初対面です
結局のところ飲料の残骸は、個人での処理に任せるという形となった。
「ポイ捨て厳禁、破ったら首ちょんぱ、です」
いささか血生臭さが強い言い回しを使いながら、キンシの目線は自身の鞄の中へと落とされている。
「日頃から鞄のサイズを大きめにしといて良かったです、これに関しては正解と呼べるでしょう」
静かに密やかに自画自賛をしようとしている。
キンシは鞄の中身に、飲料の容器を一時的に保管をする選択をしていたのであった。
「大丈夫なの?」
メイがひそやかに心配をしている。
「その……、中身がこぼれたりとかは、しないのかしら」
だが彼女の不安は杞憂でしかないと、キンシは意識をしながら言葉に軽さを含ませている。
「なにも不安に思うことはございませんよ」
キンシはメイに、幼い体を持った魔女に安心のための言葉を作っている。
台詞を舌の上に用意しながら、キンシの目線は到着した建造物へと視線を滑らせている。
魔法使いらと魔女は、空中庭園が望める空間から地続きに繋げられた通路を使い、地下に開けられた入り口の先へと足を進ませていた。
白く光る人工的な電灯に照らされた自動扉を抜けると、そのさきにはより広々とした空間が設計されていた。
その場所はとある巨大な建造物の、地下部分のフロアにあたる区域であるらしかった。
「ここは、美術館ですね」
キンシはひとしきり建造物の内装を観察したあとに、この場所についての簡素な情報を口にしている。
そうしてゆっくりと歩いているキンシの右隣を歩きながら、メイが情報に関しての疑問を呟いている。
「そういえば、入り口にたくさんの展示ポスターがはられていたわよね」
メイは目線を斜めすこし下にかたむけて、視界のすみに認めていた情報を軽く思い出している。
壁その側面に、均一な間隔かつ左右対称になるように貼られていたポスター。
まるでそれ自体が一つの作品群であるかのように、魔法使いらはすでに建造物の織り成す空間の中へと身を沈ませているのであった。
「大きな美術館ね」
初めて訪れる場所にメイが素直な感動と、未知の場所への謎にほのかなおそれのようなものを抱いている。
魔女である彼女が感動の台詞をため息のように吐き出している。
その様子を視界の右側に認めていながら、キンシは早速目的の、約束された場所へ向かうために、さらに足を運ばせている。
「上へまいりましょう、そこに彼が、僕らのお客様が待っていることでしょう」
そんなことを言いながら、キンシという名前の魔法使いの少女は美術館の中を、上へ向けて歩こうとしていた。
エスカレーターの何本か、段差のいくつかをさらに通過した所。 その場所が約束のうちに指定されているであろう、目的地であるらしかった。
メイが小首をかしげつつ、ついにたどり着いた地点の、その名を唇に発している。
「あーと、ぎゃらりー……?」
見慣れぬ、読み慣れぬ単語にメイが戸惑っている。
すると、彼女の後方からトゥーイが解説をする声が伸びてきていた。
「アートギャラリーセンター。此処では主に美術資料を中心に収集が行われている」
トゥーイはいつもの、普段の奇怪な文法とは異なり、妙にに分かりやすい説明口調を使っている。
発生補助装置を介して、いずこかのネットワークからそれらしい情報でも検索したのだろう。
トゥーイがコピーペーストじみたことを言っている。
その低い電子的音声を耳に受け止めながら、キンシはその名が該当するスペースへと足を踏み入れている。
「要するに、美術館のための図書館みたいなものですね」
「館ばっかりで、なんだか頭がこんがらがりそう……」
キンシとメイが声をひそめてそんな話をしている。
彼女らの忍ぶような足音を追いかけて、トゥーイも施設の更なる内側へと進んでいた。
魔法使いと魔女の忍び足が、館内にかすかな振動を響かせている。
「ハリさんが言っていた場所は、おそらくここで間違いないはずなのですが……」
キンシは依頼人から伝え聞いた情報を頭の中で復唱しつつ、しかしてその意識は、眼前に広がる空間への好奇心に占められそうになっている。
「とにもかくにも、まずはこの場所の情報を集めるべきでしょうね」
あたかもそれらしいことを言いながら、キンシはさっそく館内を探検しようとしていた。
「ああ、ほら、見てください! 貴重な資料があんなにたくさん」
「キンシちゃん……! 大きな声をだしちゃダメよ」
思わず興奮ぎみになっているキンシに、メイは呆れぎみの叱責を送っている。
だかそんな魔女の忠告もそこそこに、キンシは今にも駆け出さんばかりの気力で館内へと歩きだしている。
足元にはタオルケットのように輪をいくつも織り出したような、柔らかい素材が隙間なく敷き詰められている。
その上をキンシはブーツで踏みしめながら、視線ははすでにエリアの中に納められている資料に釘付けとなっている。
少女のその新緑のような色をした瞳は、本棚へと固定されていく。
