木琴が鳴り響いている
仕組みを解説するうえで、キンシは自身の左手の中に握りしめられたままの「それ」を無視することは、限りなく不可能に近いものであったらしい。
「このようにして、宝石を使うと僕のような一介の凡庸なる魔法使いであっても、ご覧の通り楽々と魔法を実行することが出来るのですよ」
キンシはそう主張しながら、今度は右の指で身につけている上着の胸ポケットの辺りをまさぐっている。
左手は塞がっているため、仕方なしにと右指を使っているに過ぎない。
だがキンシはまるで左右など些細なる問題でしかないと言わんばかりに、どちら側の指でであろうとも、あくまでも自分の肉体の一部として操っているにすぎなかった。
そんな感じで、キンシは右手に一本のペンを握りしめている。
それは住居の内部で先ほど使ったばかりのもので、崖の上から漂白する魔法少女の姿を眺めているメイにもすでに見慣れた道具の一つでもあった。
メイが、自らをそう名乗る魔女が少女に質問をしている。
「ペン……万年筆なんかとりだして、どうするつもりなの」
メイはその道具の呼び方に少しだけこだわりを持たせながら、しかし目線に込める集中にはキンシの動向に関してを、ことさら多く含ませている。
彼女に、椿の花弁の様に紅い瞳をした魔女に問いかけられた、キンシはどこか自信に満ち溢れた様子で鼻息をフン、と鳴らしている。
「まあ、しばしのお待ちを……」
まるで観客の期待を一身に受ける手品師にでもなったつもりなのか。
キンシはもうわくわくが抑えきれないと言った様子で、その新緑のような緑色をした瞳をらんらんと輝かせている。
メイが怪訝そうに少女を見上げている。
魔女が懸念している内容には、もちろん少女がこれから実行しようとしている魔的行動の動向も含まれている。
だが、メイはそれ以上にもっと気にすべき事柄があるのではないか、むしろ思考の大部分はそちらの事実に移行しようとしている。
椿の魔女が憂いを抱いている、だが魔法少女はそんな気遣いなどお構いなしと言った様子で、とにもかくにも眼前の魔法に集中をしようとしている。
事実、キンシは今崖の外側で漂白を、つまりは魔力を使って海の上に浮かんでいる。
重力に逆らっている。それを継続している状態であるがゆえ、出来ることならば魔法以外の思考を含ませない方が、少なくともキンシ本人の身の安全の確保には必要と言えた。
とはいえ、どうにもキンシ本人にはそういった、いかにももっともらしい理由を考えられていたという確証は、どうやらあまり確認できそうにないのだが……。
ともあれ、いずれにしてもキンシは呼吸を一つ、そうすることによって右手に持っていたペンがまたしても姿を変えている。
シュルシュル、と。
建物のあいだを空気が通り抜けるような音がした、その後にキンシの右腕には一本の槍のような武器が現れていた。
武器なんて物を出してどうするつもりなのだろうか、ここにはすでに怪物は存在していないというのに。
メイは首を傾げそうになった己の挙動をこらえながら、少しだけ無理をして停止させた視界の中で、魔法少女の行動を引き続き観察する。
「……」
注目をされている、人間の目線の下にさらされている。
キンシと言う名前の、魔法使いの少女はすでに言葉による説明を放棄していた。
そんなことよりも、少女は自らの行動によって現時点をより強く、確実に証明しようとしている。
キンシが右の手で武器を操る、金属によってこしらえられた先端が左手の方へ、そこに握りしめられている破片へと定められる。
少女の左手、指の間には謎の破片が握りしめられていた。
メイは改めてその部分に視点を固定させる。
先入観として、メイはその破片もまた鮮やかな赤色をしているものだと、そう思い込んでいた。
だがそれは思い込みにすぎなかった。
瞬間的な勘違いが意識の上を通り過ぎたあと、メイは改めて少女の手の中にある破片をしっかりと確認している。
あらためて見つめてみる。
よく目をこらす必要も無いほどには、その破片はまったくもって赤色らしい要素など持ち合せていなかった。
ぱっと見では白に似ている。だがさらに注目をする事によって、その破片がほのかに黄色を帯びていることが判別できた。
メイは考えようとして、しかし視覚的に得られる情報がすでに考えるまでもなく明確であると、どこか無意識に近しいところで結論を導き出していた。
「リンゴの中身、みたいね」
実際のところは特に思考を働かせないままに、メイは見たまま、思ったままの事柄を口にしている。
それに対して、キンシは穏やかそうな表情で同意を示していた。
「そうですね、こちらはりんごの中身になります」
キンシの口元には微笑みのようなものが湛えられている。
なにを笑う必要があるというのだろうか、メイはどちらかと言うと魔法少女の感情の動向の方こそ気掛かりで仕方がなかった。
しかしキンシは魔女の心理的傾向など露知らずと、少女はあくまでも自分自身の欲求に基づいて行動を進めていた。
「宝石の内層に秘められているこの果実、果肉こそ、僕ら魔法使いが欲しくて、欲しくて仕方がないものなのですよ」
「この、リンゴの欠片が?」
キンシの主張を耳に受け止めながら、メイは少女の主張に上手く納得が出来ないでいる。
