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依存する喘鳴と感情

 ルーフが口を開く。


「怪物意外に怪物っぽいものって言ったら、怪獣……になるんだろうな」


 他人事のような素振りと口ぶりを作っている。

 少年の答えに、ハリは少しだけ意外そうに目を見開いていた。


「おや、ご存じなんですか」


「ああ、つい最近知ったばかりでな」


 それなら話は早いと、ハリはさっさと話題を次の段階へと進めようとしている。


「そうです、怪獣です。その怪獣が、このアパートで生まれようとしているのですよ」


「はあ…………」


 ハリの言葉にルーフは納得をしかけた。

 だが、残念ながら少年の意識はそこまでの素直さ、従順さと純粋さを持ち合せてなどいなかった。


「…………はあ?」


 ようやく状況の意味するところ、本質に繋がる情報を得ることが出来た。

 しかし事実を知った途端、ルーフの眼前には新たなる理解不能に圧倒されるばかりであった。


「怪物が、生まれる?」


「ええ、そうです」


「この、ボロいアパートで?」


「ええ、ザッツライト、です」


 ルーフの疑問に対して、ハリは大してためらいも見せないままに自然な受け答えを、ただそれだけを重ね合せている。


 相手の、魔法使いである若い男のあまりにもな自然体に、ルーフは一瞬だけ素直な理解力を示しそうになる。


 だが、自然(ナチュラル)を味わおうとした舌先も、結局のところは錯覚と同様の虚しいものにすぎなかった。


「では、さっそくお邪魔しましょうか」


「は、え?!」


「はーい、突撃


「わ……ッ、ち、ちょっと待て!」


 ためらいも無いままにハリがアパートの一室、その扉を開けようとしている。

 魔法使いの行動を、ルーフは叫ぶように制止していた。


「何してんだよ、ていうか、さっきからなに言ってんだよ?」


 全てがすべて、何もかもが意味不明でしかなかった。


 だが理解不能に打ちひしがれる余裕などないこと、それだけがルーフの行動意欲にもっともらしい意味を付与していた。


 ルーフに動きを止めることを求められた、ハリが予想外に不満げな表情を口元に浮かべていた。


「なんです? 王様、お手洗いにでも行きたくなったんですか?」


「いや、違ェよ」


「あ、じゃあ怪しい組織の取引現場でも見つけたんですか。ダメですよ、安易に尾行なんてしたら一服盛られますよ」


「だから違ェって」


 少年と魔法使いがやり取りをしている。

 そこに、エミルの足音がスタスタと近付いてきていた。


「何をのんびりしているんだ?」


 いつまで待っても扉が開けられないことに、エミルは疑問を抱くような所作を見せている。


「早くしないと、中で待っているだろうがよ」


 なんて事もなさそうにしている。

 エミルの様子に、ルーフは早くに裏切りめいた感覚を抱きかけていた。


「どうしたもこうしたも、ないだろ。色々といきなりすぎるんだって」


 ルーフが精一杯、身振り手振りで己の不理解を他人に表現しようとしている。


 だが少年の感情表現は、少なくとも彼自身が期待するところの成果をもたらすことは出来なかったようだ。


「なにも、怯える必要はありませんよ」


 言い含めるようにしているのはハリの声であった。

 まるでわがままな子供に言い聞かせるように、ハリは意図的な優しさのなかでルーフに説得をしようとしている。


「怖いことはありません。だって、これから会う人はおそらくボクと王様、あなたにとてもよく似たものになるはずですから……」


 そんな風にして、ハリはどこか感慨深そうに目をかすかに細めている。


「それって…………」


 どういうことなのだろうか?

