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人混みをかき分けて、ルーフとハリはホールのさらに向こう側に進んでいる。
前へ進むとホールはすぐに終わり、天井が低くなる。
長く、果てしなく続く廊下のようなそこは、均等なスペースで太い柱が並べられていた。
柱はルーフほどの子供が二人張りついて、それでも少し空白が出来てしまえるほどには面積が広い。
太い柱によって支えられている廊下のような場所。
そこにも当然のことのように、大量の人間がひっきりなしに行き来を繰り返していた。
ボーっとしたり、ちょっとでも気を抜けば他者との衝突は免れないであろう。
そんな混雑の中を、ハリはルーフの座る車椅子を押しながらゆったりと進んでいる。
進行速度は決して速やかとは言えそうにない。
種変の人々の速度を視界に認めていると、ルーフは段々と自分がカメかカピバラのような動きの鈍さを意識しそうになっている。
ゆっくりと進んでいる。
人の群れの中にいながら、不思議と衝突事故のような気配は感じられなかった。
その理由と思わしきもの、想像をハリがルーフに話している。
「車椅子だと、やっぱりみんな珍しくて道をよけてくれますねえ」
よりにもよってこの灰笛で、魔法と魔術の土地で「珍しい」の基準に当てはめられるとは。
ルーフは笑いたくなるのを何とかこらえながら、どうにか返事のようなものを唇に用意している。
「俺も……なにも好きでこんな体になったわけじゃないんだがな」
自虐の意を込めようとしたが、どうにも上手くできなかった。
ただの感想文を呟いている。
そんなルーフにハリが提案をしていた。
「あのお店に入りましょう」
そうして朝食を摂っていると、隣の席に座った人物に相談事を持ちかけられた。
「あの、アナタ……もしかして、魔法使いですか?」
もれなく言葉通りの意味の質問文をしている。
薄味の塩ラーメンをすすっていた、熱い汁を口に含みながらルーフは視線を右に動かしている。
そこはラーメン屋で、塩味を中心に鶏がらのあっさりとした味わいの一品を専門にしている。
ルーフは店のメニューに記された「おススメ!!」の文字に身をゆだねて塩ラーメン。
食欲はあまりなく、サイドメニューは今回はパス。
届けられたラーメンの一杯は、透き通るスープに塩の香りと鶏がらの深み、そして細麺の小麦の香りが合わさる。
それなりに、特に表現をする必要も無いほどには、自然と味を楽しめる程度の美味であった。
そんな風にして、器の中の黄色い麺を半分以上消費していた。
声をかけられたのは、大体そのぐらいのタイミングであった。
残った麺を求めて、箸の先端をぬるくなってきたスープの中に彷徨わせていた。
視線を下に向けていた、ルーフから見て机を挟んだ向かい側。
固定された座席に腰を落ちつかせていた、ハリもまた少年と同じようなメニューを食していた。
彼が頼んだサイドメニュー、円形を半分に切ったような、少し変わった形の餃子を口に入れようとしていた。
そこに、同じ固定座席に座っていた人物がハリに話しかけていたのである。
男、のように見える。
彼は最初の一言と同じような内容で、重ねてハリに質問をしていた。
「ねえ、あなた魔法使い、でしょう?」
特に声を潜めている様子もない。
音量は通常と思わしきボリュームになっている。その理由としては、周りの喧騒に自分の声をかき消されたくなかったからなのだろう。
若干声を張り上げるような気配。
それにルーフも思わずラーメンのどんぶりから目を逸らして、男の方に注目をしていた。
男は、当然店の客として食事の途中か、あるいはすでに昼食を摂取し終ったよう見える。
上下でそれぞれにデザインの異なる服装が、男が仕事途中の休憩でこの場所に訪れた訳ではないことを、言外にて簡単に証明していた。
私服姿の男。
彼の頭にはつのが生えていた、硬そうなつのだった。
樹木の枝のように幾つも分岐している、それはまるでシカのような造形をしていた。
とはいえ、流石に本物シカのような雄大さと攻撃性はそこには含まれていない。
本物のシカのつのを幾らか縮小させた。
実物よりも小さいそれは、おそらく本当のシカが持つそれよりかは、人間の社会的生活には邪魔にならないようになっているのかもしれない。
そんな、若木を切り取ったかのようなつのが頭に生えている。
それは斑入りと呼称される人間の種類であった。
確か……頭からつのが生えているグループも、すでに沢山確認されていたはず。
シカの斑入りは、どんな名称で呼ばれていただろうか?
ルーフは記憶の中で、情報を静かに検索しようとしている。
していながら、少年が白いレンゲでスープの残りを心ゆくまですすっている。
少年がそうしている。
その間に、ハリと男はこんなやりとりをしていた。
まずハリが返事をする。
「はい?」
餃子に手を付けようとした、その動作のままでハリは返答ともつかぬ音声だけを口に発している。
それはまるで、自身に質問された内容が理解不能であると、己の無知さ具合を暗に主張しているかのような気配があった。
空気を演出しようとしている、ハリの様子に男は若干戸惑いの様なものをみせていた。
もしかすると、自分は声をかけるべき人物を間違えたのではないか?