「私には、どこにでもある普通の果肉にしか見えないけれど……」
少女の主張に嘘が在るとは思えない。もしも虚構であるのならば、このキンシと言う名前の魔法少女はもっと挙動不審になるはず。
メイは少女の嘘の下手さを根拠に、とりあえず宝石の中身からリンゴの果肉が登場したことに関しては受け流そうとしていた。
「でも、どうせこの果肉も、普通とはちがうものなのでしょうね」
「おや、以外にもすんなりとご理解してくださりましたね」
メイがひとつ諦めを作っている。
それを見ながら、キンシは爪先を崖の上へと戻しながら、少し意外そうな表情を浮かべている。
「流石メイさんと言うべきでしょうか? 僕なんかはもう、初めてこの中身を見たときは三日三晩夜も眠れぬ日々を、」
「それは、さすがにウソでしょう」
「すみません、例えが過ぎました」
冗談はさておき、とにかくキンシはメイのテンションの低さに、少なからず意外さを抱いているようであった。
「そうでしたか、もっと素敵な反応がいただけると思っていたんですけれどね」
キンシは残念そうに微笑みながら、その足はすでに崖の上へと完全に戻されていた。
「私になにを期待していたかは、しらないけれども」
少女の体が完全に地面の上に戻ってきたのを認めながら、メイはずっと黙っていた事実を少女に報告していた。
「ねえキンシちゃん、もうそろそろ出かける準備をしないと、ナナセさんにものすごく文句を言われちゃうわよ?」
少々のハプニングはあったものの、結局のところ約束は守らないといけないというのは、魔法使いらが人間である限りは尊重しなければならない。
「まったくもって憂鬱になりそうですね、ねえ? トゥーイさん」
外出用の衣服に身を包んでいるキンシが、自身と同じように着込んでいる青年に対して疑問を投げかけている。
「…………」
キンシに質問をされたトゥーイは、音声による返事を用意することをしていない。
その代わりにと、紫水晶のような瞳でチラリと少女の方を一瞥した後に、彼はもう一度前だけを向いている。
彼らは今、住居の外側に存在をしていた。
住居でのちょっとした荒事の後に、本日の予定である待ち合わせの場所に向かおうとしているのであった。
トゥーイとキンシのあいだに沈黙だけが引き伸ばされている。
傍から見ればとても会話を実行しているとは言い難い有様ではある。
しかしながら、どうやら彼と彼女にしてみれば、たったそれだけのやり取りで充分であったらしい。
「そうですか、そうですよね」
キンシがひとり納得をしようとしている。
「本音を言えば、このままどこか適当なところでお茶して帰りたい。帰って、お家でお昼寝したい所ですよね」
「……、そんなワケにもいかないでしょう、キンシちゃん」
青年と少女が密に同意を深めている、そこにメイが溜め息交じりの正論を述べていた。
「文句なんかいっていないで、はやく待ちあわせの場所にいかないと……」
出不精を決め込もうとしてる二人を引率するようにして、メイは急くように足を前に向けている。
しかしながら、意気込んで前に進もうとした彼女の足は、目的の場所を導き出せないままに再び動きを止めていた。
「……で、その……ここからどこに向かえばいいのかしら」
そう不安そうに呟きながら、メイは自分の周囲を取り巻く景色へと目線を向けている。
彼女ら、つまりは住居に暮らしている三人は今、灰笛の中心街に足を運んでいた。
電車を乗り継いだ後に、地下へと潜り地下鉄の環状線から排出された。
キンシが「この辺りで降りましょう」と提案した、その場所はどうやら地下街へとつながる駅らしかった。
「私、ここに来るのははじめてだわ……」
とりあえずは、道のど真ん中で立ち止まる訳にはいかないと、メイはそれとなく端に寄るようにして体をふらふらと漂わせている。
頼るべき道しるべを探るようにして、メイは指の先を道の端、壁のひんやりとした表面へと触れている。
魔女の動きに合わせるように、追いかけるようにしてキンシとトゥーイもまた端っこへと移動し、同じく壁に体重を預けるようにしている。
「そう言えば、そうですよね」
メイが不安を口にしている、その内容にキンシがひとりでに納得できる事実を思い出していた。
「このあたりは仕事でもあまり訪れないですしね」
「あら、そうなの?」
背中を壁に寄せながらメイは目線を左側の上へ、キンシの表情がある方へと向けている。
「ええ、そうなんです」
メイに問いかけられながら、キンシは質問された分だけの答えを舌の上へと用意している。
「この区域は事務所の管轄外ですし、それに……」
その目線、眼鏡の奥にある緑色の瞳は道の上を歩く人々を、止めどなく変化し続ける往来の姿を映し出している。
「こうして、個人的な用事でお出かけをする機会も、思えばとても久しぶりのような気がします」
遠くを眺めがら、キンシはふと思い出したように体を壁から離している。
「ですが、やはりここは僕が率先して、目的の場所へと先導すべきなのでしょう!」
理屈を説明するよりも先に、キンシはとにかく目的のためだけに行動力を発揮しようとしていた。
「さあ、行きますか、ナナセ・ハリさんの元へ」




