あなたはなにも救ってくれない
メイが疑問に思い、指し示している。
その楕円形は空、すなわち人々の上に存在をしていた。
「なにかしらね、あれは?」
メイは上を眺めがら首を小さく傾げている。
魔女である彼女が見ているそこは、いわゆる吹き抜けと言うべき設えがなされている。
まるで巨大なスコップか何かでその土地を大きく抉り、明けた穴を縦長に広げて固めたかのような。
そんな大きな穴があけられている。その底面が地下鉄の通路と繋がっており、キンシ等はちょうど穴の底から地上へとつながる空白を見上げる格好となっている。
人を、人間を集めるためにこれだけ大掛かりで、風変わりな建造物を作ろうとした。
それもまた人間の意思であり、しかしながらメイは、そこに感慨深いものを抱く以上に、その場所に用意された「それ」への関心を深めている。
「あれは……穴の上に覆いかぶさるようにつなげられているのかしら?」
人間によって設計された建物よりも、それよりもメイはそこに存在している、存在させられている大きな、大きな怪物と思わしき楕円形に一層の注目をしていた。
「どうしてこんな、こんな場所に怪物さんが……」
メイが場所について、空間と怪物の相互関係について不安を覚えようとしている。
するとそこへ、キンシの声音がのっそりと彼女の聴覚器官へと伸びてきていた。
「正確には、あれは怪物と呼称される方々とは、また種類を異ならせているものなのですよ」
メイが上を向くのをいったん止めて、キンシの声がする方へと目線を変えている。
一瞬だけ右を見て、そこに少女の姿を確認することは出来なかった、メイはすぐさま首の向きを左側へと動かしている。
平日の昼下がり、人並みの多さに関してはこの土地、場所の事情を知らないメイには判別することは出来そうにない。
多いのか少ないのか、よく分からい人混みをいくらか通り抜けた、その辺りにキンシは佇んでいた。
少女はとある店舗、ジャンクフードの有名なチェーン店の一軒をジッと見つめていた。
暗色を中心としたコーディネートである少女のたたずまい、そのすぐ隣にトゥーイの白髪のようなヘアカラーが寄り添うようにしている。
彼らの姿を認め、メイは幾つかの人なみをやり過ごした後に青年と少女の元へと駆け寄っている。
そして、メイは魔法使いである少女が述べた言葉が意味する内容を、さらに追及しようと唇を開いていた。
「怪物さんとちがうって、どういうことなのかしら?」
質問文を口にしながら、メイの椿の花弁のような紅色をした瞳は再び上を、空に固定されている楕円形の大きな謎の生き物らしきものを映し出している。
魔女である彼女の目線を追いかけるようにして、キンシもまた視線を上へ、怪物と気配のよく似た物体の方を見上げている。
「怪物……、つまり僕らが魔法使いとして相手をする彼らと、あの大きな楕円形との違いを具体的に説明するとすれば……──」
キンシが少しだけ言葉を選ぼうと、考えようとしていたところへ、
「捕食機能の有無が最大有力とされる」
合間を縫うようにしてトゥーイが言葉を発していた。
青年からの音に反応するようにして、メイとキンシが彼の方を見やる。
「対象を人間に推定するとして、それに身体的欲求、この場合は食欲に通ずる肉体に備え付けらえた欲望ないし傾向を対象とする。その上で、あの物質は怪物と呼称される生命と同様、同等と考えることは困難とされる」
トゥーイは何事かを、首輪のような形状をした発声補助装置から自分以外の他者に向けて伝えようとしている。
だがやはりと言うべきか、彼の発するそれはおよそ人間らしい言語能力、コミュニケーションに適用されるべき形容をしていなかった。
「……キンシちゃん」
メイがキンシに助けを求めるようにしている。
それに答えるようにして、キンシはすぐさま青年の言葉を翻訳していた。
「えっと、怪物にも色々な種類がございまして、その中でも大まかに二つに分けられる基準があるのですよ」
つまりは、人間を喰うか喰わぬか、のどちらからしい。
「そういった基準において、あの楕円形の方は後者の場合に該当する……つまりは人間を、僕らを食べようしない怪物なのですよ」
そんな風にしてキンシは幼い魔女に説明をしながら、その目線を上の方へと固定させている。
「それでもあえて分類をするとすれば、あれは花虫の仲間ということになるのですよ」
花虫というのは、怪物の中でも植物に近しい生態を持っているものの事を指す。
と言うのは、まさにこの魔法使いと魔女の記憶にとってまさにちょうど都合が良い、親近感のあるものでしかなかった。
「それって、今朝にであったあの……触手をふりまわしていたアレのお仲間さんということなのかしら」
「そのとおりです、そういうことになります」
メイが軽く記憶を掘り起こしている、その確認の言葉は他者に向けられたものと言うよりかは、むしろ自身の意識の内層に向けられた言葉としての雰囲気を持っていた。