エリアはあまり広さがあるわけではない、限られたスペースの中で、壁に寄り添うようにして本棚が設置されている。
本棚は木製でかなり頑丈そうで、少なくとも人間ひとりごときでは到底好きにできなさそうな、そんな重厚なこしらえがなされている。
キンシの身長よりもはるかに高い本棚には、ほとんど隙を許すことなく資料が詰め込まれている。
それはトゥーイが装置で検索した内容の通り、美術的な知識に焦点をあてたものが主要とされている。
画集、アートブック、作品や作者に関する考察書。
キンシが眺めている本棚には確認できないが、おそらく別の場所には過去の展示物の目録なども、まとめて保管されているのだろう。
そこはまさに美術品のためにしつらえられた図書館であった。
美術館全体の広さ、大きさを当てはめれば、その場所はとても狭く小さいものでしかない。
だが全体を意識する視点など、結局は曖昧であやふやなものでしかない。
見えているだけの世界だけを、キンシは目に受け止めている。
そうすれば、いつしか全体の姿を忘却する。
あとに残されるのは本棚の、そこに込められた資料だけしか見えない。
まるで世界全体から資料以外、……本以外の全部が忘れ去られたかのような。
そんな、ありえない、とても下らないことを考えそうになる。
キンシが、自分をそう名乗っている少女が、なんとも少女的に空想の世界に浸かろうとしていた。
と、そこに。
キンシの視線が、とある一人の人物を見つけていた。
「あ……」
キンシはほんの少し、指先でつまめる程度の驚きを頭の中に転がしている。
見つけた、その人物は図書館で本を読んでいた。
その人は若い、まだ青年期も終えていないような男性で、身長はあまり高くないように見える。
男性は図書館で本を読んでいて、目線は開かれた書籍の内容へ吸い込まれるように注目されている。
いきなり見つけてしまった、キンシは驚きのなかでドキドキと早鐘をつく心臓をなだめようとする。
なにも、脅威に思う要素も必要もなど無い。
ここに彼が、男性が存在していることはあらかじめ決められていた事なのだし、その事実はこちら側でもとっくに知り得ていることだ。
キンシは呼吸を一つする、空気が期間を通り過ぎる繰り返しのなかで、暴れかけていた心臓はやがて静けさを取り戻していった。
さて、どうするべきか?
キンシは次の行動を考える。
唇は閉じたまま、鼻の穴だけで静かに呼吸を継続させながら、キンシはまず最初に相手の動向を探ろうとしていた。
一歩だけ近づいてみる、男性は気づいていないようだった。
彼はなにをしているのかというと、ただひたすらに、当たり前かのように本を読んでいるのであった。
それ自体はなにも特別なことではない。
この場所が図書館としての役割を担っているのならば、そこで読書をすることは、むしろ当然の行動といえよう。
事実、読書にふける男性の立ち姿は、努めて意識でもしない限りはすぐに、いとも簡単に見のがしてしまいそうだった。
存在感をものすごく、とてつもなく薄いものにしている。
それは男性にとって意図的に行っているようなものではなく、あくまでも彼は、読書に集中しているだけ。
ただそれだけにすぎなかった。
キンシはさらに前進をしている。
何度目かは、あまり意識して数えていなかったので分からない。
なんにしてもキンシの足は、その体はすでにかなり男性との距離をつめることに成功していた。
進んだあとで、もしかすると大して息を潜めなくとも大丈夫だっのではないか、今さらな発覚がキンシのなかで静かにひらめいていた。
しかしながら、なにを思い付いたところで所詮は後の祭り。
キンシの足は、体はとうに男性のすぐ近くに到達してしまっていた。
手を伸ばせば触れられるほどに近くにいる、キンシは意を決して男性に話しかけようとした。
「もし、もしもし?」
声の音量には最大の注意をはらって、キンシはできうる限り、己に許される限りの「普通」を想像する。
そうすることによって、この少女はようやく男性に話しかけられていた。
だが、少女がそうまでして決意を振り絞って見たところで、しかしながら期待した成果は得られそうになかった。
「……」
間違いなく話しかけたはず、それなのに男性の方はキンシの存在にまるで気づきそうになかった。
彼の意識、その集中は引き続き手元へ、そこに広げられている一冊の本に捧げられたままとなっている。
「……」
キンシは少し困った。
そして少しだけ想像をしてみる。もしかすると、自分の声は彼に届いていなかったのではないか?
さっそく軽度の挫折感に襲われそうになりながら、キンシは心もとなさの中で視線だけをさ迷わせている。
ふらふらと目線が男性の顔から、首と胸、そして手元へと落ちていく。
そこにはやはり本が携えられている。
その一冊は画集で、かつてこの世界に生きていたであろう、どこかの画家の作品をまとめたものだった。
それが誰で、どのような人物であるのか、作品のことすらもキンシには知らないことばかりであった。




