食べられないためには辛くなるしかない
切り裂かれた傷の中にエミルの腕が伸ばされ、裂かれた肉の隙間に滑りこまされる。
刀によって裂かれた傷口からは、じんわりと血液が滲み出ている。
エミルは腕が赤く汚れるのもいとわずに、傷の奥にひそむ中身を腕に、指先に感じ取っていた。
「見つけた」エミルが口で、言葉で感触を周囲に説明している。
「核だ。状態は良好と思われる」
簡単な説明をしている、エミル等がいる場所に魔術師たちが速やかに集まってきていた。
どやどやと集まってくる魔術師たちの陰に隠れて、ルーフはその場で何が起きているのか見ることが出来ないでいた。
どうにかして見ようと、ルーフが車椅子の上で首を伸ばしている。
だが少年が資格を確保するよりも先に、魔術師たちは速やかに自らの職務を続行させていた。
集まりが解放される。
散った人影の隙間から、見えたのは担架のようなものに乗せられた人間、意識を失った人間の体が一つであった。
そのまま家に帰された。
と言うのも、エミルによれば、
「ちょっと事態が深刻っぽいから、オレはこのまま古城に戻るから。少年、君は自分でミナモさんのところに戻れるよな?」
とくに拒否をするようなことでもない内容を、しかしルーフが戸惑い気味に、上手く返答を用意できないでいた。
すると、そこに助太刀のようなものを出したのは意外にもハリの姿であった。
「ちょっとちょっと、一応監視対象なのでしょう? そんな気軽な態度で大丈夫なんですか?」
ハリは真面目そうに、心配をするような台詞を発している。
気を配る対象はルーフ個人に向けられるものと言うよりかは、どちらかというとそれ以外に向けられている。
そしてその注目は、ルーフにもおおよそ共通している事柄であった。
ルーフがハリの言葉に合わせるかのようにして、自らの抱いている懸念を言語に変換する。
「俺も一応……いつアレみたいになるか分からない、状態……なんだろ?」
不安と疑問を口にしながら、ルーフは目線をとある方向に移す。
そこでは魔術師たちが、担架の上に乗せられた人間の体を車の中に、あらかじめ別のところに停めてあった古城の搬送車に乗せようとしている。
ちょうどその場面であった。
つい先ほどまで怪獣と言う状態にあった、だが担架の上に乗せられている人間は、どこからどう見ても普通の人間にしか見えなかった。
年恰好は、そろそろ三十代に差し掛かろうというくらいか?
全体を包む弱々しさには若さを感じるし、かと思えば年齢をそれなりに重ねた枯れ具合も、見えなくもない。
つまりはよく分からない。本当にどこにでもいそうな、普通の人間でしかなかった。
そんな人物をが運ばれていく。
体を受け入れた搬入車は、エンジンの音をけたたましく鳴らしながら、内蔵されている魔術式によって飛行能力を発揮する。
燃料を燃やす爆発音の連続を繰り返しながら、搬送車は空を飛びながら古城へと向かおうとしている。
「アゲハさん」
魔術師の内の、ベテランそうな中年の男性がエミルの方に目配せをしている。
暗に行動を求められた、エミルはそれに難なく答えを返している。
「今向かいます」
急ぎの用事がある事を全身で表現しながら、エミルは去り際にたったこれだけのことを言い残す。
「まさか、君がここで暴れようだなんて、そうは思わないだろう? なあ、少年」
問われた、その内容にルーフは同意をするしかなかった。
そんな感じで、残されたのはルーフという名の少年一人。
そして。
「やれやれ、ですね」
ハリと言う名前の若い魔法使いを一人、合計二名であった。
ハリが目線を上に、去りゆく搬送車を見上げながら静かに、ぽつりと呟いている。
「これってつまり、王様のおもりを押し付けられたってことで、間違いないんですかね? どうなんですかね、ねえ?」
「それ、本人に聞くべき内容か?」
同意の代わりに皮肉めいた台詞を送っておいた。
しかしながら、ルーフの言葉はハリにはあまり意味を為してはいなかった。
「まあ、せっかくだから見学の続きでもしましょうか」
「その設定、まだ続けるつもりなのか?」
合いの手のように言葉を発している。
そこでハリはようやく目線を下側に、ルーフの顔が在る方向を見ていた。
「設定も何も、君はしばらく古城の魔術師になるための研修? インターン? 修行……みたいなものを受けるのでしょう? そりゃあ、たったこれだけの現場を踏んだだじゃ合格点とは……」
あらましを語っている。
だが、ルーフは魔法使いの言葉をすんなりと受け入れることは出来なかった。
「ちょ、ちょっと待て……。俺が? 魔術師? 古城の?」
唐突に教えられた事実にルーフが理解を追いつかせられないでいる。
だがそんな少年に構う素振りもなく、ハリはさも当たり前の事実を伝えるかのように、平坦な声音でこれからの予定を一方的に教えていた。
「当たり前でしょう? 古城にとって王様……、ルーフ君が利用価値があればこそ、君はああやって手厚い看護を受けられたのですから」
今までの事態を総合的にまとめた。
