刃物がたくさんある物語
魔法の鎖がキンシの足首をしっかりとつかんでいた。
結び付けられた部分、少女の足を支点として鎖は真っ直ぐ張りつめられている。
伸ばされた先端と相対する位置にある、もう片方の先端はトゥーイの指先に握りしめられている。
「…………」
トゥーイは唇を閉じたまま、手に持っている鎖の端を自分の後ろ側の方へと躊躇いなく引っぱっていた。
「うわー?!」 足首に強力なる引力を感じたキンシが、何の対処も無しに悲鳴だけを上げる。
そしてそのまま為す術も無くキンシは床の上に転倒させられることとなった。
「ぐああ!」
キンシは咄嗟に受け身を取ろうとしていた、そうすることによって必要最低限の肉体の安全程度ならば確保できていた。
それはつまり、それ以外の要素を捨て去ることと同様であった。
キンシはつい先程まで何よりも重要視していたはずの、赤い宝石を左指から手放すことを余儀無くされていた。
「キンシちゃん!」
見事なまでに転倒を起こしているキンシに、メイが思わず少女の身を案じるような声を発している。
そしてメイはすかさず少女の方へと駆けより、彼女の顔の近くで膝をついている。
「大丈夫……?」
あまり大丈夫そうではないことは明確ではあるが、しかしメイは望みをかけるような心持ちでキンシに問いかけている。
幼い魔女の椿のように紅い瞳が見下ろしている、キンシはうつぶせのような格好で彼女の目線を後頭部の辺りに感じ取っていた。
「僕は……、僕は大丈夫ですよ、何も問題はありませんよ……」
キンシはとりあえず自らの無事を簡単に報告している。
伝えている内容に虚偽はほとんど含まれてはいない、受け身を取った選択は少女にそれなりの意味を作り上げていたらしい。
生命や意識の安全が確保させられた後で、キンシはすぐに別の事柄を気にかけていた。
「宝石が……りんごが転がってしまいました」
キンシはうつぶせの状態から立ち上がるよりも先に、前へと伸ばしたままの左手で落としたものを探そうとしている。
少女の左手が求める方向には確かにリンゴがひとつ、リンゴのような形をした結晶体が床の上に一つ寂しく転げ落ちていた。
自身の身の安否よりも、そんなものよりのこの魔法少女は獲得した物品を優先しようとしている。
メイがそんな魔法少女の行動に不理解をひとつ芽生えさせようとしていた。
彼女らの感情を他所に、床の上に転がったリンゴを掴みとる指が伸ばされている。
「…………」
今しがた自らの手で発生させたささやかなる惨事も他所に、トゥーイはやはり無表情のままで地面の上のリンゴを右手で掴んでいた。
通路の壁に掛けられたランプや、外側から幽かに届く光の気配がトゥーイの姿を照らしている。
光が当たる部分が影を生み出し、通路の床に青年の形に基づいたシルエットを描き出している。
左腕には鎖を携えている。
キンシの体を捉えるのに使用した、それはいたってスタンダードなデザインらしい作りとなっている。
楕円形をした金属の輪が小さく幾つも連なっているのは、立ち入り禁止区域の金網に南京錠とセットでくくり付けられていても何ら違和感は無さそうである。
であれば、その鎖に魔的なる特徴を見出すとすれば、やはりその機動性の高さと言うべきなのだろう。
鎖を主体とした武器はすでに歴史の中でも確認されている。
鎖鎌であったり、あるいはヌンチャクもその類に含まれる。
しかしトゥーイの使用している鎖は、それらの武器類にはあまり該当しそうになかった。
彼が左手に携えている
大きく黒々とした姿の中に一つ、赤く透き通る色が違和感の中で輝いていた。
トゥーイが彼女らを、主にキンシの方に視線を固定しながら、首元に巻きつけた発声補助装置から音声を出している。
「先生」
男性用に設定された低い響きの中で、ごくごく短い単語だけが空気を振動させている。
言葉だけでは何も意味が読み取れそうにない、だがキンシは自身を見下ろすトゥーイの、その鮮やかな紫色をした瞳の中からすぐさま彼の感情を察知していた。
「えっと、トゥーイさん……」
興奮はもうすでにすっかり冷めきっている。
冷たさをいくらか取り戻した心臓が、今度は羞恥の色彩によって別の動悸を起こそうとしている。
予感を胸にキンシはうつぶせのまま、かなりはだけてしまったバスタオルの感触を肌に感じながら、舌の上に弁明の台詞を述べていた。
「すみません、興奮しすぎました」
自らの失態を言葉の上に用意しながら、キンシは次にどの様な行動をとるべきか思考を働かせようとしている。
青年はかなり自分に失望の色を向けている、もしかするとそれは怒りにも近いものがあるかもしれない。
叱責を受け取るよりも先に、自身に出来ることは何かないだろうか。
キンシは青年の目線を一身に浴びながら、それでも意識はそれらしい答えを導き出せないままでいる。
半裸の状態で床に転がったまま頭を悩ませている、そんな少女にメイがひとつ簡単な助言をしていた。
「とりあえず……はやく服を着なさい」
