無垢なぐらいが可愛いのです
段ボール箱はやはりと言うべきか、割かしかたく頑丈に密封がなされていた。
運搬の際の事故を考えてみれば、引っ越し業者の心遣いも充分に理解できる。
とはいうものの事情の外側にいる、ルーフにとってはそんな配慮もただの障害でしかなかった。
「えーっと…………」
段ボール箱を安心、安全に固定するガムテープの結束力に、ルーフはしばしの苦戦を余儀なくされている。
せめて、もう少し指の爪を放置しておけば良かったものを。
ルーフが古城において、爪をこまめに切るという、清潔な生活を習慣付けられたことに、軽く呪いを吐きそうになっている。
と、そんなふうに困窮している少年に、彼の様子を見ていたエミルがみかねて助け舟を出そうとしていた。
「あー……、ちょっと待ってくれ。開けるのにちょうど良い物があったはずだから」
困惑の原因は主に自分の妻の提案に始まっている。
エミルはまるでその事に責任感を持つかのようにして、箱を開けるための方法を少年に与えていた。
「はい、これ使いな」
そうしていながら、エミルは身に付けているジャケットから、一本のナイフを取り出している。
ルーフは誘われるままに、まずは男の右手のなかにあるナイフを見ている。
それはシンプルな形状の、とても実用的な折り畳み式のナイフであった。
取っ手の部分は暗い色の木材を基調としている。
刃の部分はその内部に開けられた空洞へ、折り畳んで内蔵をされてあった。
確かにこれならば、ガムテープを開けるのにまさに丁度が良い。
直感的にそう考えて、ルーフは男の気遣いをまず素直に受け取ろうとした。
だが、そこでふと、疑問が侵入してきた。
なぜこの人はナイフを、気軽に取り出せる場所に常備しているのだろうか。
刃物を常備している男に、ルーフはいくらかの疑いを抱きそうになる。
だが実際に疑問を口にするようなことはせずに、
「えっと、ありがとう」
やはり今は出来るだけ素直な心持ちで、相手の厚意をそのまま受け取ることにしていた。
そうして、ナイフを使ってルーフはようやく段ボール箱の中身を手にすることに成功していた。
箱の中に収められていたもの、それは。
「これは…………、人形だ」
一体の人形、それだけが箱の中に大事そうに丁寧に、丁重なる梱包が施されていた。
ルーフは少しだけ戸惑うようにして考える。
そして自身が今求められている行動、つまりは箱の中身で暇を潰すという目的を頭の中に思い浮かべる。
「これを、どうしろと?」
まさか自分に、よりにもよって自分にお人形遊びを要求しようというのだろうか。
ルーフは困惑の中でミナモの方を、おそらく人形の製作者と考えられる女の方をチラリと見やる。
ルーフが目線を向けた、そこには作業台の前に佇んでいるミナモが、引き続き彼女がそこはかとない期待の目線を少年に向けている。
どうにもこうにも、やはり彼女はルーフに自身の作品を見てほしいと、ただそれだけの事を期待しているらしかった。
それが理解できれば、客人である自分に与えられた役割は限られている。
ルーフは溜め息を喉元に押し込みながら、諦めるかのようにして人形を手に取ることを決意していた。
おずおずとした手つきで箱の中身に手を入れて、ルーフはあまり考え事をしないように中身を掴み、もっと見えやすくなるように一気に持ち上げている。
だがその時点ですでに、ルーフは自分の行動を軽く後悔しそうになっていた。
「うわ…………ッ?」
持ち上げたそれが予想していた以上に多くの質量をもっていたことも、少年が驚愕をする一因に含まれている。
だがその重々しさもささいな理由の一つでしかない。
それ以上にルーフは、自分の手の中にある人形の存在感の強さに、少なからず圧倒をされそうになっていた。
「これは、すごいな」
安直な感想しか言えないでいる。
ルーフは手の中にあるその人形、まるで今にも動き出しそうなリアリティのあるそれを、手放すこともできないまま持て余しそうになっている。
「なんて言うんだったか、こういうのって確か球体関節人形っていうんだったよな?」
人形の重さに息苦しさを覚えながらも、ルーフは努めて気軽そうな口ぶりを意識しつつミナモに話しかけようとしている。
ミナモは少年のそんな動揺に気付いているのか、いないのか、いずれにしてもその口は自陣の柵人に関する説明のためだけに動かされていた。
「よく知っているわね、人形にもいろいろな種類があるけど、うちはやっぱり腕とか足とかを自由に動かせるのが好みっていうんかな」
そんな事を語っている。
ルーフはどのように返事をするべきか悩んだ後に、とりあえず無難な事を話題に持ちだすことにしていた。
「ミナモさんは、この人形を使って魔法だとか魔術を使ったりするのか?」
質問の体を作ってはみたものの、ルーフの脳内には「YES」の選択肢以外の想像は存在していなかった。
だからこそ、ミナモの方がいまいち了解の言っていないように首を傾げている、その様子は少年にとって強い意外性を含んでいた。
