落ち込んだ心を楽曲で圧殺する
それは怯えに区分することが出来るはずだった。
他者の存在、その生命の形をこうして実際の形に見ていると、どうしてこうも心に強い孤独感を覚えてしまうのだろうか。
ルーフは考える。答えは得られそうにない、少なくともラーメン店で食事中に考えるべき事ではない。
少年がそう判断をしている。
その間に、ハリとスオリノは早々とやり取りを進ませようとしていた。
「して、そのご用件とはどのようなものなのでしょうか?」
台詞めいた前置きをひとつ、ハリは隣の席に座る一般男性に依頼の内容を確認しようとしている。
それはひとえに、スオリノからの頼み事を受諾するという行動の表明でもあった。
ハリが、自らをそう名乗っている魔法使いが提案を受け入れている。
その姿を見て、スオリノの方は一旦の安心感を麦茶色の瞳に滲ませていた。
安心するのは良いとしても、よりにもよってこんな魔法使いに頼みごとをするとは。
ルーフはスオリノに対して信じ難いものを見るかのような、そんな視線を送りそうになる。
しかし、ルーフは考えたことをまた自身の手で否定している。
難しく考えるまでもなく、スオリノは別にこの魔法使いのことなど何も知らないのである。
自分のように、彼に対して事情を持っている訳ではないのだ。
許し難い怒りも、説明し難い苛立ちも、スオリノには何一つとして関係がない。
それは、考えるまでもなく当たり前の事実でしなかった。
ルーフが考えている。
そのすぐ近くで、スオリノは魔法使いへの依頼内容を話し続けている。
「報酬は……そうだな、出来るだけ早くに見せた方が、いいよね」
やはり文節を丁寧に区切りながら、スオリノは近くに置いてあった鞄に腕を伸ばしている。
服装のシンプルさとは裏腹に、使用している鞄はレモンのように目が覚めるような黄色をしている。
目立つカラーリングに黒色のベルトが実によく映えている。
なかなかにいかしたデザインの鞄(ルーフ個人の感覚による)、その中身からスオリノはパックのようなものを一袋、雑に取り出していた。
それはチャック付きのビニール袋であった。
指の圧力だけで閉じることの出来る、密封された四角い平面。
透明なその中身には、飴玉のようなものがいくつか収められていた。
透き通る明るい茶色をしている。
「何だそれ、べっこう飴か?」
レモンティーのような色をしている、粒のいくつかに対してルーフが見たまま、思ったままの感想を口にしている。
それを聞いた、スオリノは一瞬だけ理解の至らぬ表情を浮かべていた。
このガキ、もとい齢二十すらも満たさぬ少年は何をぬかしているのだろうか?
考えようとしたスオリノの視線が少年の、ルーフの全身をそれとなく、確認行為のために滑らせている。
「ああ、なるほど」
あまり時間をかけることをせずに、スオリノはすぐにある程度の事情を把握していた。
「君はN型の人間だから、鼓石のこと、よく分からなくてもおかしくないね」
スオリノが語っているN型とは、例えばルーフのように身体に何の特徴も宿していない、いわばヒト亜属としか言いようがない人間のことである。
知っている単語が耳に入ってきた。
さらに続けて、ルーフはスオリノの語る言葉の意味を考えている。
「鼓石っていうのは、たしか……」
記憶の中から情報を検索しようとした。
その所で、ルーフよりも先に反応を示していたのはハリの姿であった。
「これですね、これ、これ」
言葉による直接的な表現をすることなく、それよりも分かりやすいものがまさにここにある、塗装宣言しているように。
ハリはたまたま空いていた右の指で自分のこめかみの辺り、側頭部の頭髪をかき上げている。
黒色の、柔らかい癖が若干混じっている。
髪の毛がたくし上げられた、そこには、ルーフの持っている耳と同じような「何か」があった。
側頭部に生えている、何かこそが「鼓石」と呼ばれるものだった。
それは一見してルーフのよく知っている耳に似ているようで、しかしながらよく見ると様子がいくらか異なっている。
造形こそ耳らしい形をしていながら、しかしてそこには人間の皮膚特有の柔らかさが存在していなかった。
皮膚というよりかは、どちらかというと石のような、通過性のある鉱物のような質感を持っていた。
まるでどこかの地面から掘り出した宝石を、わざわざヒトの耳に似せて加工したかのような。
そんな、ヒトの耳のようなもの。
それがいわば、鼓石と呼称される器官であった。
「それはあくまでも通称で、正式には鼓膜石と呼ばれています」
ルーフの考えている事柄をちょうど補足するようにして、ハリがどこかで聞き知った情報を言葉にしている。
「ルーフ君的には、どっちの名前が好みですかね?」
ハリが質問をしてきたが、しかしルーフはその問いに答えることをしなかった。
「その……、鼓膜石? は、そう言えばどんな役割があるんだったか…………?」
代わりに口にした内容に、ハリは少しの間だけ考えを巡らせている。
