笑って毒を馬鹿食いしよう
銀色に輝いている、一本の槍はその先端を細く薄く、鋭くとがらせている。
切っ先を下に向けた。
先端は真っ直ぐ目的の場所へ、怪物の一体、とある一つの個体へと差し向けられている。
銀色に輝く金属の槍を主軸に、その武器の持ち主であるキンシと言う名前の少女が、落ちゆく景色のさなかに身体をクルリと回転させている。
槍の柄の部分に腹部の真ん中を寄せ、円筒の硬い表面を蛇のようなヌルリとした軟体さで滑る。
そうして、速やかな動作の後にキンシの指の向きと、刃の方向性が同様のものへと変えられている。
何もない虚空の中で、キンシは地面の引力を中身に味わいながら、しかしてその姿勢を目的地に向けて固く定めようとしている。
顔の向き、目線を刃の向かう場所と同調させる。
頭から真っ逆さまに落ちていくような格好になりながら、キンシの体と槍はその影をほぼ完全に同様のものとしていた。
槍を一本携えた、魔法使いの少女の一線が空気を切り裂いていく。
雨の雫が一粒落ちるかのような、速度は目にも止まらぬ程の勢いを有している。
だが、それを水の一滴と同じものとして扱うべきかどうかは、首を傾げたくなる色あいであった。
武器の形と肉体の動きを限りなく同一のものとして保持していても、やはりそれは人間の行動の姿でしかない。
魔法少女はどこまでも人間らしく、その心をもって怪物の一つを自分の手で殺そうとしていた。
落ちていく、落ちていく。
ビュウビュウと、下から押し上げられるように風圧がキンシの体を強く打ちつけている。
強い風圧、しかしながらそれ以上に上から押しつぶすようにして重力が下へ、下へと少女の体を地面へと押しつぶそうとしている。
上か、下か、キンシは後者を選んでいた。
下へと落ちていく、少女の持つ槍が硬い物へとぶつかった。
それは怪物の頭。
空中庭園を襲っていた群れの内の一体。
その一体は、見た感じでは他の個体となんら変わりの無いものにしか見えなかった。
群れ全体をすでに視界に認めた人間にしてみれば、どこにも特別なことは見つけられそうにない。
とりたてて語るようなこともなさそうな、つまりはその個体は他と同じような、「普通」そうな怪物の一体としか呼べそうになかった。
だが、それでもキンシの槍の切っ先は間違いなくその個体を狙っていた。
そして、攻撃はとりあえずは無事に成功を収めていた。
硬い物が砕かれる音が響いた。
その後に、槍は怪物の胴体の中心へ刃を沈み込ませていた。
怪物の頭が衝撃によって硬直する。
どこが頭部なのかいまいち判別が付け辛い形状をしているが、おそらくは捕食器官と思わしき空洞が開かれている場所を人間における頭と判断すべきなのだろうか。
横に長い口はそこの見えない暗がりを柔らかい肉の隙間から覗かせ、歯の無い空洞は空中庭園の抗生物質をゆっくりと確実に食み続けていた。
行動そのものは群体における他の個体と共通しているため、やはりそこに特別性を見出すことは出来そうにない。
群れを成して捕食行為をしていた、怪物は上から唐突に訪れた衝撃にひと時の空白を許してしまっていた。
「??????//・・・・????」
意識……と、そう呼べるものがはたして怪物にあるかどうかは、残念ながらここにいる魔法使いたちの眼中には含まれていなかった。
いずれにしても、訪れた結果は一瞬の出来事でしかなかった。
それもそのはず、魔法少女が振り落とした槍の一閃は素早さにステータスを全振りした、ある種無謀とも言える必殺の一撃だった。
他の色々な要素を捨てていた、攻撃は今回においては無事に成功を収めていた。
それは同時に、少女の槍が怪物の心臓を一撃で破壊したことと同義であった。
怪物は、もはや悲鳴をあげることすらも出来ないでいた。
「--- ---- ----- --」
声とも鳴き声でもない、捕食器官から空気漏れのような音を吐きだしながら、怪物はその肉体から飛行能力を失おうとしていた。
落ちてくる怪物の体。
貫通したままの槍の切っ先が皮を破っている。
そのきらめきを下から見上げながら、落下してくるそれらにメイが慌てた声を発しようとしていた。
「ああ! 落ちてくるわ!」
メイは現状をただ言葉にしているだけとなっている。
それしか出来ないのはメイがこの状況、落ちてくる怪物の肉体に足して、槍を肉に食い込ませたままのキンシの対処を瞬時には考えられなかったからであった。
最悪命の心配をする必要はないとしても、このままだと無事では済まされないことは安易に想像できてしまえた。
メイが、幼い魔女が次の展開に不安を覚えている。
そんな彼女の隣で、ハリがなんて事もなさそうに口から息を吐いていた。
溜め息ほどに質量は含まれていない。呼吸をするついでのように、ハリは左の手を上にかざしている。
上に伸ばされた、腕はシャツの白い袖に大部分を隠されているため、肌をすべて確認することは出来ない。
袖の先からのぞく手の平だけが空気に晒されている。
たったそれだけの肌面積。
しかしメイはそれを見上げて、その場所に人間らしい皮膚や肉の温みが許されていないこと。
冷たさと透明さが、魔法少女の左腕に刻みつけられいる呪いと、やはりとてもよく似ていることを魔女が見ている。
彼女の視線の先、そこでハリは上にかざした指の先に意識を巡らせていた。
