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普通に歩いていました

 魔法使いであるハリが、少しだけ珍しいものを見たかのように驚いている。

 そして同じく魔法使いである、キンシと言う名前の少女もまた驚いていた。


 ただ、キンシの方の驚愕は彼とは少しばかり気配を異ならせている。


 見慣れたものを見ている、それと同じ姿かたちをしている彼が、青年が予想だにしていない動きをしていた。

 キンシは、自らをそう名乗っている魔法少女はその事に関して、路傍の石につまづきかけた程度の驚きを胸の内にはじけさせている。


 魔法使いたちが見上げている。

 注目の中心点、そこはたった今彼らが足場の代わりにしている怪物の体表。空に浮遊している、その肉体から見てさらに上の位置、そこから真っ直ぐ怪物の表面に向けて落下をしようとしていた。


 びゅうびゅう、と風をその身に孕んで落ちてくる。

 重力に従っているに過ぎない、そう見えるはずのその体。


 しかしながらそれが、その青年がただ単にこの世界の重力に従っているものではない事、その事をキンシは知っていた。


「トゥーイさん!」


 キンシが怪物の体表に這いつくばったままの格好で、上から落ちてくる青年の名前を呼んでいる。


 少女に名前を呼ばれた。

 青年は、トゥーイはそれに言葉を使用した返事をしなかった。


 その代わりと言わんばかりに、トゥーイはその体を怪物めがけて、意図的に落下衝突させようとしていた。


「…………」


 風が強く吹き荒れる。

 彼の身につけている上着、作業着のように実用的なデザインの為されたそれの、軽い素材で作られた裾が激しくはためいている。


 全身に風の気配を含ませながら、トゥーイは自身の真下に向けて、怪物の体表に向けて右手を真っ直ぐかざしている。


 右手に何か武器でも発現させるのだろうか。

 キンシと同じく怪物にへばり付いている、ハリと言う名前の若い魔法使いがそう予想しようとした。


 しかしながら、この場合において彼の想像はすぐさま否定されていた。


 トゥーイの右手、少なくとも手の平の範囲内には、視界に物品らしきものは認められそうになかった。


 手の平にはない、だがトゥーイは確かに右の腕からそれを、その武器を現実へと登場させていた。


 彼の体から放たれた一線が、ブレも迷いも無いままに怪物の体表に突き刺さっている。


 真っ直ぐ落ちてきた、それは弓の一射と同様に持ち主の意思による動作に他ならない。


「おっと、危ない」


 落ちてきた者に対して、ハリが少しだけ身を引きながら軽い驚きを口にしている。

 彼の足元、体からそう大して離れてもいない場所。


 怪物の表面の一つにそれは、鎖の端は深々と突き刺さっていた。


 ダイヤの形を立体にしたようなもの。

 どことなく不思議な雰囲気を持つ重しが、与えられた推進力のままに怪物の肉の隙間へと侵入をしている。


 シャクッ、と硬い物が柔らかいものに抉られる短い音が、遅れ気味にキンシの耳に届いている。


 音が聞こえた、そう思った時には青年はすでに空中にて攻撃のための準備をほぼ完全に終了させていた。


 影が素早く落ちてくる。

 黒い色をしていた、それは彼の、トゥーイの脚部によって構成されていた。


 トゥーイは右の足を真っ直ぐ伸ばしている。

 突き出された足は、その爪先から太腿にかけて、全ての肉と骨と皮膚が攻撃の、怪物に向けた攻撃のための意識に(みなぎ)っていた。


 トゥーイが叫んでいる。


「────ッ!!」


 それは間違いなく彼の口から、喉の奥から声帯を震わせて発せられた音声であった。

 言葉とは到底呼べそうにない、それはある種として獣の(いなな)きと何ら変わりのないものでしかなかった。


 叫びが轟いた、音は直線だけを置き去りにして、虚空の中へと溶けて消えていく。


 鈍い音が鳴る。

 トゥーイの足、スポーツサンダルに似た外履きの分厚く硬いゴム製の靴底が、狙いすました肉体へと深く、深く激突をしている。


 真っ直ぐ伸ばされた足は槍の一撃にも匹敵する。

 それは最早落下などという自然現象の域を遥かに超えた、酷く濃厚な攻撃と殺害意識に満ち溢れた一撃にすぎなかった。


 トゥーイの体重重力、その他諸々の要素を大量に含ませた蹴り技をくらった。

 怪物がその暴力的な打撲に対して、反射的な音声を何処かしらから発している。


「ぐgagaぎゃ  gふぃ」


 悲鳴と形容すればそれだけにすぎない。

 だがそれはどちらかと言うともっと物理的な、体を激しく圧迫された、なので内側から空気が搾りだされただけのような。


 ともあれ、そんな単純な悲鳴がトゥーイの叫びと同様に、空気の中へと溶けて消えていこうとしていた。

 その次に、怪物が今度こそ本格的に打撲に対する悲鳴をあげようかと。


 そうするよりも、それよりも先に、トゥーイはすでに次の行動へと移行していた。


 右の手を上に振りかざす。

 指の間には鎖が挟み込まれている。


 それは今しがた怪物の表皮に刺し込まれ、怪物とトゥーイの体を一直線に結んでいた一端であった。


 トゥーイは鎖を握りしめ、一切の迷いも無い動作でそれを怪物の体表から引き抜いていた。


 激しく粗雑に抜かれた重しが空中へとしなる。

 立体的なダイヤの形をした、固い部分にはたっぷりと怪物の体液が付着していた。


 穿(うが)たれた小さな傷口から、トプンと濃厚な赤色の体液が噴出している。


