幕引きは鉄の香りと共に
ギターの音色、
とりあえず目的を上手い具合に達成することが出来たキンシは、青年に向けて喜びに満ち溢れた叫び声をあげた。
「やりました! やりましたよトゥーさん! メイさん無事に救出成功です!」
幼女の保護に両腕を塞がれているキンシは、己の体を濡らす体液もそのままにトゥーイを呼ぶ。
「彼方さんは動かなくなりました。確認作業、お願いします!」
「了解しました」
結局ほとんど剣を使用することがなかったトゥーイは、踵をコツコツと鳴らしながら素早い動作でキンシの元へと駆け寄った。
彼もまた魔法による作用を脚部に作動させ、一つ跳躍しただけで高々と怪物の死体の上へと降り立つ。
早くも死臭を放ち始めた肉の上で器用にバランスを保ち、あまり使うことのなかった剣を両手で握りしめる。
大した装飾もされていない簡単な作りの柄に両の指を密着させ、白銀に輝く刃を静かに迅速にガラス玉へと食い込ませる。
ガラス玉、もうすっかりドロドロと融解し、ガラス玉と言うよりは乾燥気味のスライムと形容した方が相応しそうな、怪物の器官がトゥーイの剣を柔らかく受け入れる。
一瞬、器官が溶けかけの表面の中で再びきらめきを取り戻し、不敬にも体に土足で上がり込んでいる若造のことを睨んだ。
ような気がしたのは気のせいにすぎず、死体は死体としてトゥーイに調査されるがままでしかない。
きっと目の錯覚だったのだろう、そういうことにしておこう。
ともかくトゥーイはキンシに命じられた作業を淡々とこなす。
じっと、肉に食い込ませた刃をしっかりと握りしめて死体を観察する。
「破棄して私は諦めた、楽器の寿命は亡くなり停止した可能性、確認する停止を」
トゥーイの言葉にキンシは快活な納得の頷きを一つする。
「よし! ミッションクリア! です」
まだ意識がはっきりとしないメイの体を抱えつつ左手の指を開く。
救出作業のために放置していた武器が再びチョコレートの融解をし、そして元々の小ぢんまりとしたスケルトンキーとしての姿で持ち主の左手にしゅるりと納まる。
どうやら戦いは終わり、魔法使いたちは彼方と言う怪物の殺害に成功したようだ。
緊迫感の残滓を引きずりつつも、その場の空気が温かく緩やかなものへと変化していく。
「ふーう………」
キンシは全身に張りつめていた緊張感をほどき、安心と油断による溜め息を大きく深く吐き出した。
たっぷりと浴びた怪物の体液にまみれている皮膚にじわりと温かい汗が滲み、溶け合うのを感じる。
無事に終わってよかった。
キンシは神様ほどに具体的ではない、抽象的な何かへ仕事が無事に終わったことを深々と感謝した。
やはり彼方との戦いは何度経験しても、命がピリピリと痺れる緊張感に溢れ返っている。
いつまでも、何時までもきっと自分には慣れ親しむことが出来ないであろう感覚。
しかし、とキンシは荒々しい事の終わりにほのかな確信を抱いている。
自分は、僕はどうしようもなく浅ましく、この痺れに焦がれ恋慕に似た感情を抱いているのだと。
その証拠に魔法使いの口元には僅かながら、とても満ち足りた微笑みが浮かんでいる。
「………」
青年はそんな子供の笑顔を、怪物の死体の上からじっと見つめていた。
そして幼女は次第に健康な呼吸を取り戻す。
「んん……」
キンシの腕の中にすっぽりと収められているメイが、まだ怪物の体液にまみれている瞼をわずかに開ける。
ほのかに白い、鮮やかな赤色の動向が縮小し、定まらぬ焦点の中で何とか自らの体を支えている魔法使いの姿を捕えようとする。
「あなたは……?」
まだ己の身に起きた惨事の記憶が取り戻せず、現在の状況も上手く飲み込めないでいるらしい。
不安定に震える白い手がキンシへと伸ばされ、目的地も見つけられずに力なく宙を漂っていた。
「まだあまり動かない方がいいですよ」
キンシは出来るだけ優しく彼女に話しかける。
可能性が残されるレベルではあるが、それでもかなり破壊しつくされた[綿々]の店内、その店内でも瓦礫やごみ等々の障害が少ない比較的安全な地面。
そこに丁寧に、慎重にうやうやしくまだ体力の戻らない彼女の体をそっと横たえる。
「私は……?」
空気に触れ、そこに漂う現実的な酸素を肺で取り込む。
そうすることで次第にメイの思考はクリアなものとなり、今の今まで起きていた厄介ごとについての記憶も取り戻しつつあった。
「そう……私は………」
「考えないでください」
心臓を冷たく締め付けようとしていたメイの体に、キンシが遠慮深げに触れた。
「貴方は今疲れています。彼方さんに……、でっかいでっかい怪物に食べられたのでそれも当たり前です。ですので、今はとりあえず何も考えないでゆっくりしていてください」
そう言ってキンシはメイの額に触れた。短く切りそろえられている乱れた前髪に、自分の体と同じくらい濡れている手袋に包まれた手が添えられる。
「はい、……そうですね」
ようやく涙が滲みはじめた眼球を瞼で閉じながら、メイは深く息を吸い込んだ。
とにかく今の自分のように、怪物などに喰われて体力を消耗しつくした人間ごときが色々と考えたって碌なことにならない。
大げさに受け取ってしまうならばきっと、魔法使いはそんな感じのことが言いたいのだと。
メイは涙のあたたかさをじっくりと味わいながらぼんやりと考える。
「いやー。いやいや、いやはや。もう終わった? 終わったよね」
怪物の死体から距離がある場所、[綿々]のカウンター内から男性の弛緩した声がのびてきた。
「もーびっくりドキドキしたよ、寿命が五分ぐらい縮んだねこれは」
見るとヒエオラ店長殿がカウンタの上からそろりと顔を覗かせていた。
「もう安全? 彼方死んだ? 動かない?」
まだまだ恐怖が体に残っているのかその声は震えがあり、心なしか耳の花もしおれ気味になっているように見える。
それでも店長としての責任感が、ヒエオラと言う人間を突き動かした。