温かさと冷たさが触れ合い、空気に微かな流れが生まれる。
そうしていると、次の瞬間には彼の手の上には大きく広い膜のようなものが形成されているのが見えていた。
疑いようもなくメイはその水の幕がハリの魔法によるものである事を、言葉を必要とせずに察している。
指先に生み出した水の幕は、テーブルの上にこぼしたインクのように薄くまんべんなく広げられていった。
丸みを帯びた幕の中心に影が近付いてくる。
それは怪物の重さと、魔法少女の槍が放つ静かな輝きを有していた。
戦いは無事に終わった。
そのあたりで、当然のことながら魔法使いらはようやく、周辺の環境に目を配る余裕を作り始めていた。
「まったくもって、難儀ですね」
文句を言おうとしているのはハリの声であった。
ひとつの事柄を終えた達成感もそこそこに、彼は溜め息を吐きだしながら周辺へと目線を滑らせている。
「なにが、難儀なのですか?」
魔法使いの彼に質問をしているのは、同じく魔法使いであるキンシの声であった。
キンシは目線を左斜め上に、自分よりもいくらかは身長の高い先達の魔法使いの顔を見やっている。
魔法少女が不思議そうな目線を向けている。
曇り空を通過する日光の明るさに反応して、少女の瞳孔が縦に細く縮小されている。
黒い小さな空洞を目線の下に、ハリが少女の目を見ている。
陰りに反応して、ハリの瞳孔が横にまるく広がっていた。
ハリがキンシに笑いかけている。
「なにがって、ほら……アレですよ」
「アレ」
ハリの翡翠の色をした瞳が、ついと周辺の光景へと巡らされている。
キンシはそれを追いかけるようにして、戦闘の現場であった空間の外側に目を向けていた。
「人がいっぱいますね」
キンシが見たままのことを、特に表現に工夫を加えるでもなくそのまま言葉にしている。
少女の平坦な声を聞いて、ハリは大きく表情を動かしていた。
「その通り、まったくもって難儀、そして……」
キュッと眉間の辺りに力を込めてしわを作る
そうしていながら、彼はすぐに顔から力を抜いている。
「不快ですね……」
力を抜いた、リラックスをした様子で感情を言葉に表している。
ハリの顔見上げて、キンシは少しだけ言葉に迷っている。
「ええ、えっと……そうですね」
同意をすべきなのだろうと、安直な予想の中で少女は適当と思わしきワードを選択する。
「皆さんの関心が深いものになるのは、当然のことでしょう」
「うん、うん? うーん……」
簡単な同意で示し合せようとした。
しかしそれは上手くいかなかった。ハリが違和感に喉を小さく「ウルル」と鳴らしている。
「違うね、同音異義だね。ボクが言いたかったのは深いじゃなくて、不快……」
間違いを丁寧に訂正しようとして、しかしハリは「まあいいや……」とすぐに諦めていた。
「この獲物を殺したのは君だから、ここで一番エラいのは君一人だけなんですよ」
そんな風に、ハリは理屈っぽく納得をしようとしている。
彼の様子にキンシが頭上へ「?」を回している。
するとそこへ、メイの声が滑るように割りこんできていた。
「たしかにナナセさんの言うとおりだわ」
メイはハリのファミリーネームを呼びながら、その紅色の瞳を彼と同じように周辺へと滑らせている。
「さっきまでは気づかなかったけれど、ギャラリーがけっこうたくさん集まっていて……なんだか落ちつかないわ」
そう言いながら、メイは居心地を悪そうに白い羽毛をフワワッと膨らませている。
彼と彼女がそう言うように、魔法使いたちから少し離れた位置、怪物の死体が転がっている地点から少し離れた所。そこに、いくつかギャラリーが群れを成しているのが見てとれた。
「まったく、嫌になってしまいますよ」
ようやく一名の同意を得られた。
ハリは水を得たかのようにして、己の心情を隠すこともなく声に発している。
「あれだけの人間がいるのだから、一人くらいはボクたちを優しく助けてくれればいいものを」
どうやらハリは、周辺の市民の非協力具合に不満を抱いているらしい。
不満を口にしていながら、しかしてハリはすぐに自身の意見に関する見解を自発的に用意している。
「まあ、誰もかれも、人喰い怪物のことなんかに関わり合いたくないのでしょうけれども」
「……」
ハリが意味深にそう呟いている、それをメイは観察するように見つめている。
魔法使いや魔女が、人間の無関心と他人事に関する嘆きを抱いている。
しかしながら、別の魔法使いたちは彼とは全く別のことが気になって仕方がないようであった。
「んん? これは……」
いつの間にか怪物の死体の近くに移動していたキンシが、転がっているそれの近くに膝をつけ、薄い肉を指先につまみ上げている。
濡れたシーツを扱うようにして、キンシの左指がかつて空を飛んでいた怪物のひれを、重たそうにたくし上げている。
肉の下に隠されていた部分が露わにされる。
見えたものを、上からでは詳しく確認することができなかったそれを、キンシは他の誰かにも見やすいようにさらに肉を持ち上げた。
そうすることによって、キンシは傍らに立っている青年に、見えたものに関する意見を求めようとしていた。
「これ、この傷痕……どう思いますか、トゥーイさん」
魔法少女に質問をされた。
それに対して、同じ魔法使いである青年が口を開いて静かに答えている。




