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ひき肉になるまで握り潰そう

 そのスケッチブックは、ルーフにとって見覚えのある品であった。


 モアが微笑みの中で、完熟寸前のサクランボに似た色の唇を開き言葉を発している。


「ほら……、この前ルーフ君にも同じようなのをあげたわよね?」


 ちょっとだけ昔の事を思い出そうとしている。

 モアは人差し指で顎の辺りをツン、と突っつきながら目線を、晴天のように明るい青色をした瞳を少し上に向けている。


 少女が考えている、内容をルーフは特に困難さを覚えることも無く、簡単にイメージをすることが出来ていた。


「ああ、うん……そうだったな」


 ぼんやりとした返事の後。

 ルーフの体は、腕はとりたてて意識を働かせる必要も無いままに、限りない自然体の中で自らの周辺を指でまさぐっている。


 ルーフが、少年が物品を探し求めている。

 その様子を視界の下らへんに見ていた、ハリが思いついたかのように腕をハンドルから一時的に離し、車椅子の座席の裏面に掛けてある袋に指を伸ばしている。


 探る、そして見つけた。

 ハリは指でそれを掴み、掛けてあった道具袋から一冊のスケッチブックを取り出していた。


「おや、まあ」


 感嘆符のようなものをハリが、魔法使いが呟いている。

 そうしていながら、魔法使いは速やかにその一冊をルーフの元へと差し出していた。


「どうぞ」


「ああ……どうも」


 特にためらいうことも無く、差し出されたそれを、探していたそれをルーフは自らの右手に受け取っている。


 まず最初に重さが指先に伝わってくる。

 紙の重さ、幾重(いくえ)にもなっている薄い白い四角形の集合。


 ささやかな重力を指先に、肌に感じながら、ルーフはその一冊を両の手のひらに受け止めている。


 少年の手の中にあるそれ。

 それはモアの持っているものと大体同じ、同様のメーカーによって製造された品であることは明白であった。


 モアがにっこりと笑っている。


「どうかしら?」


 笑顔、配布されたパンフレットにカラー印刷されているような笑顔で、モアは近況の報告をルーフに求めていた。


「どう、とは?」


 質問文、少なくともルーフにとってそれは何の脈絡もないものでしかなかった。


 思わず鳥のように首を傾げている。

 そんな少年に呆れを見せようともせずに、モアは笑顔を固定させたままで質問文の補足を行っていた。


「ほら、せっかく紙をあげたんですから、絵の一枚や二枚……いいえ、百枚くらいは描いたのかなって。気になって、確認をしているのよ」


 補足と言うよりかは、むしろ一から十までをすべて復習するかのようにしている。

 モアのそんな丁寧な確認事項に、しかしながらルーフははっきりとした答えを返せないでいる。


 理由は、考えるまでもなく単純であった。

 青い瞳の少女の要望に応える、結果をルーフは用意することが出来なかったからだ。


 それに関してどのような、どんな言い訳をするべきなのだろうか。


 まさしく子供じみた弁明のいくつかが、貨物列車のような速度と勢いで轟々とルーフの脳裏を駆け抜けていった。


 思い浮かんだすべての言葉、文章が要領も実体も得られないままで、無意識のうちに大量投棄されていっている。


 沈黙がどれほど長く続いたのか、時計を持っていないルーフには判らぬことであった。


 正確な秒、数字を知る必要も無いままに、モアの白い指はスッ……と少年の手にあるそれを軽やかに取り上げていた。


「あら、あらあ?」


 ページを繰る。

 ぱらら、と紙の白い質量だけが地面に向けて、重力に従いながらその中身を空気の中にさらしていた。


「なあにー? 全然描いていないじゃないー」


 モアが残念そうにしている。

 それは期待を裏切られた暗さ、と言うよりかは、まるで課題をひとつ忘れてきた生徒を諌めるような、そんな雰囲気を想起させる。


「いや、……その」


 ルーフがいまだに上手く言葉を選べない、使えないでいる。

 少年の沈黙。その合間を縫うかのように、ハリがルーフの後ろ側からモアに向けて話しかけている。


「約束事がどんなものであるかは、ボクの知らないところですが。しかしながら王様……、じゃなくて、ルーフ君も色々と忙しそうにしていたらしい、ですよ?」


 他人事そのものと言った様子で、ハリが勝手に事情を説明している。


 それに対してルーフがアクションを起こそうとした。

 しかしながら、それよりも先にモアが若い魔法使いに目線を固定させていた。


「まあ、それもそうね」


 まず簡単な同意だけをしている。

 肯定をしている。モアは表情にこそ残念そうな雰囲気を滲ませていながら、しかしそこに人間の感情特有の暗さは感じられなかった。


 相手の事情を理解している。


 その意向をわざわざ言葉にすることをせずに、他者であるルーフに察知させる。

 まるで表情の微かな動きだけで架空のキャラクターを表現する役者のように、モアはルーフと言う名前の少年に自身の意向を伝えている。


 そうした的確なる伝達の途中にありながらも、この明るい青色の瞳をした少女は、しかして決して自分の主張を諦めてはいないらしかった。


 具体的な要望。

