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夢のような状況に焦がれる

 必要以上にもったいぶることもしないままに、メイは目にしたものの実体と思わしき言葉を唇の上へと発している。


「それは……魔法陣ね!」


 思わず大きく、はりきったような声音を発してしまっていた。

 メイは排水管の壁に、自らの高々とした声音が反響しているのを少しだけ恥ずかしげに受け流しつつ。


 しかし羞恥心に身を委ねることよりも、それ以上にメイは己の視界に確認されるもの、方法の一つへ観察の手を伸ばそうとしている。


「ちいさな魔法陣。ああ、そうね、紙に書きためておいて、必要なときに好きなだけ使えるようにする……」


 メイは独りごちに考察と納得を自らの意識、内層の中へ次々と累積させている。


 椿の魔女のどこか異様なほどに活力に満ち溢れた声音を耳に、彼女の右隣の辺りに腰を下ろしている青年。


 トゥーイという名前を持っている。

 若い魔法使いは唇をジッと閉じたままに、その鮮やかな紫色をした瞳は自らの右指、そこに挟んである魔法陣の一切れへと注目を捧げている。


「…………」


 トゥーイは魔法陣を見る、そこに言葉を介する方法は不必要であると言わんばかりに、彼は己の視界が許す限りに右指の中のものへと意識を集中させている。


 傍から見ればかなり奇妙な絵面ではある。

 一人の成人男性が怪物の死体を前に、紙切れに色鉛筆で描かれた落書きを無言、無音でかざしている。


 何も知らない人間がこの場面に遭遇すれば、たとえ近場に人喰い怪物の死体が転がっているとしても、それ以上に青年の方へと強い警戒心を抱くことだろう。


 しかし現実に存在していない仮定の話よりも、そんなことよりもメイは、トゥーイがこれから何をしようとしているのか知ろうとしている。


 魔女の意識の内層に好奇心が生まれようとしている。

 しかし同時に、メイは誰に確認をするまでもなく青年の行為が意味している所を、すでに既知の事実として把握しているような、そんな感覚を覚えている。


「私……」青年が怪物の死体のための行為を続行している、その隣でメイは呟くような声を発している。


「私、その方法を知っている……?」


 ポツリポツリ、と雨だれのようなリズムでメイは記憶のいずこかで浮上しつつある情景を辿ろうとした。


「そう……昔、(昔) わたしが私になる前のわたしだった、その時に見たのよ……」


 眼球の奥底、網膜のあたたかさ、暗闇からやみくもに膨れ上がるイメージが彼女の、メイと言う名前の魔女の意識を瞬く間に圧迫しようとしていた。


 彼女が思い出そうとしている、それは彼女がこの世界に生まれ、存在している理由に繋がる要因を持っている。


 それは彼女にとって、とても重要な意味を持っている。

 アイデンティティの垣根を一つ跳び越えた、それはもはや体を巡る血液と同等に、あまりにも基本的な要素でしかなかった。


 全身の血の気が引く感覚が彼女の体毛、白くてふわふわとした羽毛の隙間、わずかに空気へと触れる肌へ冷たい汗を湧き水のようにこんこんと増幅させている。


 ひんやりとした液体がついに滴となり、波へ変わって彼女を飲み込もうとした。


 ……。


 だが、幼女の体が沈むよりも先に、彼女の近くでもっと存在感のある変化が起きていた。


 

 ポンッ!



 と、まず最初に何かが激しく破裂する音が鳴り響く。


「?! きゃあっ?」


 メイが堪らず悲鳴をあげる、と同時にその白く小さくふわふわとした体がビックリと振動を起こしている。


「な、なな……なにっ?」


 いましがた、自身が深層意識の樹海へとおちいらんとしていた事もそこそこに、メイは現実へ直に発生した異常事態へ意識の方向誠意を速やかに、ためらいなく方向修正をしていた。


