自虐を狙撃する重力の銃
電車に揺られている、メイはキンシの顔を見上げていた。
さっそくメモに記されていた獲物……、もとい怪物の発言が予測される地域に向かわんとしている。
魔法使いの少女の表情は、とても安心感に満ち溢れているとは言えそうになかった。
車窓の外には地下空間の暗闇が広がっている。
地下鉄に乗っているのだから、外の風景が見えないのは当たり前以外の何ものでもなかった。
そう、頭では理解しているつもりだった。
とはいうものの、それでもメイは溜め息のようなものを吐きださずにはいられないでいる。
「こう、暗い風景ばかりつづくのって、いつまでも、なんどでもイヤになっちゃうわね」
言っても仕方がないことをあえて言いたがるのは、これから訪れようとしている面倒事へのささやかな反抗心からくるものなのだろうか。
幼い体の魔女が、雨具から覗いている白い腕を、そこにたくさん生えている白い羽毛をブワワと膨らませている。
春日という名前で呼ばれている、体に鳥類の特徴を宿した人間の種類の一つ。
そんな彼女の、紅色をした瞳が窓の外を眺めている。
キンシは彼女の視線を追いかけるようにして、同じように窓の外に目を向けてみる。
当然そこには暗闇しか存在していない。
とくに注目するような事柄もなく、キンシは心許なさげにガラス板に反射している自身の身体、顔をジッと再確認していた。
ちょうど鏡のようになっている。
そこにはキンシ本人の顔がある。
右目の緑色、そして左側の眼窩には赤色の宝石によって作られたまるい義眼が埋め込まれている。
左目には、まだなにも反応が見受けられない。
どうせこの後、怪物の存在を意識すれば疼きが生まれる。
正直なことを言えば、この列車に乗っている時点ですでに幾らか違和感のようなものを覚えてはいた。
だが、特に注目するようなことでもないため、キンシは一旦目を閉じて暗闇に身をあずけることにしていた。
まぶたの裏の薄い闇に身をゆだねていると、自然と聴覚が敏感になるような気がしていた。
会話が聞こえてくる。
それはオーギとトゥーイの声と思わしき響きを持っていた。
キンシは暗闇の中で耳を済ませる。
彼らはこんな話をしてた。
まずはオーギの声。
「それで、結局その日はやっこさんを追い払った後に、このテキトーな所在地情報だけを手渡されたってことになるんか」
そう言いながら、オーギの指がメモ用紙の一枚をピラピラと雑に取り扱っている音が聞こえてくる。
先輩である魔法使いが不安の要素を指摘している。
彼の言葉に返事をしているのは、トゥーイという名前の青年魔法使いの音声であった。
「同意。供述した内容に不備はないと考えられる」
できるだけ短い言葉で肯定の意を伝えようとしている。
トゥーイが身につけている音声補助装置は、今日も今日とて少しばかり不具合が残されたままとなっている。
後輩である青年魔法使いの、同意だけをそれとなく受け取ったオーギが不承不承そうな返事をしている。
「しかし、そのナナセ・ハリとか言う魔法使いも、本当に信頼できる相手なんか?」
かなり今更な話題を、しかして決して無視することの出来ぬ事柄をオーギは改めて後輩たちに確認している。
「そりゃあ、古城直々のお抱え魔法使いからの依頼内容っていう体なら、ウチんとこみたいな弱小の事務所には身に余るほどの報酬が期待できるが……」
オーギがそこまで語った所で、キンシは自分の元からメイがそっと離れていく気配を感じ取った。
とっさに目を開き、魔女の白く小さな体を視線で追いかけようとする。
目を開けた。
視界の中には列車の空間が同じく広がっている。
ただ、さきほどより乗車している人間の数が増えたような、そんな気がしたのはキンシの心理的状況が生み出す錯覚にすぎないのだろうか。
少女が感覚に確信を抱けないでいる。
彼らが、そして彼ら以外の普通の人間がのっている。
運賃を払った人間ならば何であろうと、どんな事情を抱えていようと関係なしに電車は人間を運ぶ。
鉄の車輪が硬い道を進み続ける。
やがてその推進力が弱まってくる。
ヴーン……、ヴーンンン……。
獣の寝息のような音を発しながら、電車は魔法使いらを別の場所に運び終えていた。
電車から人々が降りる。
魔法使い以外の人間も降りようとした、人の波の質量がメイの体をもてあそぼうとしていた。
「わ……っ!」
よろけて転びそうになったメイの体を、キンシが彼女の腕を掴む格好で転倒を事前に阻止していた。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
「ええ……私はだいじょうぶよ……」
キンシに呼ばれている。
呼び名にまだ慣れていないメイが、転びそうになった事実よりもキンシに対してつよい違和感を抱いていた。
だが幼い魔女は感情を全て説明することをせずに、それよりも辿り着いた場所について思考を動かそうとしていた。
「えっと……、ここがその、ナナセさんのメモに書かれてあった場所……? に、なるのかしら」