 つまりは自分の渡したスケッチブックに結果を、インクや鉛の粒による新しい重さを求めている。


 モアの、少女の青い瞳の輝きに、ルーフが予感を抱いていた。

 それは危機感にも近かったかもしれない。


 訪れようとしている。

 頭では予想できても、やはり体は上手く実行についてきてくれはしなかった。


 モアが瞳を輝かせながら、手に持っている傘をクルリと左に回転させている。


「せっかくだから、この近くに、絵を描くのにうってつけなスポットがあるの。行ってみないかしら?」


「え?」


 誘われている。

 事実をルーフが受け止める。


 それを実際に言葉として認識する、それと同時にハリが少女に低い声で話しをしていた。


「行ってみるもなにも、ボクらはこれからそこに……古城に用事があって、この道を歩いてきたのですよ」


 音程を低くすることによって、ハリは少女に不満の雰囲気を主張しようとしている。

 魔法使いのその言葉、声にモアはそこで初めて、


「あら」


 と、驚いたかのような素振りを見せていた。


 彼らのやりとりを耳に聞きながら、ルーフはそこで初めて自身の周辺に強く意識を働きかけている。


 そうして気づかされている。

 少女と魔法使いが言っているとおりに、すでにこの地点は古城の近隣区域に含まれる場所となっていた。


 ちょっとした移動の後。


 古城についに到着した。

 だが、感慨と呼べるものはもうあまり残されていなかった。


 散々前もって予告されていたから、感情を動かす必要性も無いと言えば。そうとも言える。

 しかしそれ以上に、ルーフの内層を占めていたのは回数と言う要素であった。


 初めてではない。

 この……古城と呼称される巨大な建造物に訪れたのは、少なくとも記憶している内では二回目となる。


 初めてではない、二回目であった。

 その事実自体はなんて事もない、ただの回数でしかなかった。


 しかしながら、どうにもルーフにとってはその要素が強い影響を持っていること。

 そのことを少年は視界の先に広がる光景、それを見ている自身の神経系に直接実感をしている。


 二回目なので、感動することも無い。

 と、そう自己判断をしようとした。しかしそれは上手くいかないだろうと、ルーフは自分自身に即席の諦めを作っている。


「いい天気ですね」


 もれなく雨しか降っていない空を見上げて、ハリが平坦な声でそう言っている。

 魔法使いの感想に、モアが穏やかな声音で返事をしていた。


「そうね、今日もステキな雨で気持ちがいいわ」


 モアはかざりの多い傘を閉じて、屋根の隙間から降り落ちる雨粒を白く滑らかな頬に受け止め、流している。


 少女の肌が、それこそ陶器の器のように水をはねさせている。

 流れ落ちる雫のいくつかを見上げながら、ルーフは視線をそのまま下に……。


 動かしかけて、とっさに目を逸らそうとする。

 具体的なふくらみを目にするよりも、どうにかして別の情報を意識に取り込もうとしていた。


 周辺、周り。

 そこは当然のことながら、古城の内側にあたる空間が広がっていた。


 もっと具体的に言うと、古城の敷地内にあたる土地。

 どう表現したものか、とルーフは少し考えて、頭の中では何故か故郷の家の近くにあった人気のない公園、その場所を思い浮かべていた。


 当然、子供どころか大人の影すらも無いあの小さな公園と、いま目の前に広がっている都会の中心部分とでは、共通項と呼べる要素は殆ど見られなかった。


 古城の敷地内、そこはやはり「城」という名称、呼称に相応しい趣向が全体に施されていた。


 おおよそ石材と思わしき、白みがかった灰色の建材が使用されている。

 それはいわゆる石垣のような、例えばレンガのように段々と積み上げて壁を作り上げたものとは、かなり意味合いが異なってきている。


 広々とした、二十四メートルのプール程には長さがある。

 石の壁、そこにはつなぎ目というものがほとんど見受けられそうになかった。


 まるで巨大な意思を内側からくりぬいて、中身に空洞を作りだしたようだった。

 もちろん流石にそんな、トンデモな建築方法があり得る訳がない。


 ……ルーフはそう信じようとした。

 だが、意思の壁一面に彫りこまれた重苦しい装飾、まるで人間の眼球のように威圧的なそれらを眺めていると、どうにも根拠が上手く作れないでいる。


 空間を支配する圧迫感は、さながら雨が降る前の曇天のような質量を作り上げていた。

 

 下手をすれば、何か不具合と不都合さえ重なれば、あっという間に、いつの間にかに発狂の一つや二つでも起こしてしそうな、そんな重々しさがある。


 しかしながら、そういった空間の中においても、人間のための快適さはそれなりに用意されていた。


 工夫を、確かに存在する古城の設計者のために、誰かに敬意を払うために。

 ルーフは目線を巡らせる。


 右に左に、続く灰色が少年の感覚にめまいを来たそうとする。


 クラクラとした、間隔に逃れるつもりとして、ルーフは自然そうな動作の中で上を見た。


 そこには、古城の天井として作り出された部分が確認できた。

 見知らぬ天井を、ルーフは少し観察しようとする。

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