そんな訳で、ややあってキンシは無事に住居の外へと移動していた。
「もちろん、ちゃんと服を着ましたよ!」
自分以外の他の誰かに向けた宣言をしながら、キンシは意気揚々と住居の玄関先に足をつけている。
そんな少女の姿を、メイは少し呆れたように見ていた。
「まさか、あんなかっこうのままで外にでようとしていたなんて、いくらなんでも無茶苦茶がすぎるわよ」
穏やかな口調の中、メイは口元に笑みを作りながら叱責の言葉をキンシに送っている。
魔女からの静かな叱咤に対して、しかしながらキンシは明朗な面持ちを崩そうとしない。
「あはは……、すみません、どうにもりんごを前にすると興奮しすぎてしまうものでして……」
誤魔化すようにしている、そんな魔法少女の左手には再びリンゴの形をした宝石が握られていた。
「なにはともあれ、今度こそきちんと実演をこなしてみせましょう!」
キンシは意気揚々と高らかに宣言をしながら、その足は玄関先に広げられた小さな崖の終わりへと向かっている。
魔法少女の眼前には海原が広がる。
海岸沿いの崖の下では潮が絶え間なく波打ち、海水の冷たさによって生み出された風が、潮の香りと共に少女の黒髪を撫でていた。
短く切られた毛髪は風に弄ばれ、柔らかな毛先が四方八方に乱れる。
黒色の波が膨らんでは消えていく、その隙間に少女の持つ子猫のような聴覚器官の先端が見え隠れして、二揃いの存在感を主張している。
「さむくないの?」
メイがキンシの身を案じる問いを投げかける。
それにキンシはなんて事もなさそうに笑いかけていた。
「ええ、僕はこれで充分です」
そう言いながらキンシは右手で軽く着衣を撫で付ける。
黒色のTシャツに、似たような色合いをした革製のショートパンツ、その上にいつもの上着を身につけてる。
キンシの身長や体格に若干合っていない、大きめの上着が風を受けてバサリバサリとはためいている。
暗めの色に染色された裾に走る赤いラインが、外界の光をわずかに反射している。
上半分だけの話ならば暖房的に十分な装備と言えよう。
メイが注目しているのは下半身の方、ショートパンツから伸びている生身の両足であった。
そこには少女の肌が広々と広がりを見せている、右足には少しだけ血色の悪い皮膚の色が空気へと晒されている。
いつもはそこに丈の長い靴下を履いているのだが、今は何も身につけてはいない。
なので、当然のことながら肌は隠されていない部分だけ丸見えになっている。
ショートパンツから生えている足は右側こそ普通っぽいが、しかし左側はやはり普通の色合いを持ち合せていない。
水晶のように透き通っている、それは少女の左腕に刻みつけられた要素と同様のものと考えられる。
人間味の少ない表面は鉱物のように冷たそうで、一定の法則に基づいて刻印されている部分と、それ以外の人間性が残された部分が奇妙なコントラストを描いている。
「それ……足にもあるのね」
メイが左足について感想をこぼしている、だが言った端からすぐさま自らの言葉を否定しようとしていた。
「あ……こういうのってあまりはっきりと他人からいわれたくは、ないわよね」
例えそれがこの世界における魔法使いのアイデンティティの一つであろうとも、呪いというものはあまり公にすべき事柄ではない。
と言うのはメイにとっての、魔女として生きてきたうえで獲得した通念の一つである。
「なんでもないの、忘れて」
そうして黙ってしまった魔女の代わりと言わんばかりに、キンシは彼女の方を振り返って言葉の続きを追いかけていた。
「いえいえ、その意見はおおむね正しいと言えますよ」
呪いに対する意見を受け止めながら、他でもない当事者である少女自身が考察を深めようとしている。
他人の目線にさらされながら、キンシもまた己の身に刻まれた呪いに観察の手を伸ばしている。
「こうしてみると……僕の呪いは肉体の左半分、主に顔と腕と脚部に集中していますからね」
指摘されたことに関してのコメントをしつつ、キンシは逆になにか物珍しいものを見つけたかのような反応をあらわにしている。
「やはりヒトに注目されやすい部分に刻まれていると、日常生活で隠すのが時々めんどうになりますよ」
「そう……なの?」
魔法使いならではのお悩みに、メイはいまいち合点のゆかぬままに首を小さく傾げている。
魔女が微妙な反応を示していても、キンシの方はあくまでも一方的に論を進めようとしていた。
「いつもは布で隠してしまうので、こう……丸見えだと色々と落ち着きませんね」
そこでようやく少しだけ恥ずかしそうに頬へ赤みをさしている。
しかしてキンシは、それ以上に次の行動へと関心を深めようとしていた。
「ですが、こうやって人目にさらすことでまた別の意味も得られるのですよ」
「意味?」
キンシがそう主張している、内容はやはりメイには上手く理解できそうになかった。
魔女が首を傾げたままにしている、その視線を背後に、キンシと言う名前の魔法少女は崖の終わりへと足を進めていた。




