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私は数日前の私を殺している

 声色の明るさに関しては、もうすでに、特に印象的な感想を抱くつもりも無かった。

 愛想笑いと同じであること、それがハリにとっての社交辞令、社交術の内の一つであること。


 そのことをおおよそ把握した。

 ルーフがハリに、そういった名前を持つ若い魔法使いに返事をしている。


「なんだよ?」


 問いかけに返事をする。

 しかしながら、その時点では質問文があまりにも不足していた。


「何が、だ?」


 文章の不足を補う、続きの文章を求める催促としての疑問符を、ルーフは短い返事の語尾に含ませた。

 言葉の少なさに、ハリの方でもすんなりと理解を至らせていたらしい。


 ほんの少しだけ、一秒を満たすかそうでないかの空白。

 その後に、ハリはすぐさま本来あるべき形の質問文を用意しなおしている。


「えっと、だから、」


 前置きの後にまた僅かな沈黙。

 少しだけ考えを巡らせた、ハリは口元に微笑みを浮かべていた。


「新婚ほやほやの、出来たて夫婦の愛の巣に割り入れられた。若い男の体を持て余していないか、ボクはルーフ君のことがとても、とてつもなく心配なんですよ?」


 滑らかな口ぶりで語る。


「…………」それに対し、ルーフは少しの間だけの沈黙を喉元に漂わせた。


 そのすぐ後。


「はああ?!」


 周囲の環境、自分が今どこに立っているのか、それすらも忘却するほどの勢い、そして音量。

 そんな力強さで、ルーフは急ぎハリに向けた、魔法使いのぬかした予想のための否定文を吐きだしていた。


「何をゆーとると思ったら……、あんた、アホちゃうんか?」


 思わず故郷の人々が使っている、なんとなく慣れ親しんだ言葉遣いを使用せずにはいられないでいる。

 それほどにはハリの予想はルーフにとってあまりにもふざけている、とてつもなくくだらない妄想、虚妄も良いところであった。


「えー? だって……」


 少年が車椅子の上で、大して面積もない体を爆発させんばかりに熱暴走させている。

 その様子を視界の下に認めつつ、ハリは前を行く人々を避けるために車椅子のハンドルを右に切っていた。


「若い夫婦の元に男やもめがお邪魔したら、NTRとか略奪、夜這いが展開としてはデフォルトでしょう……?」


「なにをゆーとんのか、よお分からんけど……」


 沈黙を噛みしめる余裕もない。

 ついでに言えば、ハリが並べた単語のひとつひとつが、実のところルーフにはあずかり知らぬ文化に属していた。


 言っている意味が分からない、二重の意味で理解不能であった。

 しかし、そうであったとしても、分からないなりにルーフはこの若い男の魔法使いが何か、とんでもないことをぬかしやがったことを理解する。



 ……もっと具体的に言えば、ちょうど自分らの近くを横切ったサラリーマン風の人物が、いかにも「?!」としか表現しようのない目線を送ってきた。

 そのことも、深く関係していた。


 何にしても、ルーフはせめて全身全霊で否定の意を表現しなくてはならなかった。

 拒絶の異を唱え、それを表面上に浮かばせる。

 そうすることによって、少年は自分のすぐ後ろにいる、魔法使いの形をした異常性との共通項を少しでも削減しようと。

 そんな試みを働かせようとしていた。


 だが、試した全てが少年の思い通りになるかどうかなど、今更語るまでも無いほどには決まりきった出来事でしかなかった。


 目の前で、もれなくたった今強烈な拒否感を見せている。

 しかして、ハリの方は特になにかを気に欠ける素振りすらも無いまま、どこまでも平常心で会話を続行させようとしていた。


「ああ、でも、そういえばルーフ君は妹さん以外のメスをメスと見なさない、ゴミクソのようなシスコン野郎でしたっけね?」


「そんな馬鹿みたいに酷い悪口を、天気予報みたいに読みあげるんじゃねえよクソッタレ」


 かなり酷いことを言われた自覚がありながらも、不思議と心は傷ついてはいなかった。

 理由は単純であった、傷心を決め込む以上にルーフはこの魔法使いに対する不快感をより一層深いものにしているからにすぎなかった。


「確かに俺はメイ……、あいつ以外の女に興味を抱いたことなんかねえけども!」


「あ、そこはもう否定しないんですね」と呟くハリにかまうことなく、ルーフは己の拒絶を引き続き漏出させていた。


「それはそれとして、こんな往来で気色悪い妄想たれ流してんじゃねえよ。どんなイマジネーションだ」


 ルーフが溜め息交じりに発した。

 表現に返事をした、のは、男の声ではなかった。


「いいえ、どっちかっていうとファンタジスタね」


「ンなもん……どっちでも…………」


 かなりどうでもいい指摘をされた、咄嗟に反論をしようとした。

 しかしルーフは、音色の形が聞き覚えのある、ようなもの持っている。


「え、あれ?」視線を動かす。


 すると、ルーフから見た道路の右側に、見知った少女の姿を確認することが出来ていた。


「ああ」ハリが溜め息のような、感嘆符めいた声を唇から一滴垂らしている。


「モアさん、どうも、おはようございます」


 丁寧そうな口調で、魔法使いは目の前に現れた少女にかるく挨拶をしている。