 血液と細胞が皮膚の下で断絶され、掻き乱されている。

 ぐちゃりと、ほんの少しだけ柔らかくなっている。その部分を、トゥーイは外履きで強く踏みつけている。


 溢れていた体液が靴底の衝撃に合わせて、円く細かな飛沫を放射線状にいくつか散らした。


 簡単な円の中心を、トゥーイは靴の底で粗雑に踏みつけている。


 作りだされた柔らかさは、靴底の圧迫感によってその赤々とした滲出をより激しいものにしている。


 体液がサンダルの底面を赤く染めようとしている。

 柔らかい感触を足の裏に感じながら、トゥーイは再び右の腕を激しく振りかざしている。


 鎖が青年の腕の中に吸い込まれていく。

 その様子を見て、ハリが小さく呟いていた。


「ああ、なるほど……袖の中に隠していたのか」


 若い魔法使いがそう表現した。

 その通りの意味のままに、トゥーイの右腕、上着の長袖の隙間へ鎖は次々と吸い込まれていくようであった。


 袖の隙間に吸い込まれた鎖の一端が、振りかざした腕の動きに合わせて再び空間へと引き延ばされていく。


 腕から吐き出された鎖の先端が、今度は鞭のように大きくしなりながら怪物の肉に叩き付けられている。


 重しが体表を叩き付ける、それは打撲と言うよりはむしろ斬撃に近しい。

 リンゴの皮をナイフで剥くように、トゥーイは鎖を振り回しながら怪物の皮膚を素早く切り取っていった。


 スライスした肉片がはじけるように周辺へと転がっていく。

 欠片の一つがコロコロと転がり、依然として這いつくばったままだったキンシの指先へコツン、と軽くぶつかっていた。


 キンシがそれを摘まんでいる。

 小さな肉片、武器を持っていない方の右指で欠片に触る。


 プニプニと柔らかい、グミのような感触のそれにはあまり体液は含まれておらず、ただ内側の桃色が新鮮な鮮やかさを空気中にさらしている。


 柔らかいもの、熱はあまり残されていなかった。


 それに触る、皮膚が触れる。

 そうすることで、少女はようやく不自由を課せられた体にいくつかの可動域を取り戻させていた。


 少女が立ち上がろうとしている、そのすぐ近くでトゥーイが腕の動きを一旦止めていた。


 赤い体液、血飛沫は彼のサンダルをしっとりと濡らしている。

 体表はすでに、彼の鎖によって中身を充分が過ぎる程に曝け出されていた。


 皮膚の下から露わになったもの、怪物の背中の内側にあったもの。

 中身を見て、ハリが軽く驚いたような声を発している。


「なるほど、ひれの骨が壁みたいになっていていたんですね」


 ハリがそう表現している。

 怪物の中身にはあまり肉があった訳ではなく、皮の下にはすぐさま骨格が埋め込まれていた。


 骨はいわゆる人間のような、ある程度余裕を持たせたものとは大きく異なっている。

 細かな筋が幾つも連なっている、隙間の少なさはまるで織物のようなおもむきがある。


 トゥーイの鎖はその内の一部分を削り、切り開いていた。


 青年の手によって強引に切り開かれていた、隙間から一つの塊が覗いている。


 それは血液と同じように赤い色を持っている。

 鮮やかな赤色をしている、丸みを帯びた肉の塊は一定のリズムで動いていた。


 ドクン、ドクン、律動は怪物の全身に張り巡らされている血管、その内部へ然るべき内包物を運搬するための衝撃、必然的な繰り返しであった。


 鼓動をする肉、それは怪物の心臓として存在をしている器官に間違いないようであった。


 心臓を目にした、魔法使いたちの瞳につややかな輝きが走った。


「早い者勝ち、です!」


 高らかに宣言をするようにしているのはハリの声であった。

 彼はまるで得難い宝を見つけ出したかのようにして、心臓めがけて刀の切っ先を振り落している。


 鼓動を繰り返す鮮やかな赤色の塊に、金属質の硬い銀色が刺し入れられる。

 肉は柔らかく、すんなりと刃をその内に受け入れていた。


「……?」


 柔順さにハリがわずかに違和感を覚えていた。


 だが彼が抱いた感触に確信を得るよりも先に、怪物の体が融解を開始しようとしていた。


 溶けて消えていく、と言葉で表現すればそれまで。

 とはいえ、その消滅に含まれている段階は、ただ雪が解けて水になるものとは大きく形質を異ならせていた。


 今の今まで個体として、物質としての存在を空間に証明し続けていた。

 そのはずだった、怪物の飛行能力を担っているひれの部分、細く薄くなっている部分から透明さが浸食を開始して。


 その性質は水に近しく、硝子(ガラス)のように限りない透明さを表している。

 透明さを得た、と思った端にはすでに肉体であったはずのそれは、ホロホロと崩れようとしていた。


 末端から消滅を起こそうとしている。

 そういった面で考えて見れば、これから起ころうとしている変化もまた、この世界にとっては自然現象に等しかった。


 怪物の肉体が端から次々と透明に変わり、崩れていく。

 破片となったものが空中へ舞い、小さな欠片へと変わっていった。


 瑞々しく生きていたはずのそれが、晩秋の紅葉のように生命の形を終わらせようとしている。


 心臓を破壊された、そこに訪れる結果としてはおおむね正解に近しいと言える。


 しかし、手に入れたひとつの終着は、魔法使いたちにとって満足のいくものとは呼べそうになかった。

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