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広いマップを散策しよう

 心臓という重要な器官を破壊された怪物は、当然のことのように一個の生命活動を終了させようとしている。


 命が終わろうとしている、その後に訪れるのは、通常であるならば分解されて柔らかく腐敗を起こすべきであった。


 少なくともこの世界における常識、「普通」の概念で考えれば、そういった分解機能が働くべきであるはず。


 しかしながら、やはりと言うべきか、それらの常識的な作用は怪物には通用しないらしい。


 命を終えさせられた、魔法使いの手によって殺された怪物。

 その体は腐ることもなく、むしろもともと持っていたはずの柔らかさから別の方向性へと変わろうとしていた。


 まだいくらかのあたたかさが残る怪物の表面、キンシと言う名前の魔法使いはそこに体重を預けたままの格好で、怪物のひれの先端を見ている。


 そこではすでに変化が訪れようとしていた。


 つい先ほどまで瑞々しい生命力にあふれていたはずの、怪物の飛行器官であるひれの部分。

 変化は末端であるその場所から始まろうとしている。


 端っこから次々と生命を終わらせていく。

 順番そのものに対しては、とりたてて特別なことはない。


 だが、どんなに目を凝らしてみても、そこに腐敗と呼ぶべき現象は存在していなかった。


 そこにあるのは透明だけだった。

 怪物の体は末端から透明になり、透き通る欠片がぽろぽろと崩れていっている。


 破片は外界の光をかすかに反射しながら舞い落ちていく、そしてあっという間に溶けて消えていった。


 雪の結晶のような粒のいくつかが、止めどなく怪物のぬるい肉からこぼれ落ちていっている。


 キラキラとした変化を、キンシが呆けたように見つめている。


 と、そこに唐突な重力の変化が生じていた。


 今まで地盤の代わりに使用していた怪物の体が、急速に飛行能力を喪失しようとしていたのである。


 それ自体は別段特別なことは何もなかった。

 なんと言っても足場代わりにしていた怪物こそが、現在進行において生命活動を終了させ、その肉体を透明に分解させようとしているのである。


 もれなく死体へと変わりつつあるそれが、空を飛ぶ能力を失って地面へと落下する、そこに意外性も驚愕も何も無いはずだった。


 少なくとも怪物を殺したという認識を有しているのならば、こんな所で無駄にうろたえる場合などではない。


 ……。

 とはいえ、そんな風にいかにも灰笛で活躍する優秀な魔法使いらしい事を考えようとしてみたところで、キンシの技量がそれを許容できるかどうかはまた別の話。


 たとえ知識として、文献等々などで知識を仕入れていたとしても、実際に事象を目の前にして対処できるかどうかは本人の能力次第でしかない。


 そして、残念なことに今のキンシには、以上のような柔軟なる対応は期待できそうになかった。


「おあー?!」


 崩れ落ちていく怪物の体、その上でよろめきながら、キンシは急速に訪れようとしている重力の存在に慌てふためいている。


 仮にも魔法使いなのであれば、たとえこのまま地面に落下をしたとしても、最悪怪物と仲よく道連れになることは無いはず。


 なのだが、果たしてこの魔法使いの少女の動揺っぷりから、そこまでの安全性が約束できたかどうかは、結局のところ不明なままであった。


 何故なら、少女の体は別の腕の存在によってすっぽりと抱え込まれていたからであった。


「?」


 キンシは最初に軽い衝撃を覚えていた。

 ぶつかってきた、感触は衝突と呼べるほどに強くはなかった。


 冷たい布団に身を沈めるかのような、柔らかさの後にキンシは自分の体がさらに重力を忘れようとしていることを感じていた。


 下へと落ちていくはずだった体が、迎えるべき地面からさらに離れようとしている。

 上へ上へと、逃れるように移動をしている。


 キンシは腕の中で、自分を抱えている青年の名前を呼んでいる。


「トゥーイさん?」


 叫ぶようにしている。

 キンシの声を聞きながら、トゥーイと名前を呼ばれた青年は腕の中の少女にそっと囁きかけようとしていた。


「…………」


 青年の血の気の少ない唇が開かれている。

 空気を吸い込んで、吐きだした息が声帯を震わせ、咥内で湿った舌が動く。


 声を出した、それはとても小さな声だった。


「────…………」


 言葉で簡単に伝えている。

 それを聞いて、キンシは意味を受け止める。


「そんな……っ?」


 彼からこっそりと伝えられた、その内容は少女の瞳を大きくまるくする程には驚くべきことであった。



 青年と少女が密なるやり取りを交わしている。


 そこから少し下、もう少しだけ地面に近しいところで、ハリと言う名前の若い魔法使いが地面に落ちようとしていた。


「うわーあ……っと」


 落下をしている、上から下へと落ちていく。

 そう言った意味合いにおいては、ハリの今の状況は一応落下の状態と通用するのだろう。


 だがそこに生命への危機感はまるで感じられそうになかった。

 魔法によって重力を軽減させた、ハリはまるで埃のように軽々と地面との再会を果たしていた。


 ブーツの底が地面と触れ合っている。

 そこまで感動的でもない再開のなかで、ハリは目線を上に向けていた。


 眼鏡の向こうに広がる光景。