魔法使いらと魔女が見上げている、そこには楕円形の人間を食べない怪物が浮遊をしていた。
怪物、とそう説明していながらも、キンシはその大きな浮遊物体をいまだに生き物として上手く認識できないでいる。
なんと言ってもそれは、余りにもサイズが大きすぎている。
上に百人乗っても大丈夫、なんて話で済まされそうにもない、大型バス五台分の観光客が上にのっかたとしても、あの巨大物体はびくともしないとそう信じさせられる。
頑強さは、しかしてよく目を凝らしてみると怪物本来から由来する性質ではないと、そう判断することが出来ていた。
メイが呟く。
「ああ、大きなかたまりを、たくさんの金具? のようなものでガチガチにこていしているのね」
「そうです」
メイが口にした感想に、キンシが同意の言葉を返信している。
「なにもせずに放っておくと、勝手にどっかへ飛んでいって消えてしまいますからね。怪物というのは、基本的に自由奔放なのです」
そんなことを言いながら、キンシは認識を改めるかのようにしてひとり感慨深そうにうなずきを小さくくり返している。
そんな魔法少女の挙動を左斜め上に認めながら、メイは引き続き頭上の巨大な、他人を食べない怪物の事を見続けている。
キンシが述べたとおりに、その巨大な楕円形は多数の金具によってその身を強く固定されているようにも見える。
メイの視線に合わせてキンシの左指が怪物の裏面、平たい体を下から見た場合、つまりはキンシ等の立っている位置から見た部分から伸びている、とある部分を指し示している。
「あの様に金具で硬く固定しているおかげで、魔法を使わなくてもエレベーターで上に登ることが可能とされているのですよ」
明るい声音で、あたかも楽しそうに説明をしているキンシ。
メイは少女のそんな言葉遣いへわずかに違和感を、だが覚えそうになった所でふと思い当たるところを回想していた。
少女はどうやらメイに、かなり本当に近い意識の中で灰笛と言う名前の地方都市の観光名所を紹介しようとしているらしかった。
「実際に登ってみます?」
よほど待ちあわせの人物に会いたくないと考えられる。
「いいえ、えんりょしておくわ」
メイは魔法少女の心理的動向の予想をしながら、その提案をやんわりと拒否しておいた。
しかしこのまま素直に会話を打ち切るのもそこはかとなく味気ないと思い、メイはもののついでとしてキンシにもう一つ質問をしてみることにした。
「でも、どうしてあんなものをこんな場所に、ああまでして固定しようとかんがえたのかしら?」
メイはすでに上を見上げることを止めており、目線は通常の位置へと戻されている。
その時点でこの魔女はすでに、空に固定された怪物とよく似た浮遊物体への好奇心をいくらか落ち着かせていた。
しかし彼女の都合も、近くにたたずむキンシには依然としてあずかり知らぬ内容でしかなかった。
「それはですね、あの個体……いえ、むしろ群体と呼ぶべきなのでしょう。あれがいわゆるラヒユタとされる、貴重なサンプルだからなのですよ」
またしてもメイの知らぬ単語が登場してきた。
だが彼女は段階を踏むことも無しに、その単語が怪物に似たあの楕円形の価値を決める基準であることをそれとなく察していた。
「あの植物みたいな怪物さんにも、基準だとか、種類みたいなものがきめられているのね」
メイがしみじみとした様子で、この世界の人間の細やかさに溜め息を吐きだしそうになっている。
そこにキンシが、相変わらずそこはかとなく愉快そうな態度のままで視線を前へと戻していた。
「そんなに難しいものでもありませんよ、基本的にものすごく大きいのがラヒユタ、つまり空中庭園扱いされれていて、それ以外はただの花虫、そんな感じに考えておけば大体オーケーです」
適当だと思われる区切りをつけた所で、キンシの関心は頭上の怪物よりもそれ以上に別の所へと向けられていた。
「それよりも、です。ちょっとそこでお茶でもしませんかね、ねえメイさん、喉乾いていませんか?」
テンションの高度を保ったままで、キンシの指先がファストフード店の入り口をまっすぐ指し示している。
どうやらこの少女は本当に、約束の場所に向かう前に腹の中にものを詰めようと考えているらしい。
しかし少女の提案は、そっくりそのまま実行されることは無かった。
「若干停止」
さっそく入口にへ向かわんとしていたキンシの背中、上着の襟元へトゥーイの長い腕が発音と共に伸ばされていた。
雑に引き留められる格好となり、キンシが「ぐえ」とかすかに抵抗の声音を喉元から吐き出している。
そのまま少しだけ苛立つような目線を後方に、自身の襟首を掴んでいるトゥーイが居る方へと投げかけている。
少女に睨まれている、だがトゥーイの方は特に表情を動かすことをしないままに、彼女の顔に唇を近付けて何事かを囁きかけていた。
「────…………」
そのとき、そこだけは確かに青年は唇を動かしていた様な気がする。
メイは確信に近いものを視界に、眼球の中に認めていた。
そして彼女は、それを珍しいと思った。