「んー? いやあ、それはどちらかと言うと個人的な趣味に近いかなあ」
ミナモは少年の手の中にある、ツルツルとした裸の素体に目線を向けつつ、自分の魔法の方法について語ろうとしている。
「正直なことを言うと、うちもまだ本格的に制作を始めてまだ日が浅いのよね」
まるで誰かに言い訳をするかのようにして、ミナモは自分の力量を図ろうとしている。
そんな彼女の話に合わせるようにして、ルーフの近くに立っているエミルが口を開いていた。
「いつもは人形のデザインを主に担当しているところを、今回は実験的に削り出しからやってくれないかと頼んだら、それなりに快く受けてくれたんだよな」
エミルが事情について、ルーフがこの家に連れてこられた理由について再三の語りをしている。
それはただの口上のようなものでしかなく、ルーフは何となく聞き流そうとしていた。
だが、ふと気になる部分が耳に残っている。
「あれ、いま実験って…………?」
何気なく発せられた言葉にルーフが一抹の不安を覚えている。
「あーっと! そんな事よりも、だ」
しかしエミルは少年の疑問を、今回は聞き入れようとはしなかった。
無視が意図的であるものなのか、そうでないのか、詳細なところはルーフには分からない。
それでも限りなく人間らしい意図の気配をルーフは肌で感じつつ、自分の横をエミルの姿が通り過ぎるのをただ眺めていた。
「さて、そんなことよりも、思い出したことがあるんですよミナモさん」
エミルは心なしか慌てているかのような、ほんのりと早口気味にミナモへ何事かを頼もうとしている。
その足取りはダンボール箱のに若干阻害されていながらも、おおよそにおいてスムーズな移動を可能なものにしている。
「おや、どうしたんエミル君」
急に声をあげたと思えば、自分の方に近付いてくる夫の姿を見てミナモが軽く驚いた様子を見せている。
エミルはそんな妻に顔を寄せ、先ほどよりかは幾らか声を潜めつつ一つの提案をしている。
「実はここに来るまでに、怪物の方に出くわしてしまったものでして」
「ほう? なるほど」
エミルはミナモに対して、どことなく丁寧さを意識した言葉遣いを使っている。
その事にルーフ少し遠くの位置から気付いている。
少年のそんな目線の中で、エミルはまたしても懐の辺りからとある物品を取り出している。
そんなに厚みがあるわけではない、布製の薄い上着から現れた。
それは一丁の猟銃であった。
やはりどう考えても上着の布面積に、その銃を隠せられる広さが含まれているとは常識的に考えられそうになかった。
だがそれに関してはすでに一度目にした事象であるため、流石にルーフであっても驚くことをしなかった。
ただ部屋の中でエミルは稼働をしていない武器を取り出している。
一体あの上着、スーツの中にはどれだけ武器が収められているのだろうか。
ルーフが男に関する認識をさらに不透明なものに変えようとしている。
少年の心の変わり様を他所に、エミルは取り出した一丁の銃をミナモの方に手渡そうとしている。
「久しぶりに使ったからかもしれないが、何かちょっと……使い勝手がビミョーな感じがしたから。ついでと言ったらなんだが、これも調整しておいてくれませんか?」
「えー? なんや仕事が多いな」
たて続け、とまではいかずとも連続して舞い込んできた作業の量に、しかしながらミナモは特に気分を害する様子も無く淡々とした様子で受け入れている。
「それじゃあ、よろしく頼みます」
ミナモが早くもその表情に作業への緊張感を満たそうとしている。
そんな妻に笑いかけながら、エミルは足を部屋の出口の方へ、ルーフがいる方向へと移動させていた。
そしてエミルは、車いすに座っているルーフに継続した笑顔だけを向けている。
「さて、彼女を待っている間にオレらも色々と済ませてしまおう」
そんなことを言いながら、エミルはルーフが座る車椅子のハンドルを握っている。
声音にはすでに動揺は含まれておらず、ルーフは先ほど耳にした事柄が自分の空耳であったのではないかと、そんな思い込みを抱きそうになっている。
「色々済ますって、何を…………?」
相手のペースに押し流されそうになっている思考を取り戻すかのようにして、ルーフは慌てたように口だけを動かそうとしている。
どうにかして心に合点を作ろうとするあまりに、ルーフはその手に人形の素体を携えたままとなっている。
エミルは少年の手に握られている物品を認めながらも、今のところはそれに追及をすることをしなかった。
それよりも、男は次の用事に少年を向かわせることを重要視しているようであった。
「ただ待つだけなのもつまらないからな、若いうちに潰せる暇は徹底的に潰しておかないとな。頑張れ若造!」
謎にやる気と意気込みを演出しようとしている。
ルーフはそんな男に、言い知れぬ違和感を抱き続けたままとなっている。
「だから、あんたも大概若造じゃねえか…………」
しかしその頃にはすでに、少年は思いついた違和感のほとんどに、放置をするという結論を雑に捻り出そうとしていた。




