ヒミツは秘密だから面白いのに
考えた基準。
計測の仕方を隠そうともせずに、ルーフはただひたすらに思ったままの数え方を言葉に、口にしている。
「何だ? その……人間みたいなもの」
表現した、その途端に言葉と意識がさながら二人三脚でも組むかのようにして、同一の呼吸の中でルーフの思想を掌握していた。
紛れもなく自分自身の唇で発した言葉であるにもかかわらず、ルーフはそれが意味すること、含まれる現実感に翻弄されそうになっている。
しかし表現した言葉を否定することも、ルーフにはどうしてもできなかった。
それ程には、水の中に現れた影はまさしく人間のような大きさをしていた。
もっと具体的な説明をしたら、影は子供ほどには小さくはなかった。
少なくとも成人を迎えるまでの成長を果たした程度には、体調は長さを有しているように見える。
大人ほどの大きさがある。
ルーフはそれを人間と判断し、同時に外見も動揺のものであると、そう思い込もうとした。
だが、続けて想起させたそれは、言い切るとしたらハズレになった。
水の中に現れた、と言うよりかは隠されていた、隠れていた、の方が正しかったのかもしれない。
部屋の中に隠れていた、「それ」は人間ぐらいの大きさを持っていながら、しかしてその様相はとてもじゃないが人間的とは呼べそうになかった。
人間でないのならば、何なのか。
「魚ッ?!」
理由を求めるよりも先に、ルーフの口は目にしたそれについての驚きを発していた。
部屋のなか、おそらく敷きっぱなしになっていた布団の下に隠れていた。
それは大きな魚の姿をしていた。
魚は魔法使いの、つまりはハリの姿にまず反応を示している。
まるい瞳孔、円形が変わることの無い、焦点の定められない暗黒がハリの姿を捉えている。
魚……? と思わしき生物は魔法使いの姿に対して、やはり驚きを覚えたのだろう。
しかし、そこに悲鳴は存在してはいなかった。
てっきりルーフは、魚がそれこそ怪物じみた悲鳴の一つでも上げるものかと思っていた。
思い込んでいた。
だがルーフがいくら期待してみた所で、魚?はあくまでも魚らしく、肉声とらしきものを生み出そうとはしていなかった。
「! ! ! !」
魚?は毛布の中で激しく身をよじらせ、目の前に現れた魔法使いの姿から咄嗟に逃げ出そうとしている。
小さいとは言えそうにない、それなりに大きさのある胴体が空間内でばたついた。
魚? が動きを見せている。
それに合わせるようにして、ハリは一気に前進へ緊張感を巡らせていた。
ザッと足を踏みしめる。
アパートの雑多な品々が転がる床の上で、ハリは自らの体を置く場所を把握する。
魔法使いである彼がそうして体勢を整えている。
そのすぐ近く、目の前で魚? の方でも次なる行動を起こそうとしていた。
戦いが始まる?!
ルーフは咄嗟に身体を硬直させ、固唾を飲むための準備動作を用意しようとする。
だが、しかしながら少年の行動はあまり意味を為さなかった。
何故なら、魚? はハリと対峙こそしたものの、すぐさまその場から逃げ出していたからであった。
「! ! ! !」
魚? は盛大に体を動かし、布団や毛布を激しく散らしながら室内を泳ぎ回っていた。
「うわーッ?!」
叫んでいるのはルーフの喉であった。
大げさな驚愕に関して、もはやルーフは理由どうこうを考える余裕も無かった。
なんと言っても、アパートの一室で魚が暴れ狂っているのである。
これを異常として、他の何に対して驚くべきなのだろうか。
もはや一種の恐怖体験じみている。
魚? はアパートの中でひとしきり暴れようとしている。
と言うのも、どうやら相手は眼前に広がる光景に対して酷く動揺しているらしかった。
驚き具合に関しては、それこそルーフのものより遥かに激しかった。
漁網に捕らえられた収穫物さながらに、魚? 部屋の中でぐるぐる、ぐるぐると暴れ回っている。
激しく動いているそれに、ハリはあくまでも冷静そうな態度を見せようとしている。
「おやおや、これはまた元気いっぱいですね」
まるで幼い子供に接するかのような、ルーフはハリの今までにあまり聞いたことの無い声色を耳にしていた。
「りらっくす……りらーっくす、ですよ」
そんなことを言いながら、ハリはゆったりとした動作で迷いなくそれに近付こうとしている。
「あ…………」
魔法使いのそんな様子に、ルーフはポカンとした声を発している。
と言うのも、近付いているハリの頭部めがけて、魚? の太く広い尾びれがもれなく盛大に接近をしていたからであった。
尾ひれは吹流尾のように、先端をVの字のように二股にしている。
実質二枚セットの棍棒か何かを振り回しているのとなんら変わりの無い。
そんな具合の尾びれが、まさしく狙いすましたかのごとくハリの頭部を横殴りにしていた。
「ぐっ」
軽く呻くような声と、硬いものとそうでないものが互いに激しく強くぶつかり合う。
ちょっとした、それぞれに形容しがたい鈍さのある音色が空間内に響き渡った。
「わああ? ハリ?!」
ルーフがほぼ反射的に叫んでいる。
