カッコつけて無理をしない方がいい
ひょんなところから花が咲いた。
何もないところから、空中、虚空に。
いきなり?
そんな、いかにもな唐突さを演出したい所ではあった。
しかしながらその白い花は、一応ながら予定調和の内に含まれている出来事でしなかった。
白い花はどうやら煙によって構成されているらしく、その煙はトゥーイの手の中にある煙草を発生源としていた。
トゥーイは煙草を手にした右手を前に、赤い熱がたゆたう先端を前に突き出しながら、閉じていた唇をそっと開いている。
開かれた口、肉の隙間、湿った暗闇から青年の肉声が発せられている。
「…………、あ、aaa-a-あーa」
蝶番が軋むそれかと錯覚しそうになる、
青年のすぐ後ろでその声を聞いていた、メイと言う名前の魔女は一瞬それが彼のものであると気付くことができなかった。
いや、それ以前に、唇から吐き出されたそれが人間ないし、生き物から発せられたものであるかどうかさえ、魔女は疑わずにはいられないでいた。
およそ人に等しいとされるとは思えそうにない雑音。
しかして、それ間違いなく、紛うことなく青年の身体から発せられた音声であった。
幾らかの発声練習……、と思わしき呼吸音を繰り返した後、トゥーイは煙草を片手に軽く振り向いている。
「drh,drh?」
その紫水晶のような色をした瞳は、どうやらキンシの方に差し向けられているようであった。
トゥーイは口を使いながら、キンシと言う名前の魔法少女にある事を頼んでいる。
「uj56 , 6d5wh;なえt」
所々それらしい言語体系を有しているような気配を見せていながら、しかしてその認識はすぐさま錯覚にすぎないと思い知らされる。
そんな繰り返しを瞬時に幾つも折り重ねるような、そんな響きを持っている。
聞いたことも見たことも、当然のことながら読んだことも無いであろう、不思議で奇妙な言葉。
そんな感じのものを使いながら、トゥーイは自分の近くにいる魔法少女に何か、頼みごとをしているようであった。
青年の紫色をした瞳がジッと見つめている。
彼の視線の先で魔法少女は、キンシはうなずきをまず簡単に返している。
「はいはい、名前ですね、ちょっとお待ちください……」
そんなことを言いながら、キンシは右手へ一時的に預けていた武器を左指へと持ち替えている。
長い槍のような形をした銀色の武器。
キンシはそれを左の指に握りしめる。
少しの空気の変化の後に、武器はかすかな発光の中でその大きさを変化させている。
氷の粒がほどけるように、槍は小さくなっていく。
キンシの身長ほどの大きさと長さがあったそれは、瞬く間に少女の手のひらにすっぽりと収まるほどのサイズへと変わっていった。
小さくなった、それは一本の筆記用具と大体同じほどの大きさがあった。
魔法の道具、一本のペンを握りしめている。
キンシはそれを左手に、そして次に右の手の平をそっと上に開いている。
また空気が流れる、水に触れたかのような微かな音の後、右手の上には一冊の本が発現させられていた。
古い本のようだった。
ダークブラウンの硬い表紙には、金色に輝く装飾がきめ細やかに刻まれている。
頑丈そうな装丁が為されている、しかし丈夫な装備もすでに所々擦り切れてほつれが見てとれる。
人の手に触れてから、かなりの年月と回数を経てきたであろう、そんな想像を抱かせるほどには古ぼけた本であった。
キンシはペンを握ったままの手で、本のページをぱらら、とめくる。
少女の手つきは慣れたものであった。
実際その本にはキンシが個人的に張りつけたと思わしき色とりどりの付箋が、日焼けして茶色くなったページの隙間から顔を覗かせていた。
「えーっと、どこだったかな……?」
キンシはもそもそとした独り言を口にしながら、付箋を頼りにしつつ、ページのとある部分に目線をとめていた。
「ああ、見つけました! この方のお名前は──」
キンシはペンで本のページを固定しながら、そこに記載されている内容を口にしている。
たしかstelvioだとか、どこかの知らない地名のような名前のような気がする。
魔法少女は名前を口にしながら、その顔はまっすぐと怪物の肉体に固定されていた。
少女が口にしたな魔を耳にした、トゥーイは頭部に生えている白い、犬のような聴覚器官をピクリと上に動かしている。
「c4t,3りts4u」
礼の言葉と思わしき何かを口にしながらトゥーイは視線を前に、怪物の肉体が落ちているところ、その上に咲いている煙の花の方へと戻している。
名前を知った、把握したトゥーイは右手にある煙草をつい、と右に少し傾けている。
そうすることによって、白い花を中心に密集していた煙に新たな動きと変化が起き始めていた。
塊の左右両側に、二本の線のようなものが縦に生み出されようとしている。
二本の筋は花と同じく薄い白色をしていて、当然のことのように煙によって形成されているものであるらしかった。
しかし、その二本は花よりかは幾らか現実味を強くしている。
もしかすると実際に手で触れることができるのではないか、そんな期待を抱かせる質感をを有していた。
薄い板のような、奇妙な形をした白い板が怪物の両側へ、右と左で対になるように地面へと刺しこまれている。
