ごみ袋は丁寧に扱いましょう
音もなく
暴風の唸りに似た音を嗅ぎつけて怪物が反応を示してくる。
「nnni,/,1nnnnii1」
即座に体を動かし、ガラス玉の輝きを挑発中のキンシへと真っ直ぐ向ける。
すっかりアンバランスになってしまった三本足を蠢かせて、武器を構える若き魔法使いへの攻撃を再開した。
「iii1 u-uuaiii1111」
もう一度きらめく硬質な光。
相変わらず手慣れた様子で爪をさばく魔法使い。
全く衰える様子もなく、攻撃の意思と様子を停止しない怪物───。
と、ルーフがまた戦闘に見惚れかけたところで。
「勇者」
背後から青年の声がした。
「え?」
ルーフが返事をするより先に、彼の体は割と容赦のない力で後ろ向きに引っ張られた。
「うわっ!」
急にありえない方向へ無遠慮に引っ張られたルーフは、ほんの一時何者かの引力に従うままずるずるとごみ袋のように引きずられる。
そしてすぐに胴体をひねくり回して反抗し、苛立たしげに後ろを向いた。
「おい! いきなり何すんだよ、危ねえだろ!」
ルーフを引きずりだしたのはトゥーイであった。
青年の姿をしている彼は、相変わらずの無表情で少年を見下ろしている。
右手には武器が携えられ、左手でルーフの襟首を指の骨が浮き出るほどにガッシリと掴んでいた。
ルーフは鼻息を荒くしてトゥーイの左手から逃れる。
何故か、理由はよくわからないのだが、顎のあたりに羽虫が飛び交ったかのような不快感が伝う。
「勇者」
あからさまに眉をひそめているルーフに構うことなく、トゥーイは彼に言葉を発した。
「勇者、聞くことを望みます私は」
ゆうしゃ? ゆうしゃってあの勇者のことか?
どうして自分のことをそんな、ロールプレイングゲーム以外では聞くこともなさそうな単語で呼称するのだろうか。
全く持って意味不明な状態になっているルーフに、トゥーイは重ねて織り込むように語りかけてくる。
「勇者、戦闘行為を明らかに提示したこの時間軸、望まれなかった推奨します私はするべきではなかったと。その必要はない、多分、おそらく、低確率。私は私でなくてはならなかった、剣はもはや誰も持つ。使用することを思う」
「は、あ、はああ?」
彼は何かを何かしらに伝えるために長々と発声していたが、しかしルーフには彼が一体何のことを言っているのかさっぱり、全くもって判別することができなかった。
「なに、何! 何だって? ていうかこのくだり見覚えがあるぞ!」
新鮮味もなく面白味すらない二重の展開に言うべきことなどあるわけがない。
ルーフはよく磨かれた牙をむき出しにしていきり立とうとした、
だが。
「危なーい!」
少年が怒るより先にキンシの叫び声が二人の元へと飛んできた。
おいおいこの流れも二回目の気が……、とルーフが溜め息をつこうとした所、
ガスン! と彼らの間に車のワイパーみたいな物体が墜落し、床に看板の如く深々と突き刺さった。
「うおおお?」
予想に反して、予想を超えて危険だった物体にルーフは遅れた悲鳴をあげて飛び退いた。
「だいじょーぶですかー!」
妙に間の抜ける音程を発しながら、キンシが彼らの元へ小型飛行機のように土煙を上げて着陸した。
「大丈夫ですか二人とも、怪我はない?」
だいぶ疲労がたまってきているのか、キンシまでもが奇妙な文法を使い始めている。
今しがた自分の手によって吹き飛ばしたワイパー……、よく見るとそれは怪物の指の一本であったが、樹木のように硬直しているそれに寄りかかっている顔には、汗がたっぷりと滲み光を反射していた。
「すみません、仮面君」
キンシは若木みたいになっている怪物の指だった物体を左手で雑草のように軽々と引き抜き、かなり無理のある笑顔をルーフに向けた。
