通訳が必要なレベルのコミュ障を重低音で撫でよう
見た先、そこには行列があった。
場所は建物を出てすぐ後のこと。ビルの自動ドアを抜けて、いざ古城に戻ろうとしていた。
そんな折に、扉の外側でルーフとハリはちょうどその後進に遭遇したのである。
行列、トコトコと歩いている。
それは、人間の行列ではなかった。
どこからどう見ても、どうあっても、どうしようもないほどに人間以外の行列がそこにはあった。
先頭は小さなウサギのようなものが歩いている。
耳が細長くて、先端は自重によって枯れ枝のようにたおやかに垂れ下がっている。
白くて長い耳を持っている、全体をふわふわの体毛に包まれている生き物。
これだけの基準が当てはまれば、それはもう、充分にウサギと呼ぶに値する生き物と言えるのではないだろうか?
ルーフは自分自身に問いかけている。
それはすなわち、同時に絶対的な否定文が少年の心に存在している。ゆるぎない証そのものでもあった。
あれはウサギではない。
ルーフはそう考えている。
ウサギではないそれは、あろうことか二足歩行で地面の上を歩いている。
一部の隙間も許されることなく、その地表の全てを人間のために硬く舗装されている。
限りなく人工物の世界に引きずり落とされた。
そんな地面の上を、ウサギのようなそれは二本の足で立って歩いていた。
てくてく、てくてく。足取りは遅くもなければ早いとも言えない。
狭い歩幅を考慮してみれば、もしかするとそれなりに早足を意識していたのかもしれない。
狭い歩幅……。そうだ、その生き物の歩く幅はとても狭かった。
それは当然のことだった。何故ならそのウサギのような生き物は、人間の平均的な身長、それの半分にも満たぬほどのサイズしかなかった。
小さい全長。
もしも、仮にルーフが今ここには無い左右の足で立ったとしても、少年の胸元あるいは腹部に届くか否か。
身長として計算する、それを人間の基準に当てはめたとして、齢十を満たぬ幼い子供程度のサイズ感しかない。
無論ウサギとして考えるならば、その時点ですでに規格外並みの大きさではある。
だが、もうルーフは何か世界の改変的な事でも起きない限りは、それをウサギであると認められそうになかった。
ウサギのようなそれは、全身をふわふわとした体毛に覆われている。
それはいわゆる生命活動に必要な、必要最低限の毛とはまた趣向を異ならせている。
全体のシルエット下に向かうほどになだらかに広がっている。
アルファベットの「A」を想定すると分かりやすいだろうか。
あるいは三角コーンでもいいかもしれない。
ともかく、とても毛並みの良い、柔らかく触り心地の良さそうな、今すぐにでもギューッと抱きしめ手撫でくり回したくなるような……。
そんな体を持っている。
ウサギっぽい生き物がその列の、集団をの先陣を歩いていた。
集団、そう、個体はそれだけに限定されてなどいなかった。
ウサギを筆頭にして、白色のふわふわとした集団はその他にも続々と歩いていたのである。
それは例えばツノの生えたカモノハシのようなもの、あるいはツノの生えた……。
「? …………あれは、何なんだ?」
列の最後尾を歩く、どうにも形容しがたいもの。
だが確かにこの世界に存在をしている。それらに対して、ルーフがつい首を傾げている。
少年の口にした疑問に、ハリが彼の使っている車椅子のハンドルを握りしめたままで、受け答えをしようとしている。
「ああ、あれはですね──」
だが魔法使いの彼が実際の言葉を発する、それよりも先に別の、少女の声がルーフの耳に届けられてた。
「あの方々には、この区域の魔法陣の点検をしてもらいにきたのよ」
少女の、鈴を転がしたような声がした。
その方向を見れば、そこにはモアという名前の少女が彼らに向けて笑いかけているのが見えた。
「モア、どうしたんだよ」
ルーフが少女の名前を声に発しながら、彼女がここに存在している意味と理由を求めようとしている。
少年からの質問に対し、モアはなんて事もなさそうに和やかな受け答えだけをしている。
「どうにも、もうそろそろお昼ごはんを食べ終わるかしらって。そう思ったから、おでむかえでもしようかしらって。そう思っただけよ」
そう言いながら、モアがこちら側に近づこうとしていた。
だが彼女の身体が彼ら、つまりはハリとルーフの二名に近づき、辿り着く。
そうなるよりも前に、事象は現場に現れてしまっていた。
予感はほとんど感じさせなかった。
まるで歩道を歩いていたら暴走する自家用車に跳ね飛ばされてしまったかのように、その事象が現れたのはあっという間の出来事であった。
「?」
誰かが、例えばルーフであったり、ハリでも充分である。
少なくともモアはどうやら、すでにその事象をいくらか予想できていたため、その疑問符にはおよそ相応しくないと言える。
なんであれ、どの人間がどう思おうとも、事実の前にはあまり関係がなかった。
空間に刃物で切り開いたかのような裂傷が現れたのは、時間に計測しても三十秒に満たぬほどこと。
はやい、じつにはやい出来事でしかなかった。
傷のような事象から光がこぼれる。
どこか神々しさを感じさせるキラキラとした明滅、そこから運送トラックほどの大きさをした生き物……らしきモノが現実に現れた。
それが何であるのか。
答えは明白であった、それは怪物であった。
この世界に既にいくつか存在している、人間を喰らう生き物。
怪物がここに出現をしていた。
何故?
