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問題文に唾を吐きつける

 魔術師の片方、エミルと言う名前の男は別の魔術師の話を聞いている。


 聞いて、


「おお……それはなんとも」


 少しだけ驚いたようにしている。

 わずかに目を見開くと、男の深い青色の虹彩が雨雲にすかされた午前中の光を反射していた。


 開いた目はすぐに元の形に戻される。

 エミルは平常の表情の中で、情報を伝えてくれた魔術師に簡単な礼を伝えている。


「報告、ありがとう」


「ええ、よろしくお願いたします」


 魔術師は幾分年下と思わしきエミルに敬語を使いながら、足早に現場へと戻っていった。


「……」


 去り際であろうとも彼は目線を動かしていた。

 むしろこの場から離れるが故に、魔術師は最後の仕上げのように視線をルーフと言う少年の方に向けていた。


「…………」


 人の目が見ている。

 それを、ルーフは眼球を使って見返していた。


  見つめ合った、とまではゆかずとも、しばしの間だけ視線が交わった。

 そのすぐ後に線と点は解消され、後には何も残らなかったそしても、結合の気配は確かに意識の内に残されようとしていた。


 ちょっとした不快感。

 長袖が水に濡れた程度のそれをルーフが噛み潰そうとしている。


 すると、そこにエミルの声が少年の耳元に届けられていた。


「悪いが少年、今回の事はどうやらオレが目測していた以上に、異常さがヤバいそうだ」


 エミルはそう言いながら、実際に眉尻を下げるような表情を作ってみせている。


 少年に対する申しわけなさを伝えたかったらしい。

 だが、しかしながらそのように感情表現をなされたところで、ルーフはどうにもリアクションに困るだけでしかなかった。


「やばいって、具体的にどうのこうのやばいのか、俺にはサッパリ分からねえんだが…………?」


 意味不明をこれ以上引き延ばすつもりもなく、ルーフは今更ながらにも何度目かの質問を魔術師の男に投げかけている。


「そもそも、ここで一体何が起きようとしているんだ? 俺は、ここで何をするために呼ばれたんだ──」


 溜め込んでいたものを放出するかのごとく、ルーフの口は勢いを帯びようとしていた。


 だが、少年がすべてを吐露するよりも、先んじてハリが実際の行動を起こしていた。


「まあまあ、まあ、です。色々とくえすちょんするよりも、証拠を早くのちょっぱや、の方が先決ですよ」


 ハリはひどくオリジナリティの在りすぎる慣用句を並べ立てつつ、その身をサッとルーフの後方へと回している。


 そしてそのまま、両の指でルーフの使用している車椅子のハンドルを握りしめ、車輪の操作権限を我が物にしてしまっていた。


「さあ、レッツゴーです」


「え? あ、ちょっ……おい!」


 勝手に自分の体が運ばれようとしている。

 ルーフはまず最初にその事について不快感を覚えようとした。


 だが、どういう事なのかそれすらもままならないでいる。

 というのも、連行されているこの状況でありながら、ルーフは自分の体がとてもスムーズに運ばれている感覚を身をもって体験しているのであった。


 有り体にいえば、ハリはとても車椅子の操作が上手かったのである。


 それこそ、古城という名の収容施設にてしばしの訓練期間を経たルーフであっても、いや、むしろそうであるからこそ感覚はより鮮明になる。

 ルーフは自分の体にしばし忘れていた浮遊感、そして自由度を肌に感じながら、同時に一つの予想を速やかに組み立てている。


 そうして、その内容を実際に言葉にして後ろにいるハリに投げかける。


「ずいぶんと手慣れているな」


 後ろを振り向くことをせずに、ルーフは前方を向いたままで唇を動かしている。

 眼前には、早くもささやかな段差など等々のゆるやかな障害が幾つも散見できていた。


「もしかして、コレの世話になったことが何度もあるんか?」


 車輪が段差をできる限り、可能な限り回避する。

 滑らかルートの探索に、その速度にルーフは質問文への確信をリアルタイムで増幅させていく。


 少年がささいな確信の中で想像だけ巡らせている。

 思考に重なり合わせるようにして、ハリが彼の赤みを帯びた癖毛の後頭部に返事をしていた。


「そうですねえ、もうずいぶん前のことになりますが、ボクもこう言ったことをよく人にやってもらってたんです。その参考、真似事にすぎませんよ」


 言いながら、おそらくハリはその深い緑色をした瞳で遠くを見るような視線を、ここではない何処かに向けていたのだろう。


 そんな風にしている。

 その間にすでにルーフの体は難なく障害を乗り越え、ついには「現場」の真ん前まで辿り着かされていたのであった。


 到着した、そこでもルーフは幾つかの視線を浴びせられることになる。


「あれは……」だとか、「ウワサの……?」などの、複数のささやき声がルーフの聴覚器官を刺激する。


 魔術師たちのヒソヒソ話。

 ルーフはあえてそのどれもに無視を意識的に決め込む。


 どうせ碌なことは思われていない、そう自分にいかせる。

 そうして、せっかくの機会であるからと、自分の方でも観察眼を強く稼働させることにしていた。


 目線を左から右に、順番に移す。

 ざっと数えて、現場に集まった魔術師は十数人ほどいるようであった。


 年齢、性別、あるいは種類などなど。

