アイスクリーム
ドンドン
聞くに堪えない醜い悲鳴が人間たちの耳をつんざく。
バールで硝子板を擦り抉ったらたらきっとこれと同じような音が作れそうな、本能的に不快感をもよおす雑音が水分の中に染み込む。
悲鳴が反響し異様なメロディーを奏でている中、キンシはそれに全く構うことなく握りしめている武器にさらなる力を込める。
しっかりと地面に踏ん張る両足の上、安定した上半身が怪物のガラス玉により深々と刃を食いこませる。
レッドアンバーと言う名の宝石と似たような色味の、魔法使いからは「揺り籠」と呼称されている器官に、いよいよ本格的な裂傷が生じ始める。
そこでキンシは一旦武器をガラス玉から引き抜く。
そこそこ深くガラス玉の肉に刺さっていた武器を、一切の容赦もなく力まかせに抜く。
普通の刃、例えば包丁などの素直な形をしていたならば、怪物にもまだ救いがあったのかもしれない。
しかしその武器の穂先、今怪物の体から引き抜かれた刃はいかにもあからさまに変な形をしていて、決して素直に肉を離すわけもなく。
ヒトデの腕のように伸びた刺々しい刃は、挿入時と同じくらいの凶暴さによって抜歯の際にもガラス玉の中身をズタズタに掻き乱した。
刃が失われ残された空洞から艶々と黒々しく、ほんのり赤い体液が掘り起こされた温泉のように溢れ出てくる。
どぷり、どぷり、と溢れ流れる水分が皮の上を伝い地面まで落下していく。
怪物は相変わらずうるさく悲鳴をあげていた。
痛覚によって凶暴呼び覚まされた感覚が、その時点でようやく三本の足に冷静さを取り戻してまともに体を支えられるようになっていた。
ほんの短い間、怪物は傷ついたガラス玉でキンシを見下ろす。
その視線にいか様な、どの様な感情が込められていたのか最早知る由もない。
だがしかし、間違いなく確信が持てるとすれば肯定的で好意的で楽観的なことはほぼ確実に、一ピコだって考えていなかっただろう、
それだけは自信を持っていうことが出来そうだ。
まあ、そんなことはどうでもいい事だけれど。
怪物が大きく口を開いた。
悲鳴が出ているのかいないのか、それはもうどうでもいい。
もしかしたら喉の奥の方に少年のスニーカーが覗いていたかもしれないが、それも割とどうでもいい事だった。
キンシは三度武器を強く握りしめる。
腕の筋肉が緊張し膨張し、隆起する。
皮膚の下、肉の合間を熱い血液が激流よりも早く流れる。
刃物が輝いた。
キンシは叫ぶ。
「おおおおおおおお!」
雄叫び、その音声の中で意識を腕に武器に、怪物を攻撃するために使うありとあらゆる物体に注ぎ込む。
集中、集中!
そして、
「さようなら」
その言葉だけを体と脳からは少し離れた場所で呟く。
そして渾身の、最後の祈りと力を込めて武器をガラス玉に深々と打ち付けた。
飴玉を歯で砕いたかのような、
フライドチキンの骨を噛み砕いたかのような、
梅干しの種を口の中で噛み潰したかのような。
バキンボキンと、破壊の音が傷口を中心に広がる。
辛うじて形を保とうと頑張っていたガラス玉は、その一撃によってとうとう崩壊を開始した。
うっかり地面に落としてしまった卵のように、一つの決定的な破壊によって「揺り籠」と言う名を持つ巨大ガラス玉はバラバラに砕ける。
一定の所、最早修正も効かない所までひび割れが蹂躙すると、激しい破裂音が一つ。
固形であったはずのガラス玉は融解し、ゲリラ豪雨の如き多量の赤黒い体液を周辺に撒き散らしながら、ついにはその個体を保てなくなっていった。
心臓でもあり脳である、あるいは眼球なのかもしれない。
とにかく重要な生命線に位置する器官を、これでもかと言うほどに破壊された怪物にそれ以上の思考を抱くことは不可能だった。
暗闇、彼にはもう暗闇しかなく、あとは静かに眠るだけ。
意志のある動力を失った三本の足は、だらんと弛緩して肉体を支えることを停止した。
怪物の巨体が、それまであった強大さを急激に消失しつつ地面に倒れ込む。
キンシは打ち付けた長い武器をそのままに、手を離して倒壊する怪物の体へ足をかけて身を乗り出した。
左腕をガラス玉へと伸ばし、今しがた自分が開けたばかりの割れ目に指を刺し入れる。
もうすでに固形とは呼べず、熱せられたゼラチンのような柔らかさになっている内部をクチャクチャ、グチャグチャと掻き乱す。
急速に温度を失いつつある中身からあるものを探すために、それまで以上の集中力を腕の感覚へと注ぐ。
そして、ついに目的のものを発見することに成功した。
手袋越しの指先に伝わる、ふわふわとしていそうな体毛の感触を絶対に逃さんがために、キンシはさらに怪物の死体へ自らの体を食いこませる。
滲出を止めない体液によって着ている衣服は濡れそぼり、髪の毛には消費期限をこえた刺身のような臭いが染み込み、顔面に降りかかった体液が皮膚に不可思議な模様を描いて滴らせていった。
ガラス玉の中身、そこに収められていた彼女をキンシは両手で掴み、再三の全力を込めて引っ張り上げる。
「よい、しょお!」
冷たくてぶよぶよと柔らかい、色素が沈殿している肉の割れ目から小さな幼女が吐き出された。
体中をベトベトとした粘液にまみれさせながらも、その体にはしっかりと生命の気配が残されているのをキンシは腕から感じ取っていた。
「けほ、」
幼女が、メイがそれまで閉ざされていた空気の気配を嗅いで、小さく一つ咳き込んだ。
小気味良いリズムです。