 魔法使いに頭を下げられた、モアと言う名前の少女は手に持っている傘をゆるやかに回転させている。


 雨傘は、ルーフには見慣れる程度に細やかできめ細やかな装飾が施されている。

 雨具と言うよりかは、まるで昼下がりの公園でどこかのご婦人が日よけにでも使いそうな、そんな雰囲気を持っている。


 そんな雨傘の下で、モアの目が覚めるように明るい金髪がほのかに雨の湿気を受け止めているのが見えている。


 モアが、道の途中で動きを止めている男二人に近づいてくる。

 足に履いている黒色のパンプスが地面を噛みしめる、コツコツとした音色がリズミカルに繰り返される。


 すぐさま近付いてきていた、目の前にいるモアと言う名前の少女に、ルーフは最初どのように声をかけるべきか上手く考えられないでいた。


 前にあったのが、確か古城で目覚めた時……。

 と、考えた所で、ルーフはふと思い当たっている。


 そう言えば、古城であった時とはまた別に、こうして道端で遭遇したことがあったような。


 ルーフが記憶をさらに検索しようとしている。

 沈黙の中でサルベージをしている。そんな少年のに、モアが笑顔で話しかけていた。


「こんな所でなにをしてるのかしら? お散歩……って感じのフンイキじゃなさそうね?」


 質問文からはじまり、モアは自然な挙動の中で彼らの会話に参加をしようとしていた。


 とくに断る理由も無いままに、ルーフは少女が自分らと歩幅を合わせている、その姿を横目に認めている。


 こちらは車椅子を使用している分、どうあっても出会う人の顔すべてが自身の視点よりも上にある。

 その状況に慣れつつある。ルーフはモアの顔を見上げながら、出来るだけ速やかに彼女についての、現状の情報を集めようとしていた。


 モアは当然の事として、左右両側に生えている足を使って、いかにも健康そのもといった様子でまちの中を歩いている。


 服装は、前にあった時とはまたかなり趣向が変わったように思われる。

 なんという形態、形式だっただろうか? ルーフは自身の最新式ノートパソコンよりも薄っぺらい、そんなファッション知識を動員させようとしている。


 考えようとした。

 ……白いユリを献花した葬儀の帰り道、と言うのが、ルーフにできた精一杯の表現方法であった。


 当然、道行くろくに親しくもない婦女子にたいして、「葬式帰りか?」なんて聞けるはずもなかった。

 もしもそんな勇気があったとしたら、それこそもっとましな人生を送ることさえできたはずだった。


 などと、そんな妄想さえしたくなる。

 ルーフが幾つもの言葉を喉元で、羽虫を一匹ずつ潰すかのように殺している。


 そのすぐ隣、少年の視界の右側にて、モアは黒いレースをあしらったスカートのすそを風になびかせている。


 ハリがモアに話しかけている。


「お嬢さんは、どうしたんです? こんな所をひとりで歩いて」


 気軽に質問をしている、ルーフはしかしながらハリの表情の子細までを知ることはなかった。


 ハリと言う名前の若い魔法使いに問いかけられた。

 モアは右腕を少し上にあげながら、振り向きざまに彼に目線を向けている。


「別に? ただ……今日は体がよく動かせるから、ちょっと絵でも描こうかなって」


 レース素材をふんだんに使用した、黒い長袖の先に伸びる白い肌。


 きめの細かさはそう……、サッと茹でた絹豆腐のよう。

 そう表現しかけたところで、女の肌を表現するのにその単語はいかがなものかと、ルーフはすぐに思考を変えている。


 気を取り直して。

 陶器のように白い肌を持った指で、モアは自らのこめかみに生えている、明るい金色をした髪の毛を軽くいじくっている。


 左の指で髪の毛をさわりながら、モアは右腕に何かノートのようなものを携えているらしかった。


 A4サイズの、黒色と卵の黄身のようなプリントがなされた厚紙の表紙がある。

 そこには外国語、(てつ)の国(この物語の主な舞台となる国の名前)で使用されている言語とは、言葉としての形やルール、言語としての響きも異なる。


 そんな言葉で書かれている。

 ルーフは、病院の待合室で配布されるパンフレットのように薄っぺらな言語能力にて、表紙の言葉を少しばかり時間をかけながら、頭の中で翻訳している。


 訳した単語、それはこのような意味を持っていた。


「スケッチブック」


 独り言のように呟いている。

 音量は蝶の羽ばたきよりも幽かなものでしかなかった。


 声は小さく弱々しく、少しでも意識を外せば、まちの中に大量に響き渡る音の群れ喧にいとも容易く溶けきってしまいそうだった。


 一秒を超えた先の世界に何の影響も残すことなく、空気と共に透明な姿に変わってしまうだろう。

 そのはずだった音。


 だが、モアはそれを砂浜の中に貝殻のひと粒を丁寧に摘み上げるかのように、少年の言葉を自らの内側に取り込んでいた。


「ええ、これはスケッチブックよ」


 模範解答のような返事をひとつ。

 モアは右手にあるその一冊をルーフの方に。

 少年の眼球がそれをよく視認できる、まさに丁度の良い場所へと、スケッチブックを移動させている。

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