重たい背中が首に寝食する
魔法使いたちは急いで、とても急いで現場にむかおうとしていた。
「こっちでしょうか?」
魔法少女が誰かに確認をするかのようにしている。
「いや、そこまで距離はないと思いますね」
少女の問いに、少女ではない魔法使いが、彼女と似たような口調で返事をしている。
急いでいる魔法使いたち。
それも当然のはずで、まちの中に危険な人喰い怪物が現れたのである。
怪物を倒すことを目的として、役割として生きている魔法使いが急いでいるのも、おおよそのにおいて当然の反応と言える。
しかしながら、事実を理解していながらも、その前にメイという名前の魔女はいくつか気掛かりを抱いていた。
「この警報は、怪物さんがあらわれたって、そういう意味でいいのよね?」
早足で歩く彼らに追いつこうとして、メイはなかば駆け足のような動作のなかで質問をしている。
「そうですね、そういうことになります」
メイに質問をされていながら、キンシは足の動きを止めることなく魔女の問いに答えている。
「おそらく住人の皆さんのスマフォに設定されてあった、怪物の発現警報が作動したのでしょうね」
キンシは簡単な事情説明をしながら、非常階段の段差をすばやく駆け下りている。
少女の履いているブーツの底がリズミカルに床と触れ合っている。
その音を追いかけるようにして、メイは階段の手すりに指を滑らせつつ、ひきつづきの疑問を唇に発している。
「だけど、その音からどうすれば、私たちは怪物さんの居どころを知ることができるのかしら?」
メイは当然と思わしき懸念を口にしている。
しかしそう言った魔女の主張も、魔法使いらにはたいして重要な意味を有してはいないらしい。
「それは、ですね……──」
口でこそ、反射的に他者の疑問に答えようとはしている。
しかしその意識は他人の存在を意識しているとは言い難い。
上の空のような、魔法使いらはとにもかくにも目の前の事象、つまりは怪物の居所について、ただそれだけの事を考えようとしている。
それは集中と言うよりはむしろ、腹を空かせた獣が肉を前にしたときの猛進を想起させる。
そんな風にして胸を高鳴らせている魔法使いたち。
そのうちの一人であるキンシが階段をすべて降りようとして、目線を少し上の方に、まだ段差を降りきれていないメイの方へと目線を向けようとした。
キンシが、魔法少女が問題に関しての答えを用意しようとした。
しかし、メイは今のところ少女の言葉を受け止められる余裕を持ち合せていないようであった。
「よい、っしょ……」
先を急ぐ魔法使いたちを必死に追いかけるようにして、メイは自身の足にはいささか大きすぎる段差を慌てながら降りようとしている。
段差は最初こそ対応できていたものの、落差は確実に彼女の動作に負担をもたらしていた。
「わっ……!」
そうして、メイが当然のことのように階段の途中で足を踏み外しそうになっている。
落ちる、とメイは重力が瞬間的に自分の体から失われようとしている。
そのさなかで、メイはせめてもの対応として体を石のように緊張させようとした。
落ちる、それによって魔女の幼い体は何かしらの損傷を余儀なくされた。
少なくとも魔女自身は、その事実は避けられようもないとそう信じきっていた。
だが彼女の危惧した展開は、この場面には実現することはなかった。
フワッ、と、メイは自身の胴体をやさしく、柔らかく支える腕のかすかな熱に触れていた。
「あ……」
落ちるはずだった自分の体が、空中で抱きかかえられるようにされている。
メイは少しばかりの無重力に戸惑いながら、しかしその唇はすぐに腕の持ち主への感謝を述べていた。
「ありがとう……トゥーイ」
メイは体を緊張させてたまま、震える声で自らの体を支えている青年に礼を伝えている。
「…………」
幼い魔女の白い、綿雪のような体を片手で支えていながら、トゥーイと名前を呼ばれた青年は特に表情を変えないままにしている。
「おおー」
その様子を階段の下側で見ていた、魔法使いの片方がささやかな感動を発している。
「ナイスキャッチ、ですね」
それはキンシの声ではなくもう一人、ハリと言う名前の若い男性の魔法使いによるものであった。
「あ、いや……女性にこの言い方は失礼が過ぎましたね」
彼はどうやら若干興奮気味になっていたらしい。
過ぎた言葉をすぐに訂正しながらも、その瞳には依然として静かなきらめきがろうそくの炎のように揺らめいている。
目で確認するまでもなく心臓が高鳴っている。
鼓動の速さは若い男性だけに限定されているものではなかった。
彼の隣で階段を下り終えた少女、キンシもまたその身を気持ちの高ぶりに突き動かされそうになっている。
しかしこの時点ではまだ、魔法少女にも自制を効かせられる理性は一応残されていた。
はやる気持ちを一旦抑えるようにして、キンシは足の動きを一時停止させている。
そうすることによって、キンシはようやくメイの言葉へまともに耳を傾けられる冷静さを獲得していた。
