主観的視点で防衛しよう
触手はやがて、冬枯れの芽の様に小さく硬く縮まっていく。
閉じられたそれは、先端と思わしき細さを天井の方に向けている。
描かれている脚線、その形状はしぼり器でまとめられた生クリームに似ているような気がする。
閉じられたそれは最初の広がりと比べるとかなり縮小が為されている、手の平に収められる程度に小さくなったそれを、トゥーイは指先に携えながら腰を上げている。
立ち上がる動作はスムーズで、青年の影が静かに本来の大きさと高さを取り戻している。
トゥーイは右の指先に魔方陣だったもの、怪物の死体を吸収したであろうひと塊を持ったまま、おもむろにキンシとメイの居る方へと歩み寄っている。
近付いてくる彼の姿を見て、メイは体の内に緊張感を走らせる。
そんな椿の魔女の様子と相反するようにして、彼女の左隣に立っているキンシという名の魔法少女はあくまでも平坦とリラックスをした様子のままでいる。
トゥーイが右の腕をそっと前に差し出す、彼の手の平の動きに合わせて謎の塊も彼女らの前へと差し出される。
彼は何をするつもりなのだろうか、言葉で確認をする暇も与えないままに、青年は自らの魔法に結末を作り上げていた。
塊が展開される。
乾いたものが緩やかに剥がされる、パリパリとした音色が空間へ小さく響く。
ピッチリと硬く閉じされていたそれが開かれる、それはまるで植物の開花のような一種の近寄りがたい重々しさを感じさせる。
展開される、中身に込められていたものがついにあらわになる。
そこに現れたのは、
「りんご?」
一粒のリンゴであった、メイが見たままの感想を唇に発している。
正しくはリンゴのように見える、リンゴにとてもよく似たなにかの物質であった。
トゥーイがさらに腕を前へと動かす。
指先の方向はメイに固定されており、何も言わずとも彼女は青年が自らの手の中にあるもの、リンゴのようなそれを受け取ってほしいこと。
手に取って、実際に触れてこの事象を確かめてほしい、それを望んでいることをメイは直感していた。
メイ指を伸ばしかけて、しかし脳裏に拒否に近いものを覚えてためらっている。
本当に触っても大丈夫なのか? なんと言ってもこれは、今しがた怪物の死体を分解していたものに違いないのだ。
安易に接触して自分の指が融解でもされてしまったら、危険をシミュレーションするための妄想が、煙のようにメイの脳内をただよう。
しかしこんなところで、こんな場面で無駄に恐怖心を抱いたとしてもそれは無駄でしかない、ということもメイは分かりきっていた。
「どうしたのですか? メイさん」 魔女が迷っているとその横からキンシがささやきかけていた。
「ほら、せっかくなので出来上がったものをお確かめ下さい、遠慮なさらずに」
少女は誘いかけるようにしている。
声音は間違いなく誘導としての意味を有しているのだろう。
しかしその実キンシは彼女がそれに、リンゴのようなものに対してどの様な反応を見せるか、それだけに期待をしているにすぎなかった。
「これはメイさんにとっても見覚えがあるものでしょう?」
「ええ、……そうね」
キンシの言葉に反応する形で、メイは少し前のことを思い出している。
少しだけ首を傾げながら、頭部にはたらく重力の移動の中でメイは記憶を検索する。
そう言えば確かに、あの時もこの住居でこのリンゴ……にとてもよく似た結晶を目にしたことがある。
「そんなことも、あったわね」
忘れていたわけではないにしても、積極的に思い出したいという訳でもなかった。
だが情報の検索はこの場合において、メイへためらいを削減させるという効能においてはそれなりの意味を為していた。
メイは指をばしてリンゴ型の結晶を掴み取った。
少し伸び気味の爪が表面へと触れる、接触がカチリ……とかすかな音色をたてている。
やはり結晶と認識できるように、その赤い一粒は本物のリンゴと同じではないらしい。
それはその赤い結晶が林檎よりも頑強な構成をしているという訳ではなく、むしろその逆を想起させている。
安定感のある重さや水分による瑞々しさを感じさせない、これは何に似ているのだろうか、どう形容すべきなのだろうか、メイは結晶を手に取りながら言葉を探す。
結晶の大きさはメイの、幼い肉体である彼女の片手でも充分にしっかりとつかめる、その程度のサイズしか与えられていない。
小玉リンゴのように小さい、メイは結晶を顔の前にかざしながら、瞳の奥に祭りの場景を思い出している。
縁日の風景、どやどやと人々が行き交う道の左右にところ狭しと屋台が並ぶ。あたたかな電球の光の下、赤色の飴にコーティングされた食べ物たち。
リンゴ飴に使われる品種がちょうど、いまメイが持っているそれと同じようなサイズ感を持っているのではないか、思い出した記憶の数々から彼女はそう結論付ける。
思い出した光景が果たして誰のものであったのか。
メイはふいに不安を覚えそうになったが、しかし今は考えるべきではないとすぐに切り替えをしている。
