ああぜんぶは知らない
青年と少女が話し、確かめ合っている。
その様子を見て、ハリが少しだけ興味を持った風に近付いてきていた。
「なんのお話をなさってるんです?」
まるで世間話を持ち掛けるような気軽さで、ハリは後ろに手を組みながら、散歩中のご老人のような穏やかさを全身に演出している。
その様子をメイが追いかけるようにして観察している。
そうしていながら、彼女は実際に魔法使いたちの近くに白い体を運んでいる。
彼女は、魔女である彼女はハリの、魔法使いである彼の感情の変化にかるい驚きのようなものを覚えている。
つい先ほどまで、怪物を遠巻きに眺めている一般人に目を配っていた時まで、彼の表情にはどこか暗澹とした、触れ難い粘度らしきものが含まれていた。
かと思えば、こうして同業である青年と少女の元に近付いている頃には、存在していたはずの粘つきは跡形もなく消え去っている。
ハリはあくまでも自然体のままで、思うがまま。
とてもさわやかな面持ちで魔法少女たちと、そして彼女らが観察している怪物の死体を視界の下に認めている。
後ろからハリとメイの二人が近付いてくる、その気配をキンシと言う名前の魔法少女が感覚に認めている。
キンシは左手で怪物にめくり上げるように触れていながら、その薄い肉をさらに持ち上げている。
どうやら少女は怪物の下側、そこに生えている器官の様子を他者に見てもらおうとしているらしい。
決して軽いとは言えない、まだ肉の隙間に大量の血液を残し、ずっしりしっとりとした重さを残したままとなっている。
怪物のひれの一部を、キンシは片手のままでより上に持ち上げようとする。
そうすることによって、怪物の肉体に覆い隠されていた器官が外界の淡い光の下にさらされている。
メイがハリから目線を動かし、キンシが見せようとしているそれを見ている。
そして視覚に確認できるそれと、彼女の記憶の中にふくまれている情報がすぐさま組み合わされていった。
メイが見たままのこと、思ったままのことを口にする。
「それは、足かしら? すごく細いわね」
怪物に備わっていた機能を今更になって、殺した後に気付いた。
メイがその事実にそこはかとない虚しさと、わびしさのようなものを覚えている。
幼い魔女が言葉の後で唇をそっと閉じている。
その左隣で、ハリが魔女の白色をした頭頂部に解説のようなものを振りかけていた。
「正確には我々と同様、同意義において足とされる身体能力を彼らは有していないのですよ」
ハリは怪物についての話をしている。
それに耳を傾けている人が居るか、居ないかは関係なしに、彼の唇はまるで堰を切るように怪物のための言葉をスラスラと流していた。
「なんといっても彼らは空気中に含まれている「水」、すなわち魔力要素を媒介にして移動をしますからね、足なんて必要ないんです。全体的に流線型で柔らかい形をしているのは、我々の世界でいうところの魚類に似た性質を持っているのですよ」
普段の相手にリズム感を掴ませようとしない語りとは打って変わり、ハリはそれこそまさに水が溢れるかのように怪物についての知識を次々と用意している。
むしろ、会話相手の反応をことごとく無視しているという点においては、普段と同様とさえ考えられる。
およそ適切なコミュニケーション能力を発揮できているとは言えそうにない。
会話としての基本的な形すらも出来ていない。
しかしながら、若い魔法使いの言葉に返事をするようにして、言葉を用意している声が別の場所で発せられていた。
「歩行能力の喪失に関しては、その論だけで判断するにはいささか根拠が少ないと考えられる」
魔法使いの言葉に対して反論を用意しているのは、やはりなのか、魔法使い以外には考えられそうにない。
しかしながら、メイは疑問を抱いていた。
抱かずにはいられない、首を傾げながら声の正体を求めて目線を右に、左に動かす。
声は男性の、成人をこえて声変りをし終えた男性ならではの、低く掠れるような音色を持っている。
はて? ここにいくら男性の存在が居ただろうか?