瞬間にも満たぬ、刹那の速さでルーフは理由を考えようとしていた。
そうすることでせめてこの弱く無力な身か、あるいは心でも守ろうとしたのかもしれない。
そのために、ルーフは考えようとした。
考えるために思考の材料を求めて眼球を、視覚神経をフルに働かせる。
それは、一見して二つの物体がそれぞれに連結しているモノだと、最初の瞬間はそう思いそうになった。
ルーフから見て手前にある、つまりは怪物にとっての頭にあたる部分になるのだろう。
しかしながら頭、と呼べるに値する膨らみをルーフはその怪物にすぐさま認めることが出来なかった。
というのも、怪物の頭はとても細く小さかったのである。
それはまるで枯れ枝のようで、しかしながら実際のそれとはまた別の強靭さ、凶暴さがそこには満ち溢れていた。
一番先端、人間に置き換えて顔面やその他等々の器官が用意されている。
そこを一番の収縮として、怪物の体は頭から離れるごとに段々と面積や体積に広がりを見せている。
それらの広がりは直線状、例えば普通の人間の頸椎のように直列状に規則正しく並んでいるものではなかった。
まずもって何よりも注目すべきなのは、怪物の首がとても長く、その長さの余りに途中途中で折れ曲がっていることであった。
それは指のように一貫性と目的を持って屈折しているだとか、そう言ったものではなかった。
とてもじゃないがそうは言えそうにない。
まるで決まり事も無いように、不規則に、だがどうしようもなく強い意志を以てして、怪物の首はまるで折りたたんだ付箋のように角をいくつも発生させていた。
怪物がそんな首を出そうとしている。
人間にしてみれば充分が過ぎるほどに長すぎて太すぎる、それらを空間に発生した傷からねじり出そうとしていた。
ズルズルと出てきている。
それはまるで、上等なジーンズ素材に安物の縫い針を無理やり貫通させたかのような、そんな強引さがあった。
怪物がこの世界に出てこようとしている。
動きは素早いとは言えず、基準として考えるならば緩慢さの方が目立っている。
ゆったりとした動作で、何に対しても邪魔をされる事なく、怪物は己が欲望のままに世界へ発現しようとしていた。
緩やかな動作が時間の経過と共に増幅する。
その頃にはすでに周辺の人間ら、つまりはまち中を歩く人々が怪物の存在に気づき始めていた。
一般の方々、民衆はこの場に現れようとしている災厄に危機感を爆発させている。
あるものは当然のとごとく悲鳴をあげて、またあるものは必然的にこの場から逃走を図ろうとしている。
それぞれが、各々の生存本能に従いながら、世界に現れようとしている怪物から逃避をしている。
走り去ったり、あるものは手持ちの魔術式で空に飛んだりして逃げている。
去りゆく人々の足跡や魔力の気配。
実際に空気を、ルーフの鼓膜を振動させている音の数々。
人の声、他人の言葉、そこではこんな事が囁かれていた。
「また……市街地に怪物が……」
「ここ最近はこればっかり……」
「嫌になる、まったく……」
「古城の魔術師たちは何をやっているのかしら……」
否定的な意見が流れていく。
それらの音、言葉の数々をルーフは他人事のように右から左へ受け流している。
人々が各々に不満点を、主に古城という組織に関係する魔術師たちの不満を口にしている。
「大変そうだな……」ルーフはもはや否定しようもないほどの他人行儀で、そう呟こうとした。
「ああ、まったくだ」
と、そこにま足しても新たな声が登場……。
そう思いかけた、だがルーフはその声を、人物をすでに知っていた。
声がした方に目を向ける。
そこはちょうど白くてフワフワとした、人間じゃない者たちの行列があった。
その辺りに、その人物は立っていた。
「あなたは……」
ルーフがその人物、男についての情報を言葉にしようとした。
すると、ルーフの左側をモアの影がサッと通り過ぎていくのが見えた。
モアが男の、魔術師である彼の名前を呼んでいる。
「モティマ叔父さま!」
少女に名前を呼ばれた、男の魔術師が声に反応して耳を動かしている。
こっちを向いた、モティマという名の魔術師にモアが笑顔のままで話しかけていた。
「護衛のお仕事ですか? お疲れ様です」
ねぎらいの言葉をかけている。
モティマはそれに真顔で、特に印象的な感情をみせることも無く、ただ事実だけを淡々と少女に伝えていた。
「……ああ、ご神体の方々の警護に当たっていたんだ。だが、まさか、な……」
自身がここに居る理由を少女に説明した。
その後に、大人の魔術師は目線を彼女とは別の方向に移そうとしている。
すると、必然的にその視界にルーフらの姿を認めることになっていた。