魔女が小さくかぶりをふって、首の形と位置を本来あるべき場所へと戻している。
その様子を横目に、黙っているメイの近くでキンシが若干興奮気味な声音を発していた。
「それこそまさに! 僕たち魔法使いが怪物たちに求める最大の報酬、天使の涙です」
「天使の涙?」
いきなり登場した詩的なる表現方法。
言葉にメイが戸惑っているのにも構わずに、キンシはもう辛抱堪ら胃と言った様子で彼女からその結晶を、リンゴのような形をした宝石を軽やかに奪い取っていた。
「そうです、僕たち魔法使いはこれに込められた魔力を使うことによって、より優れた、より美しく、より楽しくて面白い魔法を作る可能性を得られるのです!」
張り切って力説をしているキンシに対し、その感情表現と真逆を進むかのようにしてメイはもう一度静かに首を傾げることしか出来ないでいる。
「んん……と、ごめんキンシちゃん、もうすこしわかりやすい言いかたをしてくれないかしら?」
わりかし直接的に意味不明を主張しているのだが、しかしキンシの方は魔女の言葉にとりたてて気分を害することをしていなかった。
個人的で狭苦しい範囲に限定された心よりも、そんなものよりも今のこの魔法使いの少女には、自らの中心に据えるべき事柄が余りにもはっきりし過ぎているようでもあった。
「この結晶は怪物の心臓を中心に、血液を集めて凝縮させたものなのです。当然のことながらそこには大量の魔力があり、その上より正しく精製をすれば、通常人間にはおよそ獲得できないであろう良質なる魔力を作りだせることも可能なのです」
キンシはそんなことを言っている、メイは魔法少女の供述を頭の中で整理し、出来る限り自身にも納得できる形へと変換しようとした。
「つまりは……、それをつかうとたくさんのすごい魔法や魔術とかを、使えるようになるということかしら?」
メイがそう要約している、内容に対してキンシは明確な肯定も否定もしようとしなかった。
「そうですね、そういうことも出来ます」
「ということは……」 魔法少女の言い分にメイはすかさず追及の手を伸ばす。
「それ以外のこともできる、ということなのかしら?」
「と言うよりは、方法はいくらでもあるという方が近しいかもしれません」
メイの意見を耳に受け止めながら、キンシの方でもより正しさに近い答えを手探りしているようであった。
「それこそ、それっぽい言い方をするならば、進め方は人の数ほど存在する。ですね」
まるで興味のない啓発書の後書きにでも書かれていそうな、いかにもそれらしいことを言っている。
キンシは小さい宝石を左手に携えたままで、その足は通路の外側へと向かおうとしている。
「こういうのは論より証拠です、実演をするのでこちらへどうぞ!」
左手に林檎を持ち、体にはバスタオルを一枚巻き付けただけ。
そんな恰好で、あろうことかキンシは住居の外へと繰り出さんとしているらしかった。
「はえ?」
魔法少女の突然なる行動、メイはとっさにポカンと口を開くことしか出来ないでいる
だが驚愕もそこそこに、小さな魔女は少女のすっとんきょうな行動を止めなくてはならないという、半ば本能的な衝動だけを原動力にしている。
「まって!」
呆気にとられる暇も無いままに、メイは外の光へ駆け出さんとしているキンシの後ろ姿を追いかけようとした。
自分と魔法少女では脚力にあまりにも差がありすぎている。
到底追いつけないと理解していながらも、メイは反射のように右の足を前へと一歩進ませている。
魔女が少女を追いかけようとした、その所で彼女らの後ろから別の手が伸ばされている。
それはトゥーイの腕による動きであった、しかし青年は直接腕を使って少女を止めることをしていない。
その代わりに何かしらの魔的な道具を使用したということは、青年の近くに立っていたメイが最初に気付かされている。
ジャラジャラ、と金属が幾つも擦れ合う音が聞こえる。
音そのものにはとりたてて特異性はなく、メイにもどことなく聞き覚えのある質感を持っている。
音は止まることなく増幅し続け、メイがそれに反応して目線を動かせば、そこには金属質な光を反射する一筋が空中に真っ直ぐ線を放つのが見えていた。
それは鎖のような道具で、先端にくくりつけられた光る物体は真っ直ぐ通路の外側へ、そこを走っているキンシの背後へと突進している。
鎖の端に結ばれているのは、水色をしたガラス材のようなもので作られた何かの道具のように見える。
ひし形に形成された先端部分が、まず最初にキンシの右足首の辺りへグルグルと巻きつけられる。
自身の体に異物が接着されたにもかからわず、その時点でキンシはまだ自身に起きようとしていることにまるで気付いていないようであった。
前へと進み続ける魔法少女を他所に、青年の放った鎖は無情にも彼女の足を確実に捕らえていた。
ジャラリ、鎖が完全に足首に巻きつけられる。
「ん?」
その頃合いでようやくキンシは自身に訪れている異変に気づき始めていたが、しかし時すでに遅しであった。




