わたしの生きがいは平均点をとることです
ここでまた、ルーフは幾つか嘘をつく必要性を求めていた。
「まったく……、人を勝手にこんな所まで連れてきて、どうしてこうなったんだろうな?」
何一つとして具体的な事例をあげようとしない。
そんな語り口で、ルーフはただ目線だけで目の前の男、ハリという名前の魔法使いに嫌味のような視線を送りつけている。
「魔術師の本拠地でお絵かき大会って……どんな不審者だよ、まったく」
そう言いながら、ルーフはひっそりと手元の一冊を誰にも見られぬ内に閉じようとしている。
浅ましい試み。
だが少年の期待すべき事態は、少女……モアの一手によって阻まれる。
「そんなこと言っちゃって」
飲み屋で厄介な客をあしらう若女将……的な口ぶりと動作で、モアはルーフが隠そうとしたものを軽やかに暴いている。
「あっ」
強奪でもなければ奪取でもない、本当にただ取り上げただけ。
棚の上に置かれていた小物を取るかのような、そんな手つきでモアはルーフのスケッチブックを自身の手中におさめていた。
「おい、ちょっと!」
一拍ほどの遅れを許しながら、ルーフが少女の行動に不満を呈そうとしている。
だが、その時にはすでにモアの青空のように明るい青をした瞳は、少年の作っていたものを視界に認めてしまっていた。
何か言われるものかと、ルーフは今、現在、この瞬間までの少女のイメージから勝手に展開を想像していた。
だが、少年のイメージはいつまで待っても現実に実像を結ぶことは無かった。
「……」
モアの、少女の唇はジッと閉じたままになっている。
観察をしているらしい。
そうルーフが判断した理由には、モアの表情から笑顔が失われていたことが関係している。
モアの、少女は笑顔を浮かべていなかった。
無表情と言えるほどの無機質さはなくとも、感情の少ない真顔に何故かルーフは強い関心を抱きそうになっている。
理由を考えようとした。
答えは、ルーフにしては珍しくすぐさま納得のいくものを用意することが出来ていた。
動きを止めている。
小さな肉を構成している淡い紅色は、まるでグミの実のような完成度と謎の可愛らしさが、あったりなかったりしている。
「……」
ルーフは少しだけためらった後に
「…………モア?」
意を決するかのように、空気を少し多めに吸い込んで少女の名前を呼んでいた。
少年に名前を呼ばれた、だがモアの方はまだそれに返事を用意しようとしていない。
十秒、短くとも意識した途端に確かな質量をもつ、そんな時間が通り過ぎた。
その後に、モアがようやくほっそりとした顎を上に、明るい青さの瞳をスケッチブックから逸らしていた。
こっちを見ている。
少女の、モアの口元に再び微笑みが灯っている。
形の良い唇の、口角を上にあげながら、モアはルーフにこんなことを話している。
「三十点!」
「…………」
単語ひとつ、言葉だけを意識すると、一体全体この少女が何のこと言っているのか、果たして全てを理解することが出来る人間がどれほどいただろうか?
などと、ありもしない全体の想像をせずにはいられないでいる。
それほどには、ルーフの耳は、鼓膜の奥底にある意識は少女の言わんとしていることを理解することが出来てしまっていた。
ルーフが口を開く。
「……ちなみに、何点満点でそれになるんだ?」
数を求めている、自分の描いたイラストに対する評価を、ルーフはモアに求めていた。
製作者からの質問に、モアはより具体的な評価を下している。
「百点ね。半分より下だから、たぶん赤点になるわ」
間違いなくモア自身が決めた基準、価値。
それを彼女はまるで他人事のように、どこか遠い国の惨状をウワサするかのように話していた。
「…………」
言われたこと、それにルーフ本人が反応しようとした。
だがそれよりも先に少年の後ろ側から、ハリの声がするりと伸びてきていた。
「赤点ですか、相変わらず手厳しいですね」
ルーフに対する評価店の低さを嘆くことはせずに、ハリは少女の評価をあくまでも妥当なものとして認識しているらしかった。
ルーフはハリを、若い男の魔法使いの方を見上げる。
問いかけるべきことは沢山あった。
それはもう沢山、まずもってこの状況が色々とツッコミ所がありすぎている。
そのはず、それなのにルーフは正しい質問文を舌の上に用意できないでいた。
代わりに用意出来た言葉と言えば。
「そうか、俺の絵ってヘタなんか…………」
何となく呟いた。
特に意識することも無いままに発している。
もしかすると無意識の内、心のあるがままに発した言葉だったのかもしれない。
少年の反応は僅かなもので、だからこそ周辺の人間のそれも薄味なものでしなかった。
ハリがモアの近くに移動する。
そして少女の手元にあるスケッチブック、そこに描かれたイラストレーションを見ている。
見て、そして彼も反応を示している。
「……あれ?」
だが魔法使いから現れたそれは、モアとはかなり様子を異ならせているものだった。
勘定の詳細までは判別できずとも、ルーフは魔法使いが少なくとも自分のものに無関心を決め込んではいないこと。
そのことを直観的に把握していた。
まるで天から蜘蛛の糸を一本垂らされたかのような、そんな風にして縋りつきたくなる。
欲求は、ある意味妹のことを考えたときよりも強い後ろめたさがあった。
ルーフがひとりで勝手に心の中で心理戦を繰り広げている。
そのすぐ近くで、ハリの方は少年に目もくれずにイラストを見続けていた。
ジッと見つめる。
彼の右と左にある虹彩の差分が、視神経からの命令に従って静かに伸縮を繰り返している。
しばらくの間、ひとしきり見終えたハリが言葉を発していた。
「ふむ……? このタッチに陰影のつけ方、どこかで見覚えが……?」
言いながらハリは左の指にを頭の方に動かす
指の間に握りしめたままになっている鉛筆の一本、削られていない末端部分でこめかみの辺りをぐりぐりと圧迫している。
考えようとした、だがハリはあまり上手く思考を働かせられないでいるらしかった。
やがて溜め息のような、あるいは只の呼吸音のような音を口から零した。
そのあとに、ハリはモアに話しかけている。
「うーん、ボクとしては? もっと高い点数を、せめて四十三点ぐらいは差し上げたいところだと思いますが」
十三点。
十のケタはともかく、のこりの三つはどう言った基準で、どこからやってきたのだろうか?
