フルカラーの魔術師とちょっと話そう
モティマという名の男、大人の魔術師がじっとこちらを見ている。
目線に反応する、肌がルーフを彼の存在に注目させていた。
ジッと見ている。
彼は、一見してわかる特徴として斑入り……、つまり身体にヒト以外の特徴を宿した人間の種類に属されているらしかった。
一つの要素を確かめた。
そのままルーフは、モティマという名の男についての観察を簡単に行う。
体に動物の特徴がある、彼の場合は頭部にまるい形をした薄い聴覚器官を生やしていた。
それは肌色、つまりはモティマという人物に与えられた皮膚の色素と同様、あるいはそれより少しメラニンが薄いか。その位の色合いを持っている。
毛の生えていない聴覚器官を見るのは、ルーフにとってはすでに幾らか経験のある事例であった。
というよりかはルーフはすでに、自分でも少々驚くほどの速やかさで相手の情報に、正体のうちの一つに目途を立てていた。
「ネズミの斑入り……名称は、見月だったかな」
「ああ、その通りだ」
電子上に蔓延る辞書をそのまま引用してきたような、ルーフの言葉に返事をしたのはモティマ本人であった。
気がつけば、いつの間にやら彼はルーフと充分に会話を行える程度にはその足で距離を詰めていた。
モティマがルーフに軽く挨拶をする。
「やあ、カハヅ君だったかな。この前、古城の近くで会ったばかりだったか」
彼が簡単にあらましを語っている。
それに反応をしたのはハリの声であった。
「あれ? お二方はすでに遭遇しあっていたのですか?」
まるで野生動物を対象にしたかのような言い様。
だがルーフはあえてそこにはつっこまずに、頭の中、そして言葉の中でつい先日の出来事をハリに説明していた。
「なるほど」
ルーフがエミルと共に空を飛ぶ魚やビルを見た。
その時の話を少年から聞いた、ハリはとりあえず簡易的な理解だけを口先に用意していた。
もしかすると、魔法使いとしてはその話の方こそもっと追究して、じっくり集中をしたかったのかもしれない。
しかしながら、残念なことに状況はそれを許してはくれそうになかった。
彼らがしばらく視線を外していた、その間に怪物はすでに空間に空けられた傷口をさらにこじ開けようとしていたのである。
柔らかいものが破られる音。
それはハンカチなどの薄手の布類を、指で乱暴に引き裂いたときのそれと同じような音色を持っていた。
ビリビリと空間が、透明であったはずの空気が怪物の体によって引き裂かれていく。
細くて長い、屈折した頭部はもうとっくに完全なる排出を実現させていた。
骨と筋肉と関節を稼働させながら、怪物は上半身をこの世界の空気に、空から降る雨にその肉体を脱塗らしている。
ビショビショになった首元。
その奥に、まだ傷口から脱しきれていない下半身がいくらかこぼれ落ちそうになっていた。
怪物の下半身、ほのかに水色の気配を帯びているそこを見た。
「うわ」
そして驚いた。
首の細さに反して下半身が異様なまでに太かったのだ。
せいぜい電信柱程度の太さしかなかった上半身とはうって変わって、怪物の下半分はどっしりとした大量の重量と質感を有していた。
丸みを帯びたフォルムは、アシナガバチや黒アリの腹部に似た造形をしている。
でっぷりとした腹が引っ掛かっている。
そのお陰で怪物は傷から完全にこの世界に発現せずにいられるらしかった。
「ひっかかっちゃっているわね」
怪物の様子を見上げて、モアが見たままのことを言葉に変換していた。
少女が呟いた、その内容に反応するようにしてモティマがすぐさま行動を起こしている。
「そうであれば、できるだけそのままで事が終われば良い」
願望のようなもの、あるいはただ単に予定を申告していたにすぎないのかもしれない。
ともあれ、言葉の次にはすでに彼はその体を行動に移していた。
モティマの姿が真っ直ぐ怪物に向かっている。
歩く動作は自然体そのもので、さながら昼休憩の終わりに職場へ戻るサラリーマンのような、強い日常性だけがそこには存在していた。
足早に歩き、モティマは傷に引っかかっている怪物に右腕をかざしている。
上に伸ばされた、腕の先端に空気の流れが生まれる。
熱と冷たさ、そうした変化の先にモティマの、魔術師の手の平に光り輝く魔法陣が発現していた。
魔術師の手に現れた魔法陣、それは一般的な円形のそれとは大きく異なっていた。
円形ではないそれは、長方形を横にしたようなものだった。
まるで電子的な情報や図形をそのまま空間に張り付けたかのような、雰囲気的には文字列というよりバーコードのような無機質さを感じさせる。
発現した魔法陣が電子的な起動の音色を発する。
内側に込められていた文字列が発動し、魔法陣が更なる変化をする。
膨れ上がった光、図形はそのままに魔法陣がその範囲をさらに空間に広げる。
まばたきをする暇も与えられないほどの速度で、魔法陣は次の瞬間には大型自動車ほどの面積へと拡大されていた。
モティマが息を吐く、同時に魔方陣が魔術師の体から発射された。