メイは考えようとする。
魔法使いは、四名ほどしか用意できない。
そこから二名の女性を除外したとして、そうなると、メイは余計に不可解さを深めるしかなかった。
残された二人の内、限定された二つの中でメイは視線を上に向ける。
自分よりも背の高いものを、彼らを見ている。
魔女が、その紅色をした瞳を上に向けている。
鮮やかな色彩に、曇り空を通過した日の光が鏡のように反射されている。
彼女に見上げられている。
その先で、二つの内の片方が引き続き言葉を発していた。
「対象の生態に関しては依然として不明な点が多い。だが現時点で確認されていることの幾つかに、対象は人間の意識に強く影響されることが考えられる」
声の主は、やはりと言うべきなのか、考えるまでもなくハリのものではなかった。
ハリは話していなかった、彼は話を聞いていた。
彼の、青年の、トゥーイから発せられる言葉を聞いていた。
言葉はトゥーイによるものであった。
確かに電子的な震えなどから、声が青年の使用している発声補助装置によるものである事は、十二分にあり得ることではあった。
それに、相手側に返事の是非を求めようともしない部分は……。
と、そこまで考えておいて、メイはすでにその身をキンシの方へと寄せていた。
上に向けていた目線を下にして、メイは少女に問いかけようとする。
「ねえキンシちゃん」
魔女に名前を呼ばれた、キンシが受け答えをしている。
「なんですか、メイ……さん」
名前の部分でキンシは少しためらうような素振りを見せていたが、しかしその様子にメイが気付くことは無かった。
メイが質問を続ける。
「この、いまナナセさんとおしゃべりをしているのって、トゥ……なのよね?」
メイは声を潜めるようにして、キンシの方に向けていた目線を再び上へと戻している。
魔女の紅色をした目線に合わせるようにして、キンシも視点の位置を上にしている。
そこでは魔法使いの彼と、同じく魔法使いである青年が引き続き会話をしているのが見えていた。
「いえいえ、これはきちんとした根拠に基づいた主張、なんですよ」
そんな風にして反論を用意しているのはハリの声。
つい先程まで、水を吐き出すようにして話していたあの勢いは早くも失われつつある。
どうやら彼は突発的なテンションの降り上がりで語調が強くなり、そしてその状態は持続性を有しているものではない。
と、メイは分析をしそうになった所で、またしても彼女の頭上から男性の声が落とされてきていた。
「否定する。君の魔導としての経験値はまだ計測に値するもとは考えられない。根拠があまりにも薄すぎている、速やかに認可できるものではない」
若干のノイズを含ませていながらも、トゥーイは装置を使いながら滑らかに拒絶の意をハリへと唱えている。
会話を少しだけ聞いて、メイがもう一度キンシにささやきかける。
「……ふつう、ね」
それを聞いて、キンシが少しだけ不思議そうにしている。
「普通、とは?」
「だから、その……いつもよりかは言葉の使いかたがヘンじゃないって、ことよ」
いまいち要領を得ない魔法少女に、メイはついに堪えきれなくなったようにして、自身の抱いた違和感についての詳細な説明を加えていた。
「いつもはもっとこう、こわれかけのラヂオみたいじゃなかったかしら?」
メイは誰かに質問をするようにしている。
キンシに向けてではなく、本当はトゥーイ本人に確かめたい事項を、しかしながら彼女はそれを本人に伝える気力を持てないでいる。
ためらいを見せている幼い魔女。
彼女の様子を見て、キンシはそこでようやくひとつ合点と思わしき気配を瞳の中に浮かばせていた。
「なるほど」
短く言葉を吐きだす。
そしてもう少し赤い唇を動かす。
「やれやれ、ですね」
いかにも台詞っぽい雰囲気を出しながら、少女は一旦怪物の死体から体を離す。
そして指の先を青年の肉体、脇腹の辺りへと強く押し付ける。
完食を覚えた瞬間に、すでに彼は少女の行動をある程度察していた。
だが感知していたところで、この状況で彼が彼女の行動を静止出来るかどうかは、また別の問題であった。
指は止まらずに、圧迫を強める。
そのまま、ゆったりと蜂蜜が匙からこぼれ落ちるかのような速度で、少女の指が青年の脇腹を下から上へと撫でつけていた。
「! ッ…………」
しゃっくりのような音が、大きな体の内側から搾りだされていた。
ビクリ、とトゥーイが体を硬直させている。
そうすることで、当然のことながら彼は発声のための動作を否応なく中断させられることとなっていた。
麻布のような素材で織られた、バスローブのような形状の衣服の下。
皮膚を伝達した感触は一瞬で、次の時間では幽かな熱だけが煙草の残り香のように漂っている。
彼が目線を右下に、少女の顔がある方へと向けている。
そこにはいつもの無表情……、は存在していなかった。
「…………」
ジッと、トゥーイはキンシを見ている。
目を少しだけ細め、唇をキュッと横に結んでいる。
動きは僅かなもので、油断しているとすぐに見落としてしまいそうになる。
だが確かに動いていた。
トゥーイは拒否反応を露わにしながら、何事かをキンシに伝えようとしている。
だが、それよりも先にキンシが口を開いて、舌を動かしている。
「どうしたんです? ずいぶんと興奮していますね。ねえ、トゥーイさん、もしかして……道具が今この瞬間に、偶然になおったのですか?」
キンシは、相手にタイミングを計らせようとしない謎のリズムで、青年の言葉遣いに指摘をしている。
指摘をされた、青年の方はしばらく黙った後、
「いいえ」
いつもの電子的な音声のままで、短い受け答えだけをしている。
キンシはそれを聞いて、少しだけ残念そうにしていた。
あまり表情を動かさないままで、目線の向きをメイの方に戻している。
「どうやら、ちょっとした不具合が起きていたようです。……いえ? この場合は偶然の産物、と言うべきなのでしょうか」
「装置がなおった、というわけじゃないのね」
キンシとメイが確認をし合っている。
と、そこに同意を示してきたのはハリの声であった。
「なんだ、ボクはてっきり昔の要領で話していたものだから、ついつい、懐かしい気持ちに浸りそうになっていたんですけれども……」
ある程度語りを終えた後の静かさに、ハリはどことなく羞恥心めいたものを口元に浮かべている。
恥ずかしさが果たして自分に向けられたものなのか、あるいはそれ以外を対象としているかは、今のところは判別できそうになかった。