サックリと直接挿入されたかのように見える。
しかし性質は煙でしかないため、地面へ実際に穴を穿った訳ではなかった。
二本の線と、トゥーイが一人。
その中心に怪物の肉が転がり、そしてその上に白い花が咲いている。
トゥーイが手を、携えているタバコの火を下に向けている。
手の動きに合わせて、花の底面が柔らかく怪物の肉を包み込んでいた。
花托から子房にあたる部分がぱっくりと開かれている。
開け放たれた口の中へ肉が吸い込まれる。
花の中心に怪物の肉が飲み込まれた。
膨らみは他の要素を圧迫し、花弁のような細やかさはすぐさま跡形も無く霧散している。
花弁が散った、あとに残されたのは巾着袋のようにふっくらとした丸みだけであった。
郵便ポストほどの大きさになるまでまとめられた。
それを眺めていた、ハリと言う名前の魔法使いが感嘆の声を発している。
「いい感じです、相変わらず手際が早くて良いですね」
ハリはそんな風にトゥーイに向けて賞賛の言葉を贈りながら、その両手はピッタリと合わせられている。
若い男性魔法使いの言葉を首の後ろの辺りに聞き取りながら、メイは目線を左横へと移している。
「ねえキンシちゃん」
メイが質問をしている。
「これって、つまりのところ……魔法のようなものの一種なのよね?」
そっと耳打ちをしようとしている。
幼い魔女のささやき声を、キンシは三角形をした子猫のような聴覚器官で受け止めている。
「そうです、その通りですお嬢さん」
キンシは少しだけ腰を屈めながら、自分よりも背の低い魔女と目線を合わせるようにしている。
しかしてその新緑のような色をした右目は、青年の手によって繰り広げられている魔的な行為へと固定され続けていた。
「正確には魔法と言うよりかは、あれは魔術に近しいですね、お嬢さん」
まるで詩を読み上げるかのようにして、キンシはメイに行為についての説明を丁寧に行おうとしている。
「魔法のように、にゅあんす、や、ふぃーりんぐ、に任せるものと、あれとではそもそもの手順? のようなものが異なっているのですよ、お嬢さん」
キンシは明白に使い慣れていない言葉を、あたかも故郷の友人のようななれなれしさで使いこなそうとしている。
「ふうん、というと?」
魔法少女の言葉に関する違和感は多々あれども、メイはあえて一つずつ指摘をすることをしなかった。
ある程度、適切な無視と無関心のなか。今はとりあえず、魔法少女の語り口に身をゆだねておくことにしていた。
話を聞いてくれる幼い魔女の紅い瞳と、魔法少女の緑色をした虹彩がしばしのあいだ触れ合っている。
目線を合わせる、そこから動きを見せたのはキンシの方が先であった。
「あれはキチンとした手順とルールに基づいるのですよ。本当はもっとちゃんとした儀礼だとか、儀式だとかを踏むべきなのですけれど……」
そんなことを言っている、キンシの表情は少しばかり残念そうな気配をにじませていた。
「例によって手間暇をかけられる時間も余裕も、空間も許されていません」
事実を並べるように、キンシは身につけている眼鏡の丸っこいレンズの向こうに、周辺の光景を滑らせるようにしている。
「なので、今はせめて僕たちだけでも、より善き眠りを願っておきましょう」
そんなことを言いながら、キンシはトゥーイの背後の辺りでそっと両の手のひらを密着させている。
右と左のそれぞれの皮膚を合わせている。
それはハリと同じような動作であり、どうやらそれが魔法使いが、怪物に送るべき祈りの一つの形であるらしかった。
メイも周りに合わせるようにして、手と手を触れ合せている。
「これって、弔いになるのかしら」
何気なく呟いた独りごと。
もちろん誰かの返事を期待してなどいなかった。
しかし声は、静けさの中で魔法使いの耳に届けられていた。
「これしか、僕にはできないので」
子供の声がそう答えている。
声が残響となる頃、その時点で白い巾着は幼児用の三輪車ほどにサイズをせばめられていた。
「ちっちゃくなっちゃった!」
声の正体を探るよりも、それ以上にメイが青年の魔術によって生み出された一つの塊に、驚きの声を上げている。
元々が軽自動車ほどの面積があったものが、その気にさえなればメイの細腕でも抱え上げられそうなほどに縮小されてしまっていた。
しかしながら、変化におどいているのは魔女ひとりだけであった。
一方、魔法使いらは何を話しているかといえば。
「結構しぼんでしまいましたね」
少し残念そうに話している、キンシにハリがかるく笑いかけていた。
「体ばっかりが広いわ、骨と皮ばっかりで、肉が全然なさそうでしたからね」
魔法使いらは手を合わせながら、皮算用のような話をしている。
それはまるで、この煙が密集したひと塊から何かしらの収穫を期待しているような素振りであった。
事実、魔術は紛れもなく報酬を得るための手段でもあるらしかった。
同業者である彼らの声を聴きながら、トゥーイは己が手で作り上げたひと塊を左手に手繰り寄せる。
「…………」
少しの間、無言でそれを見守る。
ふわふわと、夏の綿雲を空から切り取ったかのような、白色を左の手の平の上に漂わせる。
そして。