「そうですね、そうですよね、僕がいたずらに慌てても仕方がないですよね」
そんなことをキンシは自分に言い聞かせるようにしていながら、眼鏡の奥にある目線をメイの方にそっと向けている。
「しかしながら、メイさんが心配なさることはなにも無いのですよ」
ゆったりと語りかけるようにしている。
メイはキンシの声を耳に受け止めながら、トゥーイの手を借りつつ、階段を今度こそ無事に降りきっている。
「心配のひつようがないって、どういう意味なのかしら」
メイはトゥーイの手に指を乗せたまま、目線と問いをいま一度キンシの方へと向けている。
彼女の、幼い魔女の紅色をした瞳が、魔法少女の新緑のような虹彩を認めている。
問いの表情を向けられている、キンシは当たり前のことのように事実だけを彼女に教えている。
「怪物の、彼らの居場所は調べるまでもなく、この左にある目が教えてくれます」
そんなことを言いながら、キンシは指で前髪を軽くまくりあげている。
少し伸び気味の黒い前髪、ほんのりと癖の気配がある毛先が少女の左指に引っかかっている。
その下には彼女の顔の左半分がある。
そこにはいくらかの呪いの形跡と、そして彼女の左眼球と思わしき物体が埋め込まれている。
だがその眼球は生物が本来持ち合せるべき、本物としての性質を有してはいなかった。
目は偽物で、それは赤色の宝石によって作られたものであった。
ちょうど人間の皮膚を手頃な刃物で切り裂いたら、狭い隙間からあふれるぬるい体液、それとよく似た色の宝石。
それで作られた義眼を見て、メイは首を傾げている。
「その目で、怪物さんの居場所がわかるの?」
魔女が首を傾げながら質問をしている。
それに対して、キンシは言葉で説明をするよりも先に、首を上下に振って肯定の意を彼女に伝えていた。
目で、眼球という名の器官によって怪物の居所を把握する。
それがどうやら、キンシの左眼窩に埋めこまれている義眼の持つ機能の一つであるらしい。
そのことをメイが理解しようとしていた、そこへハリが同調をするかのような意見を声に発しようとしていた。
「おや? 奇遇ですね、実はボクも……──」
ささやかな共通点を新たに見つけた喜びを共有しようと、ハリが指を顔に伸ばして何かしらを少女らに見せようとしていた。
だが、男性の声音はトゥーイの音声によって遮られることとなった。
「ハイライトは対象外です、迅速さはスポットを強引に求めています」
トゥーイの電子的な音声が彼らの間を通り抜けていく。
文法は相変わらず怪しさに溢れている。
しかしながら、この場面にいる人間には青年の言葉を翻訳する必要もなかった。
「そうですね」
トゥーイからの主張を聞いた、ハリはほんの少しだけ残念そうに指を元の位置に戻している。
「今は急ぎましょう、現場はそう遠くないはずです」
そして、魔法使いたちは怪物が現れた現場に到着していた。
と言うのも、現場と思わしき地点は確かに近隣と判断できる距離の内に発生していた。
そこは魔法少女たちの記憶にも新しい場所、先ほど通過したばかりの地点。
巨大な楕円形の空中庭園、のような比較的おとなしめの怪物が保管、ないし観光名所として管理されている場所。
そこがどうやら、比較的おとなしくない怪物、人間を食べる危険性のある怪物が現れた現場であるらしかった。
危険性があるモノとそうでないモノ、違いの判別はとりたてて難しいことでもなかった。
なぜなら、今回の被害者は他でもない、彼女らが目にしていた空中庭園そのものであったからだ。
「食べられていますね、むしゃむしゃと」
キンシが空のあたりを見上げながら、少しだけ目を細めつつ、空中庭園の現在の状況を言葉にしている。
少女の呟きに、ハリが穏やかそうな声音で同意を示している。
「そうですね、食われていますね、もぐもぐと」
それだけの会話文だけを切り取ると、まるで可愛らしい小動物が餌をついばんでいるかのような、そんなほほえましさを想像してしまいそうになる。
しかしながら、残念なことに現実はそんな生やさしさを許してはくれそうになかった。
「食べられているっていうより……」
魔法使いらの意見を否定するように、メイがより現実に近しい表現をしている。
「襲われているわ……! 空中庭園さんが、たくさんの怪物さんにぱくぱくと襲われているわ……!」
幼い魔女がそう表現しているとおり、楕円形の空中庭園はたった今、リアルタイムで怪物の襲撃を受けていた。
魔法使いらが見上げる先、地面からそうたいして離れていない空の上。
そこには空中庭園と呼ばれる個体があり、そしてそれに群がるようにして、多量な中型の怪物が群がっていた。
怪物の群れは、口と思わしき捕食器官をひっきりなしに動かしている。
パクリパクリ、と止めどなく開閉をする口の、狭い隙間から怪物の声と思わしきものがこぼれている。
「gyaa gyaa gyaaAAA」
それは夕暮れにどこかから響いてくる野鳥の、甲高い叫びのようにも聞こえる。
とても不快な、脳味噌に直接届くかのような、危機感をあおる声色をしていた。