ルーフが疑問に思っていると、モアが魔法使いに反論をしようとしているのが聞こえてきた。
「へー? ハリは……どこが良いと思ったのかしら?」
自身の意見を否定されたことに関して、モアは不満を抱く以上に強い関心を相手に求めているらしかった。
より情報を、多くの根拠を求めるように、モアは手元にあるイラストをもっと見やすいよう位置を変えている。
テレビ撮影でカンニングペーパーをだすかのような、そんな風にしてみせている。
嗚呼、あんなことをしたら自分の絵がより見やすくなってしまうではないか。
誰もなにも、道行く人々がわざわざそんなものに注目するはずがない。
みんなそこまで暇ではないのだと、頭ではそう理解している。
それでもルーフはどこかソワソワと、百足が肌を這うような緊張感を覚えてしまっている。
心臓は高鳴りの域をとうに越えて、ドクドクと動悸のような激しさを帯び始めている。
少年の循環器系が荒ぶっている。
その向こう岸にて、ハリはゆったりとした動作の中でイラストの評価、簡単な感想文を考えている。
「そう……ですね、率直に言いますと」
言葉を選ぼうとしている。
ハリは絵を見ている。
いつものように目線を泳がせようとはしていない。
親しい知人と会話をする時のような、穏やかな点と線を結んでいる。
やがて、ハリは簡単な感想を言っていた。
「ただ単に、好みに合った。ただそれだけのことですね」
そう言ってハリは左の腕を、ペンを握ったままのそこでルーフの絵を手元に寄せていた。
絵を手の中に、ハリは右と左で微妙に色の異なる目でそれを見つめる。
少年の描いた、それは抽象画のような雰囲気を有していた。
いわゆる風景をそのまま写実的に描くものとは異なっている。
一見して、パッと分かりやすい表現をしようとしていない。
鉛筆の黒色と画用紙の白色だけを使いながら、ルーフはどこか幾何学的な気配のある模様が紙の上に描かれている。
何も知らない人が見れば、なんて、そんな広範囲かつ有用性の高い言い訳すらも必要無いほどに、その絵は確かな意味不明さが存在していた。
仮に何か、他の誰かがルーフの事情をある程度まで把握したところで、彼の描いた絵を理解できるかどうか。
そのへんすらも怪しくなってくる。
少なくとも、おそらくは此処、灰笛という名前の地方都市の何処かにいるであろう誰かひとり。確実に自分の絵に対して意味不明を突き付ける人物に、ルーフははっきりとした当てがあった。
少年がひとりの魔法使い、少女の姿を思い浮かべている。
反射的に苦々しい表情を作りそうになるのを、どうにかして堪えている。
戦いが密に繰り広げられている。
そんなことなど知る由もなく、ハリは引き続き絵の評価を言葉にしている。
「ほら、モアさんも分かりませんか? これはですね、一見して抽象画のように見えますが、よく見るとちょうどボク達が見ていた風景と共通するアイテムがそこかしこに確認することが出来るんですよ」
すらすらと、若干早口気味に語っている。
ハリの言葉に、モアはあくまでも自分のペースを崩すことなく意見を吟味していた。
「うーん、でもあたしとしてはもっと具体的なモノが欲しい感じで……」
語り合っている、その内容がいつの間にかそこはかとない相談の色、まるで何かを品定めしているかのような気配を帯び始めている。
ルーフは男と少女の話を横で聞きながら、しかして抱いた不安に具体性のある説明をつけられないでいる。
「あの…………」
やがて、ついに疑問の質量に堪えきれなくなった。
ルーフが声をかけようとした。
その時に、ハリの腹部から空腹を訴えかける伸縮音が発せられていた。




