いつもよりも様子が異なっているような? そんな気がします」
歩きながらそう主張している。
キンシの言葉に、オーギはおおよそ同意のような言葉を返していた。
「そうだな、おれも何だか妙な感覚を覚えとるわ」
すでに左手は右の腕、関節の下あたりから離されている。
普通に歩きながら、しかしてオーギの思考は怪物についての事柄に強く意識を働かせていた。
魔法使いたちが勝手に共感をしている。
話に置いてけぼりにされないように、メイが彼らの後を追いかけるように質問を投げかけていた。
「みょうな感覚って、ぐたいてきにはどういうことなの?」
魔女からそう質問をされた。
しかしながら魔法使いたちの受け答えは、どうにも要領を得ないものでしなかった。
「どう、と言われましても……」
キンシにしてみても、かなりアバウトは領域に属される感覚であるらしかった。
それでも、魔女からの問いに魔法少女はあくまでも真面目に答えを用意しようとしていた。
「なんて言いますか? 雨が降る前の曇り空の圧迫感のような、それか、雨が止むまえの風の匂いでしょうか」
キンシがいかにも詩的な表現を使おうとして、しかしどうにも上手くいかずに言葉に迷っている。
そんな後輩魔法使いに助け舟を出すようにして、オーギがこの状態を簡潔に表現する言い方を使っている。
「あー、何となくいちばん近いのは、治りかけのカサブタが痒くなる感じ? だな」
オーギがそう語っている。
その内容に対して、キンシがつよい共感性を抱いていた。
「ああ! そんな感じです、まさにちょうどです。さすがオーギ先輩です」