電車から降りた、その場所はまだ地下鉄の施設の内であった。
メイが予想した内容を、キンシが速やかかつ丁寧に否定していた。
「いいえ、ここからさらに、ちょっとだけ歩くことになります」
具体的な地点を教えるよりも、キンシは移動がまだ必要であることをメイに意識して伝えようとしていた。
駅のコンコースを脱し切った。
外界の空気が魔法使いたちをの頬を撫でる。
天候は引き続き雨。
雨足は若干早め。
「これはなかなかに、怪物日和って感じですね」
キンシの身につけている上着の、猫耳にも対応した形状のフードが雨を反射して地面に滑らし、雫を点々と地面に受け流している。
キンシが呟いた台詞に、メイが首を傾げて真面目な疑問を抱いている。
「怪物びよりって……、お天気と怪物さんはあまり関係がないんじゃないかしら?」
用意した透明な雨合羽の具合を整えながら、メイが否定文のような疑問を抱いている。
「いや、いいや? 全くの無関係ってワケじゃないんだぜ?」
幼い魔女の疑いに根拠を呈したのは、意外にもオーギの声であった。
声のする方に視線を動かすと、オーギが持参した雨具の調整をしているのが見えていた。
「雨が強くなれば、彼方よりおいでになるモノたちの気配もより濃密なものとなる。これは、昔からの定説のようなもんなんだわ」
上半身だけを簡単に隠している。
着るというよりかは羽織ると表現した方がより正しいか、そんな簡単な雨具を身につけているオーギ。
彼がまるで昔話のような語り口で、怪物と天候についての話を続けている。
「怪物っていうのは明るいところに弱くてな、だから……雨とかが降っている日光の少ない時には、昔からヤツらの領分って言われているんだよ」
先輩魔法使いである彼がそう話している。
語られた内容に、メイは真剣な面持ちで考えを巡らせていた。
「ええ……。じゃあ、それだと、ここはすごい大変なことになるんじゃないかしら?」
思わず土地の、灰笛の事情に不安を覚えそうになっている。
幼い体の魔女が、白くフワフワの羽毛がわずかに生えた顔に暗い陰りをさしている。
彼女の様子を見て、オーギが慌てて語った内容に訂正のようなものを加えていた。
「いや、そない真剣に考えんでも、ただの言い伝えみたいなもんやから」
訂正した文章に、しかしてあまり信憑性を持てないでいるらしい。
それはひとえに、オーギ自身が語った内容を強く信頼していることも関係している。
そして何より、この若い魔法使いたちがこれから向かわんとしている場所こそ、まさにちょうど怪物に関する問題点が深く関わっている。
これから怪物という、とても安心を抱けないであろう対象を相手にしなくてはならない。
あまり喜ばしくない時間が待ち構えている。
オーギを中心とした、比較的普通の思考を持っている人間ならば表情の一つや二つ程度、陰りを差しても何ら可笑しいことは無かった。
可笑しいことはなにも無い、通常の領域に当てはめられる話としてはそれが普通なのだろう。
であれば、普通のことを考えられない人物がいることも、やはり必然の内に組み込まれてしまうのだろうか。
「みなさん、どうしたんです?」
ただ一人、キンシだけがやたらに明るい声音を使用している。
事実として、この魔法使いの少女はこれからの事態に期待めいたものを強く抱いているらしかった。
「これから怪物の方々に会えること、それが約束されているのですよ? 僕たち魔法使いがそれを喜ばないで、いったい誰が彼らの存在を肯定的に考えるべきなんです?」
問いかけるようにしている。
後輩である少女の様子に、オーギは軽い頭痛のようなものを覚えそうになっていた。
「誰もかれも、アイツらに出くわすことをそんなに喜ぶヤツなんざ、この灰笛でもお前と……──」
言いかけた言葉を一時停止させて、オーギは視線を左の方にチラリと向けている。
オーギが視線を向ける。
そこには彼と同じ魔法使いである、トゥーイという名前の青年が佇んでいるの見えていた。
「…………」
同業者に見られている。
トゥーイは近くに視線に構う素振りを見せずに、その明るい紫色をした視線はただひとりだけに注目を捧げていた。
青年の視線が固定されている先、そこでキンシがメイに提案をしていた。
「せっかくですから、上から目的地を確認しましょうか」
やる気ばかりが大量に満ち満ちている。
そんな魔法少女の様子に、メイが若干たじろぐような返答だけをしている。
「せっかくって、どういうこと……」
話の前後が掴みきれていない。
戸惑っているメイをよそに、キンシはあっという間にその白くフワフワとした小さな体を軽々と腕の中に抱えていた。
「きゃあ」
ある程度は動作を予測できていたものの、やはり実際に行動に起こされると戸惑ってしまうのが人間の感覚の限界なのだろう。
「…………」
トゥーイが見上げる先で、メイの体を抱えたキンシの体が上に高く、高く飛び上がっていた。
魔力によって削り取られた重力。
重さから解放された肉体が、風と雨を受け止めて天高く、人の身長をこえる高度まで上昇をしていた。