そんな疑問を、男はその濃い麦茶のような色をした瞳に浮かべている。
見つめられている、その先でハリは相手に構うことなく餃子の一切れを口に運んでいた。
もぐもぐと、美味しそうに咀嚼をしている。
その様子を見た、顔を見ていた男が諦めずに追及の一手を伸ばしていた。
「いやいや、だってその顔の大きな火傷の痕、それってウワサの……「アレ」なんだろ?」
具体的な単語をひとつも使おうとせずに、男はハリに対する疑問点を本人に主張している。
もしかすると、このつののある男はハリが自分の説明に理解を至らせていないから、だからこそもっと分かりやすい単語だけを用意しようとしたのではないか。
ルーフがスープを飲みながら、そんな楽観的思考を稼働させている。
その間に、ハリは箸を一旦机の上において、空いた指を自身の左頬に触れさせていた。
血の気の少ない指が触れている。
同じ色、素材によって作られている場所。
自分の皮膚に触れている。
だが左頬には、人間らしい皮膚と呼べるものはあまり残されていなかった。
そこには黒々とした濁りのようなものが刻みつけられている。
ハリが、彼が魔法使いとしてその能力を使う時には、水晶のように透き通った輝きをはなつ。
だが魔法を使っていない、その必要がない今は、その場所は黒々とした濁りだけが肉体の一部として沈み込んでいる。
夜目遠目、傘の内ならば、ただの奇妙なデザインがされたタトゥーに見えなくもない。
だが、しかしながらつのの生えた男はそれを、ただの色素としては認識していないらしかった。
男はハリの左頬を見ながら、消えかけていた決意を新たなものとして固め直している。
「魔法使いなら、ぜひとも相談したいことがあるんだよ」
これ以上問答を長引かせるつもりはない。
暗にそう主張しながら、男は少しばかりの強引さの中で話しを進めようとしていた。
「話しは、なに……ちゃんと魔法使いに関係していることだから、多分がっかりすることは無いはず」
今度は相手に期待を抱かせるように、男はまるで耳寄りな情報を携えてきたかのような、意味深な素振りをみせている。
相手の動向に合わせるようにして、餃子を咀嚼し終えたハリがそこでようやく男の方に視線を移動させていた。
「なるほど? と、言いますと」
分かりきっていることを、あえて質問文にしている。
そうすることでより確かな情報を、言葉を、言質を少しでも多く確保するつもりなのか。
……あるいは、ただ単に餃子を食べるのを邪魔されたくなくて、曖昧な返事だけを用意しているのかもしれない。
ルーフが、そしてつのの生えた男が、それぞれにハリの挙動に注目をしている。
二揃いの注目の先で、ハリは空いている右の指で眼鏡をつと、整えている。
つのの男がさらに情報を開示した。
「怪物についての話、ちょっとウチで……自分の職場で困っていることが、あるんですよ」
男はゆっくりと言葉をえらび、文節のそれぞれをできるだけ間違えないよう、丁寧に発音しようとしている。
怪物、その単語にルーフの体が自然と反応を表していた。
肌がぷつぷつと粟立つ。
毛穴が縮む、発生した細やかな突起が身につけているTシャツの薄い布と擦れ合い、電流を流したかのような不快感が脳に伝達される。
寒気のようなものを覚えていながら、しかし同時に脳は炎の赤い舌に舐めとられたかのような振動を訴えかけている。
汗を拭きだしている。
それが恐怖心から搾り出されたものなのか、それともただ単に料理の温度による生理反応に今更気がづいていたのか。
どちらなのだろうか、ルーフには判別することは出来そうになかった。
少年が自身の状態を把握しようとする。
だがそれよりも先には、つのの生えた男の方がそこでようやく魔法使いの向かい側に座っている人物。つまりは、ルーフの存在をまともに認識するようになっていた。
「おっと、いけない……」
ルーフに対して、つのの男は何か失礼を働いてしまったかのようにして、謝罪の意を目線に込めている。
「ご飯の邪魔だけじゃなく、まだ自己紹介すらもしてなかったな。すまない」
簡単な謝意のあとに、男は椅子に座ったままの格好で彼らに自己紹介をしていた。
「自分の名前はスオリノと申します。魔術師でもなければ、魔法使いでも何でもありません」
おそらく魔法使いか、それと関係する人物のためだけに用意されるであろう、そんな自己紹介文。
それを口に、唱えるように発しながら、スオリノは座席の上で彼らにペコリと軽く頭を下げている。
彼の動きに合わせて、その頭部に左右対称で生えている深い茶色をしたつの、その先端がルーフの視界に見てとれた。
つの、その先端、そこは本来の茶色さが擦り切れてほのかに白くなっている。
日常生活の中で、この男が過ごしている日々の中で緩やかに擦り切れて行った。
他人の生活の気配を見た、ルーフは胸の内に別の感覚を覚えていた。
それは全てが良いと思える代物では、決してなかった。