 そこではハリ自身が今しがた仕留めたばかりの怪物が、透明な破片をまき散らしながら墜落をしようとしている場面が確認できる。


 バラバラと溶けようとしている。

 彼よりもゆったりとした速度で落ちてきている怪物の死体、その様子は飛行船の墜落のような壮大さを感じさせる気配があった、


 ほどけて落ちる怪物の破片がハリの眼鏡にピトリ、と付着している。

 くっ付いたそれらは、彼の皮膚から発せられる体温に反応してさらに柔らかくなる。


 水滴のようになった、それらは次の瞬間には見えなくなっている。


 蒸発をしたかのように思える。

 だがハリは、それが気化に基づくものではないことを知っていた。


 キラキラと破片が落ちてきている。


 ハリがその様子を見上げていると、輝きの中で小さな影がひとつ、羽音と共に彼の元へと舞い降りて来ていた。


「やあ」


 白い翼を使いながら降りてくる幼い彼女に、ハリは穏やかそうな笑顔を向けている。


「お嬢さん、お疲れ様です」


 お嬢さんと、そう呼ばれている。

 メイと言う名前の幼い魔女は、彼の様子を見て首をすこし傾けている。


「……私は、べつに何もしていないのだけれどね」


 メイは翼の内側に空気を多く含ませながら、ゆっくりと慎重に空中を滑るように降りてきている。


 彼女のパンプスに包まれた爪先がトン、としずやかに地面と触れ合っている。


 かすかな足音を聞きながら、ハリは引き続きメイに話しかけていた。


「いえいえ、あなたの手助けは価値のある行動として、充分に相応しいのですよ」


 彼女の謙遜にたいして、ハリは心外そうに瞳孔をまるく広げていた。


「普通の人は……、魔法使いなんかを助けようとは思いませんから」


「……?」


 ハリはあからさまに声のトーンを落としながら、そう主張している。


 それを聞いたメイが、言葉の意味を理解できないでいる。


「それって、どういう意味なの……?」


 幼い魔女が不理解を表情に浮かばせている。

 それを視界の隅に認めつつ、ハリはもう一度視線を頭上の辺りへと戻していた。


「いえ、そんなことよりも、です。お嬢さん、あなたの同居人が今、たった今とんでもないことになっていますよ?」


 ハリが、まるでちょっとした都合を確認するかのような、そんな軽い口ぶりで事情について話そうとしている。


 彼が語っているとおりに、メイは誘導されるようにしてその目線を彼と同じ場所に向けている。


「あら、」


 ぽつりと息を吐くようにして、メイは彼らの様子を見上げている。



 見上げられている。

 その先には二人の若い魔法使いが、互いの体を密着させ合いながら空中に漂っていた。


 魔法使いの内の一人、キンシは自分がどのようにして上へと上昇したのか、その理屈についての旨を急速に頭の中へ通過させていた。


 サッと視線を上にする。

 そこには天へ向けて高々と伸びる鎖の一本が見えた。


 何であるか、誰のものであるか、考えるまでもない。

 キンシは瞬間的に、トゥーイが鎖を上に投げて、そうして投げた線を頼りながら体を、自分ごと上に運んだということ。そのことを理解しようとしていた。


 バルーニングを想像すれば分かりやすいのか。

 卵から生まれた蜘蛛の幼体が群れから離れるときに、自身の体よりも遥かに長い糸を吐きだし空を飛ぶ。


 糸の代わりに鎖を使いつつ、その他プラスアルファ、様々な魔法を消費しつつ上昇を可能なものにした。


 本来ならば、子グモのように小さく軽い身体であればこその飛行能力。 


 人間が使用できるはずのないものを、魔法で強引に使おうとした。

 トゥーイがかなり無理をしたことを、キンシは彼の腕の中で直感的に察していた。


 そうしてまで青年は少女を上に、怪物たちの群れがいる場所からさらに上の位置へと連れていこうとしていた。


 理由はすでに知っている。

 そこに意味を与えるための方法も、やはりトゥーイが一番強く求めていた。


 まだ腕の中に身を預けたままで、キンシは青年の目線が差す方角を確かめた。


 紫水晶と同じ色をした、瞳が見据えるのは下方の場所。

 怪物の群れ、その中の一体を彼は見つめていた。


 線が実際に可視化出来ていたわけではない。

 ましてや、鎖などの道具類を使って分かりやすく位置を指定するなどと、そのような明確な指示が与えられたということも無かった。


 ただ見ているだけにすぎない。

 たったそれだけの要素に、魔法使いの少女は同類の意向を理解していた。


 考えると同時に行動を開始する。


 段階を踏む必要は存在していない。

 見つめている先を追いかけるように、逃がさないように魔法少女は、キンシは青年の腕の中から体を離していた。


 浮遊力を失った、途端に全身が重力に包み込まれる。


 内側と外側が地面からの引力に乱される。

 柔らかい体が風圧で潰されそうになる。


 体のあちこちに負荷をもたらす要素の色々に、しかしてキンシは目を向けようとはしなかった。


 今はもっと見なければならないことがある。

 その(ただ)一つからひと時も目を逸らさないようにする。


 キンシは下を、怪物の群れを目で見ている。

 見ながら、左手を虚空へと伸ばす。


 流れる灰色の景色に少女の腕が一線と差しこまれる。

 皮膚の下に熱が流れ、皮膚の上に冷たい空気が流れる。


 幽かな変化の後に、魔法少女は左手に槍を発現させていた。

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