マイノリティーの繭でハンケチを織ろう
言っている意味が分からない。
そう断言しようとして、しかしルーフはその思考を自らの手で否定している。
それはひとえに、モアの発した言葉の内容。
つまり、たった今古城付近の空間から、傷のような魔力変化を通過してこの世界へ発現しようとしているもの。
怪物について語っている。
モアの声を聞きながら、ルーフもまた彼女のようにいま一度怪物へと注目を捧げようとしている。
少年と少女が見上げている。
視線の先端にて、怪物はたった今まさに敵に攻撃をされようとしていた。
「術式強化!」
敵のひとり、モティマという名の男の魔術師がそう叫んでいる。
作者である魔術師の叫び声、それを受け止めた魔法陣が更なる輝きを発している。
四つほどに分裂した魔法陣が、より強く深く怪物の肉に差し込まれる。
これ以上の固定をして、どうするつもりなのだろうか?
ルーフは疑問に思った。
しかし問いを直接言葉に変換することはしない。
必要がなかったのは、魔術師と魔法使いが少年の思考よりもはるかに素早く行動を起こしているからであった。
叫んだこと場が意味しているのは、彼の作成した魔方陣への命令文、その内容であった。
作者の命令を受け取っている。
魔方陣はいま四本の巨大な楔となって、怪物の肉体をジュエリーのようにガッチリと固定していた。
肉、そして皮膚や骨など、構成する要素に巨大な魔力の刃物が挿し込まれている。
その割には、怪物は最初の衝撃ほどの悲鳴をあまりあげてはいなかった。
それどころか、
「¬(/_ らる)/~~(/ き_ ;)/~~( /_ しさ; )/~~」
どことなく鼻唄にも聞こえなくはない、そんな穏やかそうな吐息しか吐き出していない。
「なんか……」
怪物の様子に、ルーフはまず率直に抱いた感想を呟く。
「あんまり痛そうじゃないな…………」
少年がそう話している。
彼の視線の先で、別の敵が怪物に攻撃を図ろうとしているのが見えた。
「はああ!」
気合いを込めた一声を発しているのは、ハリという名前の若い男の魔法使いであった。
全身に緊張感を走らせる。
ハリはすでにその体を地面から離していた。
魔力を消費し、魔法を発動させながらハリは空を飛んでいる。
飛び方、そこに鳥のような雄大さはなく、かといって旅客機のような整合性があるわけでもない。
見ただけ、目にしただけではただ飛んでいるにすぎない。
少しでも気を抜けば、虚空を舞うチリ埃のように正体を失ってしまいそうだ。
そんな不安定さのなかで、ハリは緩やかに曲がる起動を描きながら怪物に接近をする。
近づいて、そして魔法使いは履いているブーツのそこを怪物の体表に密着させる。
それは怪物の上に乗るだとか、星の重力に従った状態ではなかった。
ハリは怪物の側面に、まるで靴底に吸盤でも仕込んだかのようにして、垂直に立っていた。
星の重力に逆らう。
魔法を一つ使用しながら、気を抜くことも許さずハリは手に持っている武器で怪物の肉に攻撃をする。
両手に携えている一振りの、刀のような形をした武器をハリは怪物の体表に深々と突き立てた。
垂直に刺さる刃物。
魔法によって力を与えられた刃物は、作者、つまりはハリの持つ攻撃意識の分だけの意味を可能にさせている。
理論、文章上ではそうなるはずだった。
だが、どうやら現実の方ではあまり上手くことが運んでいないらしかった。
「?、! ……!」
ハリが激しく呼吸をしながら刀での攻撃を繰り返している。
何度も切りつけている、にもかかわらず怪物の方に変化と思しき反応は見受けられそうになかった。
「///????///......」
そこにあるのは、ただひたすらに安定的な呼吸音だけ。
怪物は、魔法使いの攻撃に意味を感じ取ってはいないようであった。
相手の反応の薄さに、モアは俯瞰的な視点で更なる根拠を重ねている。
「ああ、まさにちょうどハリが切り付けている、あの辺りが接合部分にあたるのかもしれないわね」
そう言いながら、モアは長袖に包まれた腕をスッと怪物の方に伸ばし、フリルの映える袖からのぞく白い細い指で肉体の一部分を指し示している。
少女が指で誘導をしようとしている。
だがルーフは、あえてそれを目で確認することを必要としてはいなかった。
誰に教えられる必要も無く、ルーフは怪物の肉体に含まれている違和感を目で確認している。
怪物の肉体、そこはどうやら上半分と下半分で大きく性質を異ならせているようだった。
電信柱程の太さと関節を多く持っている上半身、そこは赤珊瑚のように鮮やかな発色をしている。
それに対して、傷の隙間から漏れ出しそうになっている下半身は灰を雑に固めたかのような、空の鈍色と似た色を発していた。
色合いとしては確かに違和感がある。
と、そう考えてしまうのはルーフ自身が人間で、上から下まで大体が同じ色素を持っている生物であるからこそ、なのだろうか。
そう疑問に思うのは、ルーフが怪物という存在にまだどこか恐怖のようなものを抱いているからであった。
恐れ、存在を認めただけで自身にとって不可解な出来事の予感を感じさせる。
感覚に付き従う形として、ルーフは怪物を見たままでモアに素早く問いかける。
「上と下で別々だとしても、別に怪物ならそんなこと珍しくも無いんだろ?」
ルーフが知らず知らずのうちにひとりで考えていた想像。
だがモアはそれに肯定の意を見せることをしなかった。
「いいえルーフ君、それは違うわ」
まず最初に否定の意を少年に伝えている。
彼が考えていることが異なっている、その根拠をモアは余分なく話し続けた。
「怪物というのは基本的、おおよそ、普遍的に一個の性質しか持たないの。なんてったって、魂と心臓がそれぞれ一つずつしかないもの」
モアがそう説明している。
声色は優しげで、それどころか同情をしているかのような響きさえ持っている。
少女の声色を片耳に受け止めがら、ルーフは彼女の語る内容について思考を働かせようとしている。
一個の性質しか持たないとは、どういう事なのだろうか?