なんと言っても、ハリの体が尾びれに吹っ飛ばされてしまっているのである。
ハリはろくに受け身らしい形を用意することも無く、衝撃に身を任せるようにして、体は部屋の中に激しく倒れ込んでいる。
体がぶつかった先、そこには木製の小ぶりなタンスが設置されてあった。
ハリの大して大きくもない体躯が、深い茶色の表面に叩き付けられる。
激しい衝突音の後に、タンスの上に置かれていた様々な雑貨類、例えばいずこかの誰かが映っている写真縦など。
訪れたハリ一人分の衝突に、それらは当然為す術もなく崩壊を余儀なくされていた。
バラバラと落ちる生活用品が、しかしながら室内を満たす魔的な要素によって重力すらも中途半端に奪われている。
物品が散乱する空間の中で、ハリの体が地面の上に転がる。
その頃には、魚? はやっと自身の求るところの逃げ道をその眼に認めていた。
逃げる、ルーフがそう思った時点にて、それは開け放たれたままの窓から外へと体を滑りこませていた。
と、そこへ唐突に電子的な発信音をルーフの聴覚が聞き取っていた。
音のする方へと視線を向ける。
そこには今までの事の成り行きを黙って見守っていた、エミルと言う名前の魔術師が立っているのが見えた。
「対象が領域の外側に出た」
ハリは襟元に、おそらくそこに装着してあった発信装置に何ごとかを指令している。
「急ぎ、捕獲術式を展開しろ」
それだけの命令文の後に、エミルは装置の通信を一旦切っている。
わずかなノイズの後に、エミルは部屋の中を前へと足を進ませる。
横たわっているハリの元に立ち、その深い青色の目で魔法使いの黒い毛髪を見下ろしている。
「とりあえずご苦労さん、見つけ出したものは……多分、上手くいけば内だけで捕縛することが出来るはず」
エミルが何かしらの予想のようなものを立てている。
彼の声に、ハリはうつぶせのような格好のままで、頭部に生えている黒猫のような聴覚器官をピクリ、と動かしている。
そうして、ハリはそのままの格好で呻くような声を喉元から出している。
「しかしながら、です。あんなに元気いっぱいだと、そう事は上手く運ばないような、気がします。僕はそう想像していますよ?」
疑問符のようなリズムを口にしながら、ハリはうずくまっていた体勢からすっくと体を起こしていた。
起き上がった、その顔はどこかぼんやりとしている。
それはなにも、尾びれからの殴打によって身体の機能に重大なダメージを負っただとか、そんな危機的状況はその身から感じられそうになかった。
まるで少しだけ仮眠をして、そうしたら想定していた以上に長く眠ってしまったかのような。
そんな目覚めの中で、ハリは体をゆっくりと起こしている。
「やっぱり、アレが今回の案件という事になるのでしょうか?」
眼鏡の無事を指で確認しながら、ハリはエミルに質問をしている。
問いに対し、エミルは少しだけ考える素振りを見せていた。
「分からんな、アレそのものが通報された内容に直接関係しているとは断言できない」
エミルは簡単な予想をつけながら、その目線を隣に立っている魔法使いに向けている。
「いずれにせよ、いざという時はオレ等が随時対応をする。そのために、ここに居るんだからな」
自分の役割を把握している。
そんな魔術師の目を、ハリは見返そうとしていた。
「オレ等、ですか……」
ふと、そこでハリが何か別のものを、ここにはない何かしらに目線を向けていた。
ルーフは目線の変化を、視界の上に認めていた。
車椅子の上から、彼らのやりとりを頭上に聞いていた。
ルーフに、先に話しかけていたのはエミルの口元であった。
「さて、見学メニューその二、だ」
エミルはまるで引率でもするかのように、いつの間に決めていた項目の二つ目をルーフに提案している。
「対象……つまりは怪獣に変異しつつある患者の捕獲と保護。その現場が今そこで行われているから、とりあえずオレ等も外に出ようか」
それだけの事を言って、エミルはすぐにルーフの使う車椅子のハンドルを握っている。
「外に出よう」
玄関から、咄嗟にそんな常識的観点を抱きそうになった。
だがルーフの体は扉の外には出ずに、そのかわりに窓の先に在る外界へと連行されようとしていた。
「窓から出よう」
エミルは提案をしながら、相手の返事を待つこともせずにただ前へと進み続けている。
横着にたいして特に感想を抱くことも無かった。
と言うのも、ルーフの視線はそれ以上に気にすべき事柄をすでに捉えていたからであった。
「うわあ…………」
意図することなく、思わず声を漏らしてしまっている。
それもそのはずで、窓の外では複数の魔術師によって魚……、もとい「怪獣もどき」なるものが取り囲まれていたからであった。
もしも自分が何も知らないで、この場所をみたら何を思うだろうか?
タラレバだとか、ifの話をしたくなりそうになったのは、怪獣が、自分と同じような存在があまり良い目にあっていないから。
同情でもしているつもりなのだろうか?
眠気のような必然性の中で、ルーフはしかし抱いた感覚を捨てられないでいた。




