ちょっとした思春期の帰結
寄ってたかって、キンシの左目に集まってきているそれら。
それらが、いわゆる所のプランクトンのような怪物の仲間であることを、メイは割かしすぐに理解していた。
メイが、幼い魔女が白くて細い指で少女の顔をパッパとはらっている。
しかしながら、キンシの方は魔女の気遣いもそこそこに、もっと優先すべき事項を強く意識しようとしていた。
「このままだとプランクトンに、せっかく作った死体が全部食べられてしまいます」
キンシがそうして慌てようとしている。
魔法少女が危惧しているとおりに、いま怪物の死体の周りに集まってきているプランクトン……、すなわち弱小の怪物らは、その死肉を目当てとしているらしかった
「急いで収穫をしなければ」
「収穫って……」
サッと立ち上がったキンシの目線を追いかけるようにして、メイが少女に疑問を投げかけようとする。
「それって、今朝にトゥがつかったのと、おなじようなものなのかしら?」
傾げた首を元の位置にもどしながら、メイがまだ鮮度の残っている記憶を瞳の奥に思い浮かべている。
そうして、視線を青年の方に向けようとしている。
その時点ですでに彼は、トゥーイはその身を怪物の死体の真ん前まで移動させていた。
「…………」
唇は静かに閉じられている。
そうしていると、彼の右頬を深々と断絶している傷跡がよく目だっていた。
トゥーイは沈黙だけをしている。
それは受動的なものとは異なり、彼はあくまでも能動的に自らへ静けさを維持しているようであった。
「?」
何をするつもりなのだろうか。
メイがトゥーイの行動をより子細に観察しようと、足を一歩二歩と進めようとした。
だが、幼い魔女の歩みはキンシからそっと伸ばされた腕によって阻まれていた。
「……」
キンシは、魔法少女は人差し指で唇を抑えながら、わずかばかりの笑みだけを口元に浮かべている。
とりあえずは、何も手を触れることなく見守ることを求められている。
そういった旨のことを、少女と青年は無言のうちに示し合わせているようであった。
静けさの中で、怪物の死体の目の前に立っていたトゥーイの体が下に沈み込んでいる。
彼は両側の膝を地面にくっ付けている。
跪くような格好を作っている。
怪物の前に座り込みながら、トゥーイは和服の懐からおもむろに一枚の紙を取り出している。
折りたたまれた白い紙。
トゥーイはそれを指で広げている。
大人らしく硬く骨ばった指が、柔らかくて薄い白色を丁寧に展開させている。
広げられた、それはA4サイズの印刷紙と同じような大きさを持っていた。
紙に模様が印刷されていた。
模様は円形をした、それはどうやら魔法陣であるらしかった。
トゥーイの手の中にあるものを、キンシが簡単に説明している。
「あらかじめ作っておいたものを、プリントアウトしてあるそうです」
「あらかじめ作るって、魔法陣を?」
メイがかるく驚きを見せている。
そんな、食肉を扱うような要領で魔法陣が用意できるものなのだろうか。
魔女は疑問に思った。
だが、そのあたりの事情に関しては、彼女の専門外であるためこれ以上の追及はしなかった。
それに、彼女らが何を思おうとも、青年の動作はお構いなしに続行されていた。
トゥーイは紙に印刷された魔法陣を地面においている。
ちょうど印刷された色合いが天を向くように、彼は陣を死体の前に差し出すようにしている。
地面の上に置かれた、やがて一枚の紙であったはずのそれにわずかな変化が表れていた。
紙が音も無く、黒く変色し始める。
一見して劣化のように見えなくもないそれが、魔法陣が地面の中に吸い取られ、模様を地表に写し取った事。
その事に気付くことができたのは、単に紙の上に描かれていたものが、そのまま地面の上に移動してい他からであった。
地面に魔方陣が吸い込まれていった。
それを視界の下に認めながら、トゥーイは刻みつけられたその中心に少しだけ指を滑らせている。
白い指、骨格をそのまま浮かび上がらせている末端が、模様を映し出した表面を軽く撫でている。
トゥーイは魔法陣の具合を、目で簡単に確認している。
その後に彼はすばやく腰の辺りに手を伸ばしていた。
着用している和服、バスローブのような作りをしている布は体の中心で固定されている。
広く一般的な布製の帯のとは異なる、幅広の暗い色をした革製のベルトのようなもので青年の和服はまとめられていた。
右の指先がベルトへと伸ばされ、そこに引っ掛けられているシンプルで頑丈そうな造りをしたポーチに触れている。
スナップボタンのかたい結束を片手でパチン、と開放する。
指先でポーチの中身を探る、やがて先端は小さな紙箱を二つほど見つけ出していた。
暗がりから取り出された、紙箱の一つには目が覚めるような赤のカラーがプリントされていた。
リボンかしら? とメイは紙箱の赤色を見て、瞬間的にそう思い込もうとしていた。
しかしその見解も、次々と絶え間なく更新されていく現実によって瞬く間に塗り替えられている。
青年の、トゥーイの片手に握られているそれは煙草の紙箱であった。