 ルーフは考えようとした。


 だが、やはり考えるまでもなかった。

 つまりは、今から邪魔をしようとしているこのアパートの一室には、」何かしらの危険な魔的現象が待ち構えている。

 という事になる。


 そんな危険性、可能性を秘めている。

 扉に、ハリはまるで躊躇もなく指を伸ばし、ノブの銀色をした金属質の冷たさに触れていた。


 扉を開けようとしている。

 ハリと言う名前の魔法使いが行動を起こそうとしている。


 魔法使いの行動内容に警戒心を抱いているのは、なにもルーフただ一人だけに限定されている訳ではなかった。


 扉に指をかけている。

 若い男の行動に、現場に集められた魔術師たちがジッと注目をしている。


 幾つかの眼球が視線を集中させる。

 それぞれに色も、あるいは形すらも異なる瞳の数々。


 そこには一様に強く深い警戒の色が浮かべられていた。


 奥にひそむ、危険な事象に身構えている。


 引き絞る弦のような緊張感が、ピリリと現場に張り巡らされている。


 そんな空間、立ち入り禁止の内側においてただ一人、ハリだけが異様なまでにのんびりとした雰囲気を引き延ばしていた。


「開けますよー」


 間延びした声音で、ハリは左手の中にあるノブをクルリと回転させようとする。


「お邪魔します」


 まるで近所の見知った人物の自宅に回覧板でも届けるかのような、そんな気軽さのままで、ハリは扉を開けていた。


「…………ッ」


 何の前置きもされなかった。

 ルーフがそのことに不満を覚えるよりも、それよりも先に少年の内側に走る緊張の電流が、ほんの一瞬だけ彼に呼吸の仕方を忘却させていた。


 喉元の肉が硬直する。

 石を飲み下したかのような感触がルーフの内側をおそう。


 息を殺すようにして扉の奥を凝視する。


 開かれた、その奥には何があるのか。


 てっきり、扉を開ければそこにはサバンナやら、あるいは白銀の雪国でも広がっているものだと、ルーフはそう思い込んでいた。


 ルーフの矮小なる想像力には、扉の奥底にイメージできる異常性はせいぜいその程度であった。


 だが、少年が用意した期待は現実のどれもに該当することは無かった。


「……あれ」


 扉の奥、そこにはただ単に扉の内側だけが広がっている、ように見えた。


 アパートの一室、玄関先のあまり広さの無い空間。

 薄暗く、埃っぽい気配を感じさせる。


 靴とゴム素材のサンダル、棚の上にはささやかな観葉植物がその葉の先端を茶色く枯れさせようとしている。


 普通の玄関先であった。

 少なくともルーフは、間違いなくそう思っていた。


 特筆するような特徴など、どこにも見受けられそうにない。

 そこはあくまでも普通の玄関先で、現時点ではただの空間、ただひたすらに他人の家のなかでしかなかった。


 それで問題が、例えばこの現場に想起されていたであろう問題が全て解決したとしたら。

 それならば、どれほど良かっただろう。


 そう願った、だがルーフの願いが叶えられるはずもなかった。


「奥に進みましょうか」


 開け放った扉の内側に足をかけながら、ハリはどこまでも平常そうに玄関先でブーツを脱いでいる。


 ルーフが魔法使いの動きを見ている。

 そうしていると、少年の後ろ側でエミルが車椅子のハンドルを握る気配が聞こえてきた。


「さて、オレたちも中に入ろうか」


 なんて事も無いかのように、エミルもまた普通そうな態度で玄関をくぐろうとしている。


「いや……だから」


 ルーフは抵抗をしようとした。

 車輪は、やはり当然のことのようにスムーズに、まるでスケートリンクの上を滑るかのような速度で前へと進んでいる。


 そのスピードに、ルーフが最後の抵抗をしようとしている。


 声を上げようとした、だが言葉は確かな形を得ることをしなかった。


 口を開いた、そこで声を発するよりも先に、ルーフはとある感覚を体に覚えている。


 それは匂いのようなものだった。

 鼻腔をかすかに刺激する、甘い、花の蜜のような、そうでないような匂い。


 どこかですでに一回嗅いだような憶えがある。


 何の匂いだったか?

 そう考えている、その時点でルーフはすでに部屋の内部に好奇心を働かせている。


 その事にルーフ自陣が気付く。

 だが、それよりも早くに彼らはついに扉の奥に隠されていた「それ」を目にしていた。



 玄関をこえた先、短い廊下を渡り終えた。


 ルーフは移動の権限をエミルに預けたまま、動くことをしない体が暇を持て余すかのようにして、周辺の変化に敏感になっている。


 寒い、とまず最初に思った。


 それはもしかすると心理的、精神的な不安が身体に直接影響でももたらしているのかと考える。


 だが、すぐにそれは間違いにすぎなかったと気付かされる。


 錯覚として片づけられるほど曖昧なものでは決してなかった。

 空間に満たされている、冷たさは表現の方法として片づけられるものではなかった。


 実際に、まぎれもなく現実において、ルーフ等の肌は確かな冷たさに晒されている。

 寒さ、と言い換えるべきなのか、ルーフはそれすらも上手く判断できないでいる。


 気温だとか、希少の変化に基づいた自然現象とも思えそうになかったのだ。

 冷たさは強烈で、一種の暴力性を含んでいる。


 いきなり肌が、細胞に満たされた水分が全て凍りついてしまいそうな、分かりやすい恐ろしさが存在している訳ではなかった。


 ただ、まるで暖かい部屋の中から冬の曇天の下に、たった独りで追い出されたかのような。

 数十秒、数分であるのならば耐えられる。

 だが、いつの間にか境界を越えた途端に、あっという間に意識を継続する神経、細胞が冷たさの中でゆるやかに生命を凍りつかせる。


 そんな冷たさが、アパートの一室を支配し尽くしていた。


「寒い…………」


 車椅子の上で、ルーフが身をちぢこませるように呟いている。


 そう言いながらルーフは実際に腕を、胸の少し下の辺りで組み合わせるようにしている。

 自分の肉と肉の間、皮膚の密着によって温度を自発的に発生させようとしていた。


 寒そうにして手いる少年の視界、その左側でハリが簡単な同意をしている。


「そうですねえ、まるで真冬のような気温変化です」


 言葉の通りの意味を受け止めるとして、どうやらこの寒さが自分一人だけに限定された変化ではないことを、ルーフは暗に把握している。


 ハリと、おそらくエミルも、部屋全体を支配する冷たさを体に実感している。


 その中で、彼らはそれでもなお、持ち合せた意識をさらに別の部分へと進ませようとしているらしかった。


「どっちだ?」エミルが前を行くハリに問おうとする。


 だが、答えを待つよりも先に彼は予想だけを簡単に作っている。


「って、あー……検索なんてするまでもない、か」


 エミルがそう話している。

 男の台詞に、ハリがのびやかな返事だけをしていた。


「そうですね。ほら、目的のものはすぐそこにありましたよ」


 そう言いながら、ハリはアパートの中にある一室を左指でさし示していた。

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