「思った以上に手ごわいですが、大丈夫です。妹さんは必ず救い出してみます」
明らかに圧倒的に疲労している他人を目の当たりにして、ルーフのささくれ立っていた心持ちが幾らか冷たくしぼんだ。
「それよりも、大丈夫なのか?」
出来ることもなく歯痒く拳を握りしめる。
「僕は大丈夫ですよ」
汗を拭いながら微笑むキンシの顔には、動きを停止したことによってそれまで忘却していた疲労までもが肩に圧し掛かろうとしていた。
そんな魔法使いの様子に少年は唇を噛みしめずにはいられなかった。
自分は何をしているのだ? どうして他人にこんなにも苦しい思いをさせてまで………。
そもそもどうしてこうなった。
ルーフは改めて怪物を、黒々とした巨体を持つ生き物をきつく憎々しげに睨んだ。
「ちくしょう………」
握られた拳はいよいよ皮ふを裂かんとしている。
「どうやったら、どうしたらあんな化物が倒せるんだ」
抱いたってどうしようもないはずの苛立ちが、意味も見いだせることなく少年の内側に積み上げられていく。
「俺は、俺は………!」
苛立ちはやがて一つの、すでに決まり切っていた確信を構築する。
「あいつのためなら、何だってできるのに!」
しかし少年自身が決意に気付くよりも先に、彼の心は最早絶望に染まろうとしていた。
だからこそほかならぬ彼よりも異なる、よりにもよって全く関係のない赤の他人が、兄の決意を深々と受け入れてしまった。
「何でもかんでも、か」
一人の人間の言葉によって芽吹き始めた思考。
魔法使いはゴーグルの湾曲した金具に指を添えて、その思いにより深い根を張り巡らせる。
早く、早く。
答えを導き出すために。
………。
…………。
……………。
考えていた時間などはほんの短い間でしかなかったのだが、若き魔法使いにとっては永遠とも取れる濃密さがそこにはあった。
いずれにしても決意は決まった。
「………よし」
キンシはルーフに向き合い、彼の仮面の奥にある瞳をじっと見つめた。
ルーフがキンシの視線に気づく。
それと同時に、
「仮面君。いえ、メイさんのお兄さん」
持っていた武器から手を離し、それが床に落下する間にひどく落ち着いた声音で彼に語りかけた。
話しかけられたルーフは至って普通に返事をしようとしたが、
しかしそれよりも先に、
「すみません、ごめんさない、許してねっ!」
彼に言葉を言わせる余裕も許さぬ速さで、キンシはルーフの胸ぐらに掴みかかった。
「っは、えっ?」
何の脈絡もなく自分の衣服を強く握りしめられる。
ああこんなことまで二度目がやってくるとは。
そして、
ずるずると、
ずるずると、
ずるずると、
おぞましいまでの剛腕によって地面をごみ袋よりも雑に引きずられることも、
思えば二度目だったなあ、と。
そのように能天気なことを考えられる余裕は、怪物へと真っ直ぐ直進している二人の子供達には全く許されていなかった。
ルーフが抵抗の怒号をあげる、青年に向けたのとは比べ物にならないほど激しく。
キンシは無言で少年を引っ張り続けた、それこそ怪物と戦っていた時よりも真剣そうな面持ちで。
少年は、怪物に飲み込まれた妹のお兄さんは、魔法使いに引きずられて引きずられて、
そしてある地点から魔法使いが助走の準備を始め、
それでもなお兄さんは体を離してもらえず、
魔法使いはお構いなしに、最早お決まりとなった魔法の跳躍を少し重たそうにして、
少し重いのはお兄さんと一緒に飛び立ったからで、それでもお兄さんは離してもらえず、
魔法使いは大して重そうな様子を見せることなく、腕に持っていた体を大きく振り上げながら、
「あんだらあああああああああっ!」
お兄さんであるルーフと言う名の少年を、へんてこりんな叫び声をあげながらボールみたいに怪物に向けて投げつけたのだった。
あとは待つだけです。