「うーん? あまり深くは考えたことがなかったんですが……」
自分の身体についての事柄を、しかしながらハリはどうにも要領が得ない素振りで考え続けている。
若い魔法使いが丁度の良い解答をなかなか用意できないでいる。
するとそこに、ちょうど助け舟を出すかのようにしてスオリノが意見を発していた。
「あー、聞いた話だと魔力に反応して耳鳴りがしたり、するらしいね?」
「耳鳴り?」
「そう、ツーンとかピーとか、あとはジリリリってやつ」
スオリノが耳鳴りのバリエーションを言葉の先に用意している。
だが分かりやすいオノマトペ以上に、ルーフは彼の述べた内容に強く関心を抱いていた。
「魔力に反応して耳鳴りって、どういう理屈なんだよ?」
自身の経験したことの無い、そしてこの先の人生においても体験することは無いであろう、完全なる道の領域。
ルーフはこの場の展開をしばし忘れて、事象についての好奇心を強く働かせていた。
ルーフのそんな質問文、疑問符の方向性はスオリノの方に比較的多く割り当てられていた。
だが、肝心のスオリノの方はどうにも少年のはてなマークに的確な答えを用意できないでいる。
「えーっと……」
いつまでもハッキリとした返事を用意しない、相手に少年が怪訝そうな表情を浮かべている。
それに対し、スオリノはまるで言い訳をするようにして事実を彼に伝えていた。
「ゴメン、自分にはソレは生えていないんだ……」
残念そうな表情を作りながら、スオリノは短く切りそろえられたこめかみの辺りをルーフに見せている。
そこには、確かにいわゆる鼓膜石というものはなかった。
あるのは普通の、つまりはルーフと同じような形と質感と、柔らかさを持った耳だけであった。
「ウチの家族の代々の遺伝みたいなものでさ。自分も故郷にいたときは、その話題についていけなくて、ちょっとさみしかったなあ」
ちょうど思い出した記憶を味わうかのようにして、スオリノがここではない遠くの土地に思いをはせている。
そのすぐ隣で、ハリがこの話題の総括を決め込もうとしていた。
「そうですねえ、魔力うんぬんの話は僕もよく分からないですが。しかしながら、一つだけ確実に良いことがあります」
何だろうか、ルーフが特に意識も拒否感も抱くことなく関心の目を魔法使いに向けている。
少年の琥珀色をした瞳が見つめている。
目線の先で、ハリはあたかも自信ありげに眼鏡をクイッとあげている。
「こうして、眼鏡を身につけることが出来ます。なんて素敵なのでしょう!」
「……果てしなくどうでもいいな」
キメ顔で眼鏡を見せつけている。
ルーフが途端に興味を失ったように、目をス……と細めている。
話が脱線した。
閑話休題、気を取り直して。
スオリノが、チャック付きのビニール袋に入っている鼓膜石を改めてハリに見せている。
「貰い物の鼓膜石なんだが。これだけあれば、多少の損傷はすぐに治せて良いと思うんだけども」
そう言いながら、彼はチャックを開けて袋の中身を指でつまみ上げている。
スオリノの指につままれた、石は硬さと透明さを空気の中にさらしている。
宝石のような、鉱物の一種をハリは品定めするように眺めまわしている。
ひとしきり観察しながら、やがて無言のうちに鉱物は魔法使いの手に渡されていた。
ハリは眼鏡の奥にある深い緑色をした目で、手の中にある一品をジッと見つめている。
鼓膜石は、その主な用途の一つとして損傷を治す効能がある。
人間の体に生えているそれを、例えば砕いた石などを配合した塗り薬で傷を補ったりする。
スオリノが、取引内容に必要な要素をさらに主張している。
「ほら、ナナセさんは魔法使いだから、石を怪我したりして、タイヘンなんだろ?」
相手の事情を考慮するような素振りを見せている。
スオリノとしては、もう一押し利害関係を深めたかったらしい。
だが彼の思惑は関係なしに、ハリはあくまでも作業を実行に移したがっているようであった。
「それで、怪物防止用の魔法陣を描いてほしい、とのことでしたね?」
ハリがそう話している。
初めて意識した内容にルーフは最初こそ戸惑ったものの、すぐに自分が放心している間にそんなやりとりが交わされたのだと、簡単に想像することが出来ていた。
依頼内容を確認した、ハリは早速作業に取りかかろうとしていた。
「そうですね、規模の方はどのくらいがよろしいでしょうか?」
言いながら、ハリは鞄の中から道具を用意しようとしている。
ゴソゴソと指をまさぐっている。
そんな魔法使いを視界の隅に、スオリノはまた目線を遠くの方に向けるようにしていた。
「あー……規模かあ、あんまりハッキリとしたことは、言えないんだけども」
「何となくで大丈夫ですよ、ざっと、ざっくばらんなイメージでお願いします」
スオリノが小さく悩んでいる。
その姿をチラリと見ながら、ハリが助言のようなものを発していた。
魔法使いの方からそう提案された。
スオリノは考えられるうちの、用意できる分だけの情報を言葉に変換していた。