ルーフはハリの言葉を聞きながら、とにもかくにも、気になる事項を一つずつ片付けることにした。
「だけど、いいのか? 俺なんかがそんな……古城の魔術師になるなんて…………」
ルーフの言葉をハリはどうやら不満、否定の意見として受け取ったらしい。
まるでだだをこねる子供を言い聞かせるように、ハリは形容しがたい笑顔だけをルーフに向けている。
「残念ながらルーフ君にはほとんど拒否権は無いのですよ。そうでなければ、あのエミルさんがわざわざ自宅に預ける形で君を保護するだなんて、そんな命令を下される訳ないじゃありませんか」
客観的視点の中でハリは状況を理解していない相手に、説明を与えるような気分を抱いているようだった。
しかしながら、ルーフが気にしている点はハリが述べている内容には含まれていなかった。
「自分に選択の余地があるだなんて、そんなことは考えちゃいねえですよ」
「ほう? と、言いますと」
少年の反応が予想外であったこと。
ハリとしては、もう少し狼狽するものだと思い込んでいたらしい。
魔法使いがその深い緑色をした目を少し見開いている。
目線の先で、ルーフは今まで考え溜めておいた自身の予想を舌先に並べている。
「俺としては、もっとこう……劣悪? な環境に閉じ込められると思っていたから。こんなに丁寧にされて、全く驚かなかったっていえば、それは……嘘になる」
説明口調で自身の心理を一つずつ、取りこぼさないように解説している。
少年の、あまり血色の良くない唇がもごもごと、殺虫剤を噴射した芋虫のように蠢いている。
鈍い動きを見下ろしながら、ハリは溜め息を吐くついでのように少年へ意見を伝えている。
「いまどき、どこかのカルト宗教でもない限りは、人間にそんなトンデモな扱いをする訳ないじゃないですか」
そう言い終えた。
そのところで、ハリは失言を悔やむような色合いを瞳に浮かべていた。
「っと……、この話題はルーフ君、いえ、王様には禁句でしたね」
ほんの数日前、つい最近にちょうどそういった集団の被害にあった。
具体的には金属製の印によって肌を、肉をこんがりと焼かれたり、または思い出したくない過去を無理やり公開されたり。
などなど、それこそ一つずつ丁寧に上げていったら、項目はまっ黒に埋め尽くされるであろう。
そんな目にあった。
しかし、まぎれもなく当人であるルーフ本人の様子は、ハリの予想に反して冷静そのものと言った風体でしかなかった。
「あいつらのこと、か…………」
例えば分かりやすく気分を害したり、そうでなければ発狂の一つでも起こすべきであった。
頭ではそう理解していながら、しかしながらルーフはどうにも感情に主体性を持てないでいる。
まるでどこか遠い国、土地で起きた災害を午後のニュースで知ったかのような、そんな他人事じみた感情、感覚しか抱けないでいる。
それは、まぎれもなく自身が経験した事柄であるはずなのに、どこか、どうしようもないほどに現実味が少なすぎている。
だからなのだろうか、ルーフはそう考えようとした。
少年がそんな風にして、思考にそれらしき納得を附属させようとしている。
そこに、ハリが追及をするかのような声を侵入させてきていた。
「何にしても、なんの繋がりも同情も、報いもなしにタダ飯をただひたすらにかっ食らっているとろくなことにはなりませんって。ボクはそう思います」
まるで自分の体験を話すかのようにして、ハリは持論をルーフに向けて展開している。
「無償を期待するならばそれなりの犠牲を、時間や関係性をごりごりにすり減らす覚悟を持たなくては」
言いかけたところで、ハリはふと思い立ったかのようにその体をルーフの後方へと動かしている。
「と、こんな話をこんなところでするのもアレですね、アレですよ、本当に」
言い訳のようなリズムで細切れの台詞を口先に用意しながら、ハリはルーフの使っている車椅子のハンドルを握りしめている。
「まだ日は高いですし、お昼までのちょっとした時間つぶしのついでとして、その辺りを少しだけ散歩してみませんか?」
それがどうやら提案であること。
そのことにルーフが気付くと同時に、すでに少年の体は車輪の回転と共にここではないところ、別の場所へと移動させられようとしていた。
しばらく歩いた後、そう大して時間が経過していない頃、ルーフがおもむろに口を開いた。
「……アレは、あのままで大丈夫なんか?」
後ろを振り返ることをせずに、ルーフは視点を前に向けたままでハリに問いかけている。
前方には「現場」に向かった時と同じように、あたかも普通そうな建造物の群れだけが広がっている。
空も飛んでいなければ、魔力を持った鉱物の輝きも見受けられない。
普通の建物の中で、果たして自分はどのように見えているのだろうか、ルーフは言葉の裏で考えている。
普通に見えているだろうか。
どこにでもいる、少し元気の無いクソガキにちゃんと見えているだろうか。
考えようとした。
だが、ルーフはすぐにかぶりを振って予想をおのずから否定していた。