風を切るような音、光の線を視界に残す。
放たれた魔法陣は四角形のそれぞれの角ごとに分裂し、小さな(といってもルーフ一人程度なら包み込めそうだが)正方形に変形した。
それぞれの正方形が怪物の周辺を円陣のように取り囲んでいる。
モティマは魔法陣の動作を目でしっかりと確認した。
その後に掲げていた右の拳をググッと、皮膚に骨の白さが浮き出るほどに強く硬く握りしめている。
動作は彼の、魔術師の体から直接発せられる命令文であった。
魔法陣が、言葉を必要とするまでもなく作成者の命令へ忠実に従う。
また、硬いものが風を鋭く切る音が空間に響く。
音を聞いた。
ルーフは魔法陣が怪物の胴体を激しく刺突しているのを目で見上げていた。
今まで脱出作業に没頭していた肉体に、突然硬く長く鋭い異物が侵入してきた。
衝撃はすぐに痛覚へと変わる、怪物は当然のことのように悲鳴をあげていた。
「kigogogoogo いいいいい eqeqeqeqeqeqeqeqeqeqeqたららら」
コンクリートを破壊するかのような轟音。
しかして、その中にどことなく幼女のハミングのような柔らかさが見え隠れしている。
そんな悲鳴を聞きながら、しかしながらモティマは特に動揺する様子もなく引き続き命令文を発し続けていた。
握りしめたままの拳で、モティマは怪物を凝視しながら集中力をフル活動させている。
魔法陣は怪物の肉を引き続き刺し続けている。
大事なものをその場所から逃げないように、動かないようにする。
怪物の肉を固定する魔法陣は、さながら宝石を取り囲む台座のようだった。
硬いものに動きを止められている。
怪物は抵抗をするようにして、細長い首の関節を無造作に振り回していた。
「がgyaga ga器ん iii ッ蛾が害ウェイk」
間違いなく悲鳴であるそれを、怪物は細長い首の先端に開かれている口から発している。
パッカリと開かれた、肉体の割合にしてはサイズ感が小さすぎる口。
その中には暗い空洞が広がっている。
歯は確認できそうになかった。
あんな口で、果たして獲物をちゃんと飲み込めるのだろうか?
せいぜい大人の人間ひとつ分しか含めなさそうな、怪物の捕食器官にルーフは他人事として心配を胸に滲ませている。
少年がひとりでどうでもいい事を考えていた。
そのすぐ近くで、モティマはようやく唇で具体的な状況を説明できるようになっていた。
「クソッ……」
まずは短い悪態を吐きだしている。
たったそれだけの言葉で、魔術師がこの場面に負の感情を抱いていることは明白であった。
モティマはそのまま、現状に氾濫する問題点の解決方法をすぐさま頭の中で想定していた。
「ナナセ!」
魔術師が魔法使いの、ハリのファミリーネームを呼んでいた。
叫ぶようにして自らの名称を呼ばれた、ハリが声に反応してビクリと肩を震わせていた。
魔法使いがリアクションを返そうとする。
だがモティマはその動作を待つことも無く、この場所ではただひたすらに、一方的な命令文を魔法使いに発していた。
「攻撃を要請する! 手持ちの武器で胴体の接合部分を切断しろ!」
余分な要素をできる限り削減した。
命令文を受け取った。
「了解しました」
ハリが短い承認の意を見せていた。
同時に彼が走り出す。
左腕に魔法の武器を、刀のような形をしたそれを発現させている。
行動は目にも止まらぬほどの速さであった。
ルーフは音から与えられる情報と、目に見えている光景を追いかけるだけで精一杯であった。
緊急の状況、次々と展開される戦闘場面。
激しく流れる空気の最中に居ながら、しかしてふと、ルーフは疑問を胸の内に発生させていた。
「切断するって、どこを? 何故に…………」
言葉の意味を深読みせずに、表現されたものをそのまま受け止めるとして。
やはり魔術師は魔法使いに怪物の体を攻撃することを望んでいる、そのことは間違いないだろう。
問題は、仮に切断という単語であった。
彼らは一体、怪物のどこを、何を切断しようとしているのだろうか?
ルーフが疑問に思っていると、その右側からモアの声音がそっと彼の耳の内に滑りこんできていた。
「上半身と下半身を切り離すつもりね」
少女の声を辿るように、ルーフは首の方向を右に移す。
そこではモアが佇んでいた。
ルーフから見て右側に、まるで寄り添うかのような距離感でモアが立っている。
その青空のような瞳はルーフの方ではなく、戦闘が行われている場所、つまりは怪物が存在している方角にしっかりと固定されていた。
「あの方は、見たところ上半身と下半身とでその性質を大きく異ならせているわね」
「異なる……?」
モアがこちらに目線を合わせることも無く、まるで独り言のようにして呟いている。
その言葉を聞き流すこともできないまま、ルーフは少女の言葉の続きを期待していた。
そして、この期待は少女の意識によって現実に実現していた。
「あの方……敵性生物は、おそらく人間の手によって人工的な加工がなされていることが考えられるわ」