メイがリボンと見紛った赤色は、白色と赤色が三角屋根のような境界線で隣り合っている、その色合いによって生み出されている形でしかなかった。
トゥーイはその赤色が含まれた表紙の紙箱から、細い一本の煙草を摘まみ取っている。
パルプ紙のような白色の紙を筒状に巻いて、内側に乾燥した煙草の葉をみっしりと詰め込んたもの。
まだ火のついていないものをトゥーイはほんの一拍考えた後、口元へと運んでいる。
乾いた紙の筒を唇で挟んで固定しておきながら、トゥーイの指はもう一つポーチから取り出した紙箱へと意識を集中させている。
それは煙草の箱よりさらにサイズを小さいものとしている。
色鮮やかなカラーリングを細やかに使用して、弓の的のようなイラストをかたどっている。
地味かそうでないかと問われれば、間違いなく後者を選べる。色合いとしては派手なデザインが為されている。
そのはずなのに、どうしてなのか、そこはかとなくぼやけているような印象も抱かせる。
トゥーイはそれを左の指、片方だけでカシャッとスライドさせるようにして開けている。
指の動きに合わせて、小箱の中に込められていた内容物が雑に振動をしている。
「マッチだわ」
メイが中身について話をしている。
「燐寸ですね」
魔女の呟き返事をするように、キンシが同じような台詞を舌の上に転がしている。
幼い魔女と魔法少女は、気がつけばトゥーイのすぐ後ろ、背後まで体を寄せ合うようにして近付いてきていた。
ささやかな観衆に見守られている。
トゥーイは速やかな手つきでマッチに発火を、そして加えていた煙草の先端を赤い炎でチロリチロリと舐めとっている。
紙の筒が赤く燃えだした。
途端に煙が細く空間に伸び始めている。
パルプ紙や、茶色く乾燥した葉が燃える、炎によって生まれた白い煙が上へ上へと立ち昇る。
白色が空間に溶ける、その様子をメイが青年の背中越しに見上げている。
「まあ……、タバコが燃えているとこなんて、ひさしぶりに見たわ……」
まるで牛乳の一滴を水溜まりにこぼしたかのような、そんな揺らめきの中。
メイが意識の内側、心のなかに一人の男性を思い出そうとしていた。
だが、魔女が確かなイメージを肌に感じるまでにはいたれなかった。
「はっくしゅんっ!!」
盛大にくしゃみをしていたのはキンシの体であった。
少女と身を寄せ合うようにしていたメイは、音と振動に合わせて肌に生えている羽毛をブワワッ、と膨らませている。
「失礼しました……」
キンシが簡素な謝罪と共に、鼻孔に滲みでた粘液を何度もすすりあげている。
「すみません、どうにも僕はこのにおいが苦手なものでして……」
ズビズビと鼻を鳴らしながら、キンシは形の小さな鼻を左手でゴシゴシと雑に擦っている。
溢れる粘膜、煙の被害は鼻腔だけではなく、右の目が赤々と充血をしていた。
あからさまにアレルギー反応が発動している。
少女は本懐ならば、皮膚の内側の粘膜を直に爪でガリガリと掻きむしりたいと願っていそうである。
そんな魔法少女の健康状態の変化に、メイは一抹の不安を覚えていた。
「キンシちゃん、そんな乱暴にこすったら血がでちゃうわ……」
大げさに表現をしてみたものの、もしかすると、この魔法少女ならば本当に、現実で己の粘膜を傷つけることもいとわないのではないか。
不安に駆られる。
メイが慌てて少女の腕の動きを止めようとしている。
だが魔女が抑制を効かせようとした所で、少女と同じような音を発している影が彼女らの背後に近付いてきていた。
「まったくですよねえ、このにおい、嫌になってしまいますよ」
それはハリの声であった。
振り向くとそこには、キンシと同じくらいに目を充血させているハリの姿があった。
「こちとらダテに弱っちい免疫を持っていないんですから」
ハリはそんな風に文句を言いっている。
若い魔法使いの鼻の音を耳にしながら、キンシが同じような音を発しながら右の人差し指を上に向けている。
「でも、この煙のおかげでプランクトンの方々が近寄ってこなくなります」
そんな事をイイながら、鼻をすすりつつ、キンシは吸い込んだ空気と粘膜の勢いのままにトゥーイへ提案をしていた。
「ねえ? トゥーイさん、はやく子守唄をすませてしまいましょう」
キンシが、目を潤ませながら青年にそう急かしている。
祈りと、そう形容されている。
トゥーイは言われるまでもなく、その行為を引き続き継続させていた。
咥えていた煙の発生源を唇から外し、赤く燃える先端、白い煙を吐きだしている先っぽをそっと前につき出している。
煙は黙々と立ちのぼり、モクモクといした揺らめきは空間へと吸い込まれ続けている。
やがて視界を白色が薄く霞のように、霧のように包み込もうとしている。
と思っていたら、次の瞬間には魔法使いらの間を風が一つ吹いてきていた。
煙と風圧に毛先をもてあそばれ、メイが少しの間まぶたをキュッと閉じている。
そして、もう一度目を開ける。
するとそこには、一輪の巨大な花弁……のような何かしら。
おそらくは魔法か、あるいはそれに類する事象と考えられる。
「何かしら」が怪物の死体の上に覆いかぶさるようにして、カゲロウのように霞む白さを広々と展開させているのが見えていた。