考えられる想像、例え話は何となく身近に用意されているような気がしていた。
だからこそ、ルーフは手頃に掴めてしまう答えの安直さに、メッキの剥がれた内側をさわったかのような冷めた感情を抱きそうになっている。
少年がひとりで勝手に落胆をしている。
だがそんな個人の感想などお構いなしに、戦闘場面は強い緊張感を保ち続けるしかなかった。
「ダメです!」
叫んでいるのはハリの声だった。
彼はすでに怪物の体表から一旦の退避をしている。
魔法によって空中を進みながら、手頃な屋根の上にそっと爪先を添えている。
上にいる魔法使いに、モティマという名の魔術師が事実確認をしていた。
「切断は不可能なのか?」
魔術師が、モティマが引き続き命令文を発していた。
「もう一度、切断は出来そうか?」
それは意味合いとしては間違いなく相手に命令をする言葉ではあった。
だが言葉の響きに強制力はあまり感じられそうにない。
どちらかというと、不安な事項を確認するかのような響きが含まれていた。
魔術師の確認に対して、魔法使いであるハリがどの様な言葉を伝えたのか。
具体他的な内容は彼らにしか分からなかった。
というのも、ルーフが二人の相談に聞き耳を立てるよりも先に、少年は別の人影が近付いてきているのを視界の隅に認めていたからであった。
「あら」まず最初にモアが人物の正体に気付く。
「あんたは……」そして、ルーフがその男の名前を呼ぼうとした。
しかし言葉が現実に空気を振動させる、それよりも先に男は持っている道具で目的に狙いを定めようとしていた。
人影が、彼が携えているのは一丁の銃のように見える。
ほっそりとしたラインで、金属と木材の単純な造りがなされたシンプルな猟銃であった。
獲物を、その肉の全てを捕らえる、自分のものにするための銃。
武器を、銃口を若い男は上に構えた。
そして引き金を引く。
音が響く、爆発の音。
ゴォォーンン……!
稲光の後に鼓膜を刺激する雷鳴の轟き、そう耳が錯覚するような音が空間をしばしのあいだ占領した。
音の支配力が抜けきる、それよりも先にルーフは銃口から放たれたそれを視界の中に追いかけていた。
それは、見たところ一般的に普及している普通の銃のような、金属の弾を発射して攻撃をするそれとは大きく異なっているようであった。
まずもって、その銃口から発射されたのは鉛玉などではなかった。
魔力の塊、水鉄砲をより派手に分かりやすくしたらあんな感じになるのではないか。
そんな光だけが、空間の中を真っ直ぐ推進していた。
そうして、魔力の弾が行き着いた先。それは魔法使いの、つまりはハリの脳天そのものであった。
「え?」
どうしてハリが、銃で頭を打ち抜かれているのだろうか。
撃たれた本人以上に、ルーフこそがこの場にいる誰よりも事実を受け止めきれないでいた。
どうして彼は……、エミルは、わざわざハリを撃ったのだろうか?
ここはどう考えても、いや、何を考える必要も無く怪物を狙うべきなのではないか?
疑問符が爆発的な速度でルーフの思考を圧迫しようとしていた。
だが現実の方は、相変わらず少年一人の思考能力を置いてけぼりにしているにすぎなかった。
目を見張ってルーフが注目している。
視線の中には、銃に撃たれたばかりのハリの姿があった。
当然のこととして、ハリは撃たれた衝撃に身体を大きく揺らしている。
衝撃を少しでもやり過ごすかのようにして、ブーツを履いた足元が屋根の上でフラフラと不安定なステップを踏んでいる。
トタトタ、と屋根の終わりまで足を運んだ。
終わりを迎える寸前で、ピタリ、と足の動きが止まった。
うな垂れるように、ハリの上半身が下に傾く。
刀は左手に握りしめられている。
だらりと下がった腕が重力に合わせてしなだれる。
まるで重さを下に、下にやり過ごすかのようにしている。
そう、ルーフが思ったのはハリの、魔法使いの背中が大きく膨れ上がっているからであった。
最初こそ目の錯覚だと思っていた。
だがすぐに、ルーフは自身の安易な想像こそが気のせいでしかなかったと、増幅する魔法使いの魔力の前に思い知らされることになった。