 およそ人間社会において適用されている区分で考えたとして、しかしながらルーフは魔術らの姿に共通性を見出すことは出来そうになかった。


 ルーフの故郷では身体に何の特徴も宿していない、いわゆるN型と呼ばれる人間の種類が多かったように思われる。


 それを踏まえると、鳥のような春日(かすか)であったり犬のような浪音(ろうね)であったり、様々な形をしている人間がこんなにも集まっている。

 その時点で、ルーフにはこの場所は目新しく、そしてどうしようもなくアウェイな気分を抱かせるものがあった。


 そんな感じの魔術師たちは、最初の方こそルーフに好奇心を含めた視線を集中させていた。

 とは言うものの、それは全体的にはごく限られた短い期間の出来事でしかなかった。


 彼らは各々に注目をささげた後、意識はすぐさま目の前の問題、自らに与えられた仕事に関する事柄に集注点を戻している。


 ルーフよりも、怪しい少年よりも、今この場所には意識しなければならない事象が現れようとしている。

 そのことを、ルーフは魔術師たちの動作から無意識的に把握していた。


 何が此処に、この場所に現れようとしているのだろうか。

 少なくとも、自分よりかは現状危険度が高いものであると、そう考えられる。


「…………」


 怯えるべきだったのだろう、そう考えている時点でルーフは自らの無感情さを俯瞰的に眺めていた。


 そんなルーフの右隣から、前へ、エミルの背中が魔術師たちの一群へと足を進めていた。


「すまないが、ちょっと今回は事情を変えて……──」


 何ごとかを、エミルは今度は自分よりはそれなりに年齢を重ねてきたであろう風体の、中年男性の魔術石に相談を持ちかけている。


 エミルに話しかけられた中年の魔術師は、軽く日に焼けた顔に僅かながらの困惑を、そして再び目線をルーフの方に向ける。


 そしてすぐに、特に迷う素振りもなく、それどころか軽く諦めたかのような所作で同意と思わしき態度をエミルに作ってみせていた。


 もしかするとその中年男性が、この現場の責任を持つ担当だったのかもしれない。

 ルーフが光景の中で想像を作っていると、エミルが真っ直ぐ少年の方に歩み寄ってきている。


 近くに立って、エミルはルーフに快活そうな笑みを向ける。


「いちおう現場の許可はもらった、ので、早速見学実習と行こうか」


 この時点ですでに面倒事のあらかたが片付いたと、エミルはそう言わんばかりの爽やかさを表現している。


 魔術師たちが知らないところで、知らないことを勝手に進めようとしている。


 当然のことながら、ルーフは戸惑いを見せていた。


「見学? 実習って何なんだよ」


 質問文を作っている。

 だが、それは充分に受理されることをしなかった。


「まあまあ、まあ、です」少年の質問にまたしてもハリが返事を用意している。


「とりあえず、ものを自分の目で見ることです。百聞はぐりんぷすに如かず、ですよ王様」


 ハリはルーフのことを意味する表現を口にしながら、その足と手で少年をアパートの扉の前まで運んでいる。


 そこはすでに境界線、キープアウトの黄色いビニールテープの内側に含まれていた。


 立ち入り禁止の中身に足を踏み入れた。

 罪悪感が肌を指す感覚もそこそこに、ルーフはついに問題とされるアパートの一室を目の前にしていた。


「先ほどの、有志の方々からの報告の、続きなんですが」


 車椅子のハンドルから手を離した、ハリがルーフの視界の中に移動しながら話をしている。


「プランクトンの増殖は、どうやらこの部屋から起因してるものと、彼らはそう判断したようなのです」


 古城に通報された内容、あらましを簡素に伝える。


 そしてハリは話を一旦区切り、ルーフの方に微笑みのような目線をひとつ向けている。


「ところで王様、ここで一つくえすちょんです」


「? 何だ」


 ルーフが特に抵抗もなく質問を受け入れている。

 そこにハリは水滴を垂らすように疑問符を加えた。


花虫(はなむし)を含んだプランクトン、浮遊生物の群が集合をする。その要因の一つとして考えられる礼は何が考えられると思いますか?」


 まるで教育機関の試験問題のような、そんな内容をハリはルーフに差し向けている。


「そんなの…………」


 迷う必要性を感じられなかった、ルーフがすぐに答えを舌先に用意しようとしていた。


 だが、少年が実際に言葉を用意するよりも先に、ハリが決まりきったかのような否定文をひとつ。


「あ、ちなみに怪物は今回あまり関係がないので、選択肢から除外しますね」


「ん、ええ…………?」


 言いかけた言葉を咄嗟に飲み込む、ルーフは喉元におぼえた飴玉一粒程度の圧迫感を咄嗟にやり過ごす。


 少なからずルーフにとっては最有力とされていた選択肢が、是非もなく、あっけなく一方的に潰された。


 事実に不満を抱こうとした。

 だが不合理に熱を覚えるよりも先に、ルーフの意識は明確なイメージを一個ほど作成していた。


 怪物に関する事象。

 怪物、それ以外に関連する自傷。


 今のところ、現在の時間でルーフが知り得ている情報の中で、条件に一致する言葉は少なかった。


 数少ない、貴重な宝石のように掛け替えのない情報と言葉。

 ルーフは選ぶ必要も無いほどには、すぐに用意することが出来てしまえていた。

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