 爆音の正体は、しかしてわざわざ問いかけるまでもなく、メイにはおおよそ全て分かりきっていることでもあった。


「いきなり、なにをしたの?」


 信じられないものを見るような目線を向けている。


 魔女の視線をジッと浴びている、トゥーイの目線は音が発生したまえと何ら変わりがないように見える。


 しかしそれはあくまでも彼自身、その個体に限定した話でしかない。


 青年が不動の状態を保持し続けていることよりも、それ以上に注目すべき変化が彼の元に発現していた。


 それは主に彼の右指の先端、ほんの少し前まで紙切れに描かれた落書き、もとい魔法陣が存在していたはずの場所。


 そう、青年の手に握られた魔法陣、爆裂音は紛れもなくそこが震源であった。


 確信へとつながる根拠は何もない、何といっても目撃者であるメイはその間自己の存在価値について疑問を抱いていたのである。


 にもかかわらずメイは強い確信を抱けている、その理由は他でもない魔法陣であり、それ以外の要因など一欠けらも存在してすらいない。


 魔法陣、すでにトゥーイに限らずメイまでもがそれに注目を捧げている。

 青年の指先に握られている、……いや、それはもうすでに人間の末端部分ごときに対応できる範囲を遥かに超えていた。


「……っ!」


 メイが短く深く、まるでしゃっくりの様に息を吸い込んでいる。


 とにかく早急に酸素の供給を行わなくてはいけないと、そう彼女へ命じているのは他でもない好奇心のひと塊であった。


 気にせずにはいられない。

 なんといっても魔法陣が、紙切れに描かれていた落書きにすぎなかった魔法陣が、嗚呼なんということだろう、そことてつもない立体感を獲得しているのであった。


 どうにかしてそれを自らの感覚に落とし込もうと、メイはなけなしの観察眼と審美眼を働かせようと試みている。


 紙に書かれていた平面が突然立体になる、と言った非常識なる変身にはもうわざわざコメントはしないとして。

 突然空間へ生まれた立体は、しかし特に疑問を抱くこともなしに、直観的に紙切れに描かれていた魔法陣と同様であることに気付かされる。


 その理由としては立体を構成している色彩が、根拠として最有力とされるであろう。


 立体がフルフルと幾つも柔軟な枝先を伸ばしている。

 伸ばされたそれらはそれぞれになだらかな曲線を描いている。メイは一瞬彼岸花を想像しかけて、しかしそう断定するには、それはいささか不安定な要素が多いことに気付かされている。


 線と思わしき色合いは、実体を意識した途端に触れたら崩れてしまいそうな不安定さを実感させる。


 柔らかくて長くて細い、それぞれの先端は向かうべき目的のために存在している。


 果たしてこのトゥーイという名前の青年は、魔法陣を使ってなにを召喚? したというのだろうか。


 メイはどうにかして彼の意図を読み取ろうとしたが、しかし同時に試みは無駄に終わることを察してしまっている。


 それらの色合いが全て紙切れであった頃、まだ平面の内に閉じ込められていた時に見た、色鉛筆の筆跡ととてもよく似た要素を有している。


 だが、色が似ているだけではその発現した物体の正体、それが安心に値するものであると、果たして信じて良いものであるのか。

 

 意味不明にまみれながら、メイが自問自答の様に疑いを抱いている。


 魔女の戸惑いを他所に、変形した魔法陣の持ち主であるトゥーイは、深く時間をかけることもなく手早く作業を済ませようとしていた。


 呼吸の気配がする、それはトゥーイの鼻腔から発せられたものであった。

 その鮮やかな紫色をした目線は、引き続き自らの指先へと固定されている。


 短い間だけ静止の状態を保つ。

 そしてトゥーイはとりたてて特別な事も無いように、指の上に浮上する魔法陣であったものを怪物の死体へと近付けている。


 青年の腕の動きに合わせて、魔法陣であったものも怪物の肉へと寄り添う。


 魔法陣から生まれた先端たちが、製作者の意図に従ってそれぞれに肉片との触れ合いを行おうとしていた。


 最初はまるで恥らうかのように、チョイチョイとした仕草はさながら玩具に興味を持つ子猫のような、そんないじらしささえ感じさせる。


「…………」


 光景はどこか面白みがあり、目線の中のいずこかにこの空間がいつまでも続くことを望む、声が聞こえたような気がする。

 だが声は同時に、密やかな動作が最初だけに限定されている、次の瞬間には今までとはまるで形相の異なる何かが現れるであろう。その事実を知り尽くしていた。


 先端が動いた。


 動作、様子をいくらか見守った、そこでメイはようやく魔法陣から呼び出された事象がどの様な意味を有しているのか、ようやく把握している。


「……クラゲ、刺胞動物の捕食器官のよう……」


 思いつく限りで、彼女の有している言葉の中で最も相応しいとされる例え話を声に発していた。


 他人による認識がそこで新たに生まれていた、それがこの魔法陣の形に何も影響がない、という事はそれこそまさにあり得なかった。


 いずれにしても、生み出した魔法はすでに与えられた目的を実行し始めている。

 

 ──っ ──っ


 またしても魔法陣から生み出された、クラゲの触手のような造形をした魔法から激しく活動の音が発せられている。


 今度は最初の破裂音程には明瞭なものとは言えず、なんとも形容しがたいそれはとにかく柔らかいものが沢山蠢いている、としか言い様がない。


 それに音色を具体的に説明するよりも、もっと注目すべき動作が息つく暇も無いままに発動させられていた。


「た、食べている……」


 青年の手元で実行されている魔法を見て、メイはみたび短く感想を呟いている。


 今回はとりたてて疑いを抱く必要も無く、彼女は自らの認識に深く自身を持っている。


 それは、その魔法の姿はまさに捕食に等しい有様であった。


 クラゲの捕食器官に似た柔らかな筋が、それぞれに迷いなく怪物の死体へと覆い被さり、触れた先から魔的なる作用によってその肉片を次々と分解している。


 現実に、正しく海中で行われるであろう捕食行為のそれとは、改めて観察すると青年の魔法と大きく形質を異ならせている。


 なんと言っても、目的とした獲物がすでに世界において本来あるべき、正しき獲物とその性質を果てしなく乖離(かいり)させている。


 とにかくその魔法は不気味で、不可解さはどこか魔法というものが本来どのようなものであるのか。

 世界にとって、「普通」の人間にとってどの様な目で見られるのか。その認識を思い出させるような。


 ……つまりは、とても気持ち悪い魔法であることは確かであった